日糧製パン
日糧製パン株式会社(にちりょうせいパン)は、北海道札幌市豊平区に本社を置く製パン会社。札幌証券取引所の単独上場企業のひとつである(証券コードは2218)
概要
一般には商標である「日糧パン」で知られており、製パン大手メーカーが加盟する社団法人日本パン工業会のメンバーである。売上高では下位グループに属する。主力商圏は北海道で、他に青森県の一部に出荷している。
かつては関東・関西にも進出、事実上全国展開していた。1970年(昭和45年)の進出当時、テレビCMでは、ダンスする若者たちをさまざまなアングルで捉え、「若者は選ぶ、日糧パン」と歌った。また、当時モスバーガーにバンズを供給していた。
1990年1月に発売した「チーズ蒸しパン」がヒットし[1]、日経優秀製品賞を受賞している。この商品のポイントはSoft・Moist・Mild・Lightのバランスをうまく調節した点である[2]。その後も「黒糖ふかし」「長崎蒸しパン」「薄造り小倉クリームパン」「同小倉あんパン」「ソフトオムレットホイップクリーム」などの商品を発売し[3]、特に「長崎蒸しパン」はCMの効果もあり「チーズ蒸しパン」のピークに比べ40%まで販売できた[4]。
同年12月にはニコマート東京都多摩地域のフランチャイズ本部を、同社が100%出資で多摩コンビニエンス株式会社を設立[5]。1992年には同社の子会社、株式会社デリが経営するコンビニエンスストア「デリショップ」と本部機能を統合した[5]。1993年には中期三ヵ年計画を作成し、店舗数50店・売上高90億円を1995年までに達成することを目標にした[6]。しかしながら1995年は合計24店となっており、増えるどころか去年より10店舗以上も店舗を減らした[7]。
日糧製パンは関東・関西以外にも出荷して、本来の商圏からの拡張を図ったが、不採算となったり、1992年7月に山崎製パンが北海道に進出したりなどの影響で、1990年代後半は業績不振に陥った。
1997年には首都圏のコンビニ経営から撤退。その原因は多摩コンビニエンスが1996年3月決算で、約3億円の債務超過となってしまったことが原因であった。[8] 。1998年には関西から撤退。1999年には埼玉県所沢市の工場を山崎製パンに売却して関東からも撤退することで、事実上青森県以外の道外からは撤退した。2005年には豆腐・製麺等製造の子会社「味車」も解散している。
その後、2009年に山崎製パン業務提携、持分法適用関連会社となる。そしてキャッチフレーズは長年設定されていなかったが、山崎製パンとの業務提携後は道内メーカーを前面に押し出した「おいしく、北海道らしく。」を設定している。
沿革
- 1943年(昭和18年)10月 北海道報国製菓有限会社を設立。
- 1945年(昭和20年)10月 日本糧菓有限会社に改称。
- 1946年(昭和21年)5月 日本糧産化学工業有限会社に改称。
- 1948年(昭和23年)12月 日本糧産化学工業株式会社に改組。
- 1959年(昭和34年)3月 日糧製パン株式会社に改称。
- 1976年(昭和51年)コンビニエンスチェーン会社である株式会社デリを設立。
- 1977年(昭和52年)10月 札幌証券取引所に上場。
- 1990年(平成2年)12月 ニコマート東京多摩地区のフランチャイズ本部である多摩コンビニエンス株式会社を設立。
- 2009年(平成21年)8月 山崎製パンと提携。
- 2010年(平成21年)2月 株式会社ノーズデリカを合併。
事業所
北海道内
北海道外
子会社
- 現在
- 株式会社ノーズデリカ
- 過去
- 株式会社味車
- 多摩コンビニエンス株式会社
脚注
- ↑ チーズ蒸しパンは冷凍すると美味しくなる 2010年6月14日 デイリーポータルZ
- ↑ 食品ヒット大賞特集=日糧製パン、チーズ蒸しパン 1992年3月10日 日本食糧新聞
- ↑ パン特集・主要パンメーカーの動向 日糧製パン、「長崎蒸しパン」に期待 1993年7月30日 日本食糧新聞
- ↑ 日糧製パン、2月新発売の「長崎蒸しパン」の販売量が急上昇 1993年5月10日 日本食糧新聞
- ↑ 5.0 5.1 100店未満CVSチェーン 生き残りへ勝負 4* 多摩コンビニエンス 1992年11月18日 日本食糧新聞
- ↑ 多摩コンビニエンス、95年50店へ着実な歩み、2チェーン統一も検討 1993年8月20日 日本食糧新聞
- ↑ 多摩コンビニエンス、既存店活性化に力 グループと共同販促も 1995年7月31日 日本食糧新聞
- ↑ 日糧製パン「コンビニ」から撤退--競争激化、運営会社整理へ 1996年11月5日 日本流通新聞