少弐貞頼
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少弐 貞頼(しょうに さだより、文中元年/応安5年(1372年) - 応永11年6月20日(1404年7月27日))は南北朝時代から室町時代前期にかけての武将、守護大名。筑前・豊前守護。少弐頼澄の子。満貞の父。法名は本恵。
元中4年/嘉慶元年(1387年)、九州探題今川了俊と一時和睦して筑前守護に返り咲く。しかし、了俊の後任の九州探題渋川満頼の命に従わず、菊池武朝と同盟して反抗する姿勢を見せたので、応永4年(1397年)に3代将軍足利義満の命を受けた大内義弘や大友親世らに攻められて一時窮地に追い込まれた。しかし応永の乱で義弘が敗死、大内氏が一時衰退したのを機に勢力を回復し、豊前守護を大内氏から奪い取っている。応永11年(1404年)に九州探題を圧倒するまでに勢力を回復させたが、同年に病死、子の満貞が継いだ。