有栖川宮記念公園
有栖川宮記念公園(ありすがわのみやきねんこうえん)は、東京都港区南麻布にある公園である。
かつての有栖川宮邸に造られ、現在は港区が所管している。名称は、単に「有栖川公園(ありすがわこうえん)」とも呼ばれる。
概要
有栖川宮記念公園は、都心には稀な閑雅な地であり[1]、園内は起伏に富み、東側の高台から西南側の低地に向けて大きく傾斜した地形となっている。公園の西端にあって外苑西通りや広尾駅方面からの入口となる『有栖川公園前』交差点付近が最も標高が低く、その周辺から右手には南部坂、左には木下坂という、いずれも急坂が公園に沿って上っている。
丘陵より渓谷を下って池畔に至る地形やその周辺に茂る樹木は、日本古来の林泉式の修景による高雅な自然趣味の庭園を呈する[1]。また、園内にはウメやスイレン、ハナミズキなどをはじめとする四季折々の花も多く、秋にはカエデの紅葉も楽しめる[1]。
南東側のドイツ大使館に面した広場には、騎馬像の「有栖川宮熾仁親王銅像」[2]をはじめ、「笛吹き少年の像」、「新聞少年の像[3]」がある。東側の高台には、東京都立中央図書館も併設されている。
所在地は広尾地区に隣接し、最寄駅も広尾駅である。
歴史
江戸時代には陸奥盛岡藩下屋敷であった。1896年(明治29年)に、有栖川宮威仁親王が霞ヶ関の御殿から移動する運びとなり、代替地として御用地となった。威仁親王の生母(有栖川宮幟仁親王の側室)・森則子の住居等が設けられた。御用地は有栖川家が断絶すると、1913年(大正2年)には同家の祭祀を引き継いだ高松宮に継承され、高松宮御用地となった。
児童の健康や自然に格別の関心を持っていた高松宮は1934年(昭和9年)1月5日、有栖川宮の命日にちなんで御用地約11,000坪(36,325m2)を公園地として東京市に下賜された[1]。東京市はただちに整備工事を開始。公園は有栖川宮記念公園と命名され、同年11月に開園・開放された[1]。
1973年(昭和48年)4月1日、有栖川宮熾仁親王の銅像から北東部の一帯、東京都立中央図書館や港区立麻布運動場等が位置する31,235m2が公園に編入された[1]。その後、1975年(昭和50年)には東京都から港区に移管され、区立公園となった。
木下坂
木下坂(きのしたざか)は、有栖川宮記念公園の西脇を南西に下る坂道で、坂下16番のあたりで南部坂の坂下に合流している[4]。木下坂を上がって中国大使館前、六本木ヒルズ・けやき坂の坂上を通って六本木通りへと抜ける道は、「テレ朝通り」と呼ばれる。
坂の名称は、この付近に木下備前守の屋敷があったことにちなみ、1941年(昭和16年)に発行された『麻布区史』にも、「麻布広尾町1番地より西南に下る坂を木下坂と呼ぶ。もと木下備前守邸の門前に当たっていたからである」と記されている。
脚注
外部リンク
- 有栖川宮記念公園 - 港区公式ホームページ