ロイ・キャロル
テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:サッカー選手 ロイ・キャロル(Roy Eric Carroll, 1977年9月30日 - )は、北アイルランド・エニスキレン出身のサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。
来歴
クラブ
1995年にハル・シティAFCでプロデビュー。1997年に当時クラブ史上最高額の移籍金35万ポンドでウィガン・アスレティックFCへ移籍。1999-2000シーズンはリーグ戦26試合無敗記録に多大な貢献をし、プロ選手の投票によるフットボールリーグ1(実質3部)のベストGKに選出された。2000-2001シーズンはリーグ戦34試合中、13試合のクリーンシートを達成した。
その功績が認められ、2001年に名門・マンチェスター・ユナイテッドFCへ移籍。ユナイテッドではフランス代表でも正守護神を務めるファビアン・バルテズとアメリカ代表のティム・ハワードの控えを務めた。
2004-2005シーズンも控えが濃厚とみられていたが、終始ハワードが不安定なパフォーマンスを見せ、キャロルが正守護神となり、シーズン終了後にハワードを移籍へ追いやる活躍を見せた。しかし、2005年1月4日のトッテナム・ホットスパーFC戦でファンブルしたボールが完全にゴールラインを割ってゴールに入ったが、そのボールをかき出しノーゴールとなったことで有名。ファインセーブもあるが信じられないミスを犯す選手としても知られていた。
シーズン終了後、オランダ代表でも正GKを務めるエドウィン・ファン・デル・サールがフラムから加入。出場機会を求めて、2005年6月17日にウェストハム・ユナイテッドFCに加入。同時期に加入したシャカ・ヒスロップとポジションを争ったが、同時に怪我に悩まされた。また2006-2007シーズンに入るとロバート・グリーンの加入により出場機会には恵まれなかった。
2007年7月7日にスコットランドの名門・グラスゴー・レンジャーズFCと1年契約。しかし、スコットランド代表のアラン・マクレガーの控えに回ることになり出番を失う。
2008年に入ると、ダービー・カウンティFCの練習に参加。そして、1月24日に半年間のレンタル移籍でダービーに加わり、シーズン途中より完全移籍となった。しかしながら、チームはシーズン通してわずか1勝しかできずチャンピオンシップに降格。自身もスティーヴン・バイウォーターにポジションを奪われ出場機会は次第に失われていった。
2009年8月17日にデンマークのオーデンセBKと3年契約を結び、完全移籍。2009-2010シーズンは全盛期を取り戻す活躍を見せ、デンマークのベストGKに選出された。
2011年にギリシャのOFIクレタと2年契約を結び完全移籍したものの、2012年1月27日に同国の強豪オリンピアコスFCへ移籍。
代表
1997年5月21日のタイ戦で代表デビュー。代表では10年間で19試合に出場したが、マイク・テイラーの陰に隠れ、結局正GKになることなく2006年に一旦は代表引退を表明した。
2012年6月2日にオランダとの親善試合に招集され、6年ぶりに代表キャップを記録した。
所属クラブ
- テンプレート:Flagicon ハル・シティAFC 1995-1997
- テンプレート:Flagicon ウィガン・アスレティックFC 1997-2001
- テンプレート:Flagicon マンチェスター・ユナイテッドFC 2001-2005
- テンプレート:Flagicon ウェストハム・ユナイテッドFC 2005-2007
- テンプレート:Flagicon グラスゴー・レンジャーズFC 2007-2008.1
- テンプレート:Flagicon ダービー・カウンティFC 2008.1-2009
- テンプレート:Flagicon オーデンセBK 2009-2011
- テンプレート:Flagicon OFIクレタ 2011-2012.1
- テンプレート:Flagicon オリンピアコスFC 2012.1-
タイトル
- テンプレート:Flagicon ウィガン・アスレティックFC
- フットボールリーグトロフィー (1) : 1998–1999
- テンプレート:Flagicon マンチェスター・ユナイテッドFC
- プレミアリーグ (1) : 2002–03
- FAコミュニティ・シールド (1) : 2003
- FAカップ (1) : 2003–04
- テンプレート:Flagicon オリンピアコスFC
- ギリシャ・スーパーリーグ (3) : 2011–12, 2012–13, 2013–14
- ギリシャ・カップ (2) : 2011–12, 2012–13