節婦駅
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ファイル:Seppu eki.jpg
1978年の節婦駅と周囲約500m範囲。右下が静内方面。島式ホーム1面2線であったが、既に駅舎側は静内方が撤去されて駅舎手前までが残されている。また貨物ホームへの引込み線もあったが、そちらも撤去されている。駅裏のヤードには木材が野積みされているが、当線は利用されていない。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
節婦駅(せっぷえき)は、北海道(日高振興局)新冠郡新冠町字節婦町にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はセフ。
歴史
- 1926年(大正15年)12月7日 - 日高拓殖鉄道厚賀駅 - 静内駅間延伸開通に伴い開業。一般駅。
- 1927年(昭和2年)8月1日 - 日高拓殖鉄道が国有化により国有鉄道に移管。線路名を日高線に改称、それに伴い同線の駅となる。
- 1943年(昭和18年)11月1日 - 線路名を日高本線に改称、それに伴い同線の駅となる。
- 1977年(昭和52年)2月1日 - 貨物・荷物取扱い廃止。同時に無人化[1]。
- 1987年(昭和62年)
駅構造
島式ホーム片面使用の1面1線を有する地上駅。ホームは線路の南西側(様似方面に向かって右手側)に存在する。転轍機を持たない棒線駅となっている[2]。かつては島式ホーム1面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。使われなくなった駅舎側の1線は交換設備運用廃止後も苫小牧方の転轍機と構内踏切手前までのレールが維持された状態で側線として残っていた(但し1983年(昭和58年)4月時点では転轍機の先、ホームに至る間の部分に車止めが設置されていた[3])が、1993年(平成5年)3月までには撤去された[2]。ホーム前後の線路は転轍機の名残で湾曲していた[2]。
無人駅となっている。駅舎は構内の南西側に位置しホームに接している。有人駅時代の駅舎は改築され、車掌車改造の貨車駅舎[2]を経て新築のログハウス風の建物に建て替えられ、駅舎の位置も現在の場所に移動している。
先代の貨車駅舎は高級ブランドの「ティファニー」を想起させる淡緑色に塗られていた[4]。駅舎の前には花壇が設置されていた[5]。またトイレは工事現場用の仮設便所となっていた[5]。
当線が日高三石駅までしか開業していなかった当時、ほとんどの列車がこの駅で交換した。
- 節婦駅駅舎.jpg
旧駅舎(2005年4月)
駅名の由来
当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「ポロ・セプ・ペッ」(親である広い川)[3][6]、或いは「ホロ・セップ・ペッ」(大きな黄色い川の中)、また単に「セプ」(広い所)[7]など、由来には諸説ある。
利用状況
駅周辺
隣の駅
脚注
関連項目
テンプレート:日高本線- ↑ 書籍『無人駅探訪』(監修:西崎さいき、文芸社、2011年6月発行)150ページより。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)102ページより。
- ↑ 3.0 3.1 3.2 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)102ページより。
- ↑ 書籍『ダルマ駅へ行こう!』(著:笹田昌宏、小学館文庫、2007年5月発行)110-111ページより。
- ↑ 5.0 5.1 書籍『北海道鉄道駅大図鑑』(著:本久公洋、北海道新聞社、2008年8月発行)349ページより。
- ↑ 書籍『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』(監修:太田幸夫、富士コンテム、2004年2月発行)101ページより。
- ↑ 書籍『ミニブックシリーズ 北海道駅名』(発行出版社、発行年月日不明(1980年代))20ページより。