大野城 (尾張国知多郡)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テンプレート:出典の明記 大野城(おおのじょう)は、現在の愛知県常滑市金山の伊勢湾を望む小高い丘陵(青海山)にあった城郭。「宮山城(みややまじょう)」とも呼称される。
歴史
観応年間(1350年)ごろに三河国守護の一色範氏が知多半島に勢力を伸ばし、その子一色範光が伊勢湾を見下ろすこの城を築き、大野湊を中心とした伊勢湾の海運を手中に収める。
しかし、一色氏は将軍足利義政と対立し、三河守護職を失い、応仁の乱を経て次第に勢力を衰退させ、尾張守護の土岐氏に大野城は奪われ、家臣の佐治宗貞が入城し、四代百年あまりの支配が続いた。
三代信方の頃に織田氏に従うが、信方は若くして討ち死に、四代一成は羽柴秀吉と敵対して追放され、城主として信長の弟である織田長益が入るが、大野城の水利の悪さから、すぐ真向かいに大草城を築城して移り、大野城は廃城となった。
遺構
現在は城の南側のほとんどは住宅地(青海山団地)とっているが、主郭部は常滑市指定文化財[1]となっていて、城山公園[2]として整備されている。角櫓形の展望台が建てられている[1]が、これは当時の建物を再現したわけではない[2]。堀が一部残り[1]、櫓台跡に城主であった佐治氏を祀った佐治神社がある。
「大門」「西之口」「屋敷」「城下」など当時を偲ばせる地名が多く残り、かなり規模の大きな城であったことがうかがえる。