番場宿
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番場宿(ばんばしゅく、ばんばじゅく)は中山道の62番目の宿場で、現在は滋賀県米原市。
飛鳥時代に「東山道」と呼ばれた頃以来の宿場。江戸時代の1611年、番場宿から米原までの切通しと米原港が開設され、中山道から湖上の水運に乗り換えて京都へ結ぶ近道への分岐点になった。
特徴
天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、番場宿の宿内家数は178軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠10軒で宿内人口は808人であった。
最寄り駅
史跡・みどころ
- 鳥居本宿までの史跡・みどころ
- 磨針峠(摺針峠) 望湖堂
ゆかりの人々
- 北条仲時 - 鎌倉幕府最後の六波羅探題。1333年、足利尊氏に京を追われて逃げ帰る途中、蓮華寺で自刃。一族郎党430人余の墓と過去帳が、寺に残る。
- 相楽総三 - 1868年1月16日、赤報隊を率いて滞在。中山道を東に向かう。
- 番場忠太郎 - 劇作家・長谷川伸の「瞼の母」の登場人物で当地の出身の設定なので実在の人物ではないが、この作品のおかげで当地は知名度を得た。