結城直朝

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結城 直朝(ゆうき なおとも、正中2年(1325年) - 康永2年/興国4年4月2日1343年4月26日))は、南北朝時代武将結城氏の第7代当主。第6代当主・結城朝祐の嫡男。

幼名は犬鶴丸。のちに足利直義より偏諱を受けて直朝と名乗る(結城氏は鎌倉将軍府の管轄国内の武士であった)。通称は結城七郎。

生涯

建武3年(1336年)、父・朝祐が多々良浜の戦いで戦死したため、家督を継いだ。直朝は父の代に引き続き北朝勢力に与し、南朝方の白河結城氏小田氏関氏などと対立した。康永2年(1343年)、足利尊氏の重臣・高師冬に従って南朝勢力である北畠親房関宗祐関宗政が守る常陸国関城を攻撃し、奮戦して大いなる武功を挙げたが、このときの戦いで重傷を負い、まもなく死去した(坑道を掘って関城を攻略しようとする作戦に参加したが、城兵に看破され敗走する際に討ち取られたとも)。享年19。

家督は弟の直光が継いだ。

テンプレート:下総結城氏当主