デイヴィッド1世 (スコットランド王)
デイヴィッド1世(David I, 1080年? - 1153年5月24日)は、スコットランド王(在位:1124年 - 1153年)。マルカム3世と2番目の王妃マーガレットの六男。ダンカン2世、エドマンド、エドガー、アレグザンダー1世の弟に当たる。カトリック教会の聖人。
デイヴィッド1世は兄達と同様イングランドで育ち、ノルマン風の教育を受け、ノルマン人の青年達と親しく交わった。1107年(1114年とも言われる)にイングランド王ウィリアム1世の姪ジュディスの娘、ハンティングダン女伯マティルダテンプレート:Enlinkと結婚した。
1124年に兄のアレグザンダー1世が世継ぎを残さずに死去したため、王位を嗣いだ。そして、イングランドで知り合ったノルマン人の友人達をスコットランドに招き、要職につけた。こうして、デイヴィッド1世は司法・行政などをノルマン流に改革し、王権の強化に努めた。
イングランドでスティーヴンと従妹のマティルダの間に王位争い(無政府時代)が起こると、それに介入した。1136年、マティルダ支持を宣言してイングランド領に攻め込み、カーライル、ニューカッスルを占領した。1138年に、スタンダードでスティーブンに敗れ、いったんはカーライル、ニューカースルを失ったものの、1140年に結ばれたスティーブンとマティルダの和議の結果、ノーサンバーランド、カンバーランドなどの支配権を獲得した。このときにイングランドより得たカーライルの貨幣鋳造所により、スコットランドで初めてコインを鋳造した。これにより、スコットランドでコインが流通し、経済が発展した。
宗教政策においても、司教区を整備し、教会や修道院を建設するなど改革を進めたため、スコットランド国内にキリスト教が広く普及した。また、スコットランド化した英語(スコットランド語)が共通語として通じるようになった。
デイヴィッド1世の統治した時代、スコットランドは国家と呼ぶにふさわしい国に仕立て上げられ、デイヴィッド1世は最初の偉大な王と呼ばれることになった。1153年5月24日、73歳の高齢でカーライルで没した。息子のハンティングダン伯ヘンリーテンプレート:Enlinkに先立たれていたため、王位はヘンリーの2人の息子マルカム4世、次いでウィリアム1世の兄弟が継いだ。
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