荘勝雄
テンプレート:Infobox baseball player 荘 勝雄(そう かつお、日本名:坂元 良嘉(さかもと よしき)、1959年2月1日 - )は、台湾の台南市出身の元プロ野球選手(投手)で野球指導者。右投げ右打ち。輔仁大学卒業。1991年に帰化。現在は千葉ロッテマリーンズの球団職員であるが、2014年はBCリーグ、福井ミラクルエレファンツへトレーニングコーチとして派遣されている。
来歴・人物
台湾時代の1984年、ロサンゼルスオリンピックに出場。郭泰源と共に先発を務め、銅メダル獲得に大きく貢献。翌年の世界選手権でMVPを獲得。同年ロッテに外国人助っ人として加入。最速148キロの速球とナックルボールなどの絶妙なコンビネーションで、先発・抑えにフル回転。入団年から5年連続2桁勝利を記録した。オールスターにも1回(1985年)出場している。
2年目の1986年には10連続セーブポイント(当時のパ・リーグ記録)を達成。スタミナを買われ、1987年から先発に定着すると、3年連続15完投以上の記録を残した。1991年日本に帰化するが、以後は成績が急落し3年間勝ち星なし(1992年 - 1994年)に終わる。チームが千葉に移ってから3年後の1995年に引退し、そのまま投手コーチに就任した。
1980年代後半のロッテを代表する助っ人であったとともに、地元台湾では「二郭一荘」と呼ばれ、郭源治(中日)・郭泰源(西武)と並ぶ国民的英雄である(ちなみに源治の方が先に日本に帰化した)。1989年6月7日には郭泰源と西武球場で9回を投げ合い、愛甲猛の本塁打による1対0で完封勝利し、荘はこのゲームを「ベストゲームだった」と振り返っている[1]。
負けが多いことからも分かるように、調子の良し悪しがはっきりしていたが、当時貧打にあえいでいたロッテでは、援護点をあまり得られなかったことも関係している。1989年は4完封を記録しており、調子の良い時は黄金時代の西武打線さえ手も足も出ない程の投球を見せた。
2009年限りでコーチを退任。2010年からはチーム統括部テクニカルコーチとなり、ロッテ球団提携先の中国・江蘇ホープスターズに派遣され監督を務めた[2]。2011年、やはりロッテ球団提携先の台湾・Lamigoモンキーズの顧問として迎えられ、3年間投手コーチを務めた。
2014年からはロッテの球団職員として働いていたが[3]、同年3月6日にBCリーグ、福井ミラクルエレファンツへトレーニングコーチとして派遣されることが発表された[4]。
詳細情報
年度別投手成績
テンプレート:By2 | ロッテ | 34 | 22 | 9 | 1 | 1 | 11 | 10 | 4 | -- | .524 | 669 | 158.1 | 162 | 13 | 49 | 4 | 4 | 86 | 4 | 1 | 83 | 73 | 4.15 | 1.33 |
テンプレート:By2 | 49 | 10 | 5 | 1 | 0 | 11 | 5 | 18 | -- | .688 | 578 | 143.0 | 120 | 18 | 46 | 7 | 2 | 130 | 13 | 0 | 52 | 50 | 3.15 | 1.16 | |
テンプレート:By2 | 28 | 28 | 20 | 0 | 3 | 13 | 11 | 0 | -- | .542 | 952 | 230.2 | 215 | 20 | 75 | 4 | 2 | 121 | 9 | 0 | 95 | 85 | 3.32 | 1.26 | |
テンプレート:By2 | 29 | 28 | 16 | 2 | 0 | 13 | 14 | 0 | -- | .481 | 840 | 201.0 | 188 | 30 | 83 | 4 | 4 | 82 | 7 | 0 | 98 | 92 | 4.12 | 1.35 | |
テンプレート:By2 | 28 | 27 | 15 | 4 | 0 | 11 | 15 | 0 | -- | .423 | 912 | 207.1 | 205 | 22 | 112 | 1 | 6 | 101 | 9 | 0 | 106 | 97 | 4.21 | 1.53 | |
テンプレート:By2 | 33 | 11 | 3 | 0 | 0 | 5 | 14 | 9 | -- | .263 | 499 | 115.0 | 119 | 10 | 45 | 2 | 1 | 68 | 2 | 0 | 60 | 54 | 4.23 | 1.43 | |
テンプレート:By2 | 29 | 15 | 6 | 1 | 0 | 5 | 8 | 2 | -- | .385 | 504 | 116.2 | 115 | 18 | 52 | 5 | 3 | 47 | 4 | 0 | 61 | 55 | 4.24 | 1.43 | |
テンプレート:By2 | 15 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 148 | 33.0 | 37 | 7 | 15 | 0 | 0 | 12 | 3 | 0 | 21 | 21 | 5.73 | 1.58 | |
テンプレート:By2 | 21 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | -- | .000 | 264 | 56.0 | 60 | 2 | 35 | 0 | 1 | 24 | 1 | 0 | 30 | 24 | 3.86 | 1.70 | |
テンプレート:By2 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 88 | 17.1 | 23 | 2 | 13 | 0 | 0 | 11 | 4 | 0 | 19 | 19 | 9.87 | 2.08 | |
テンプレート:By2 | 19 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 126 | 27.0 | 36 | 4 | 10 | 3 | 0 | 11 | 1 | 0 | 20 | 18 | 6.00 | 1.70 | |
通算:11年 | 297 | 150 | 74 | 9 | 4 | 70 | 83 | 33 | -- | .458 | 5580 | 1305.1 | 1280 | 146 | 535 | 30 | 23 | 693 | 57 | 1 | 645 | 588 | 4.05 | 1.39 |
---|
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
- 初登板:1985年4月10日、対阪急ブレーブス2回戦(阪急西宮球場)、8回裏に3番手として救援登板・完了、1回2失点(自責点0)
- 初奪三振:同上、8回裏に福原峰夫から
- 初勝利:1985年4月13日、対西武ライオンズ1回戦(川崎球場)、10回表に3番手として救援登板・完了、2回無失点
- 初先発・初先発勝利・初完投勝利:1985年4月16日、対近鉄バファローズ1回戦(日生球場)、9回1失点
- 初セーブ:1985年5月11日、対近鉄バファローズ7回戦(藤井寺球場)、8回裏に3番手として救援登板・完了、2回無失点
- 初完封勝利:1985年5月31日、対近鉄バファローズ9回戦(平和台球場)
- 1000投球回数:1990年7月4日、対日本ハムファイターズ13回戦(東京ドーム)
- 毎回奪三振:1987年8月20日、対西武ライオンズ戦、 毎回1奪三振ずつの計9奪三振は史上3人目[5]
- オールスターゲーム出場:1回 (1985年)
背番号
- 15 (1985年 - 1995年、2011年 - 2013年)
- 82 (1996年)
- 97 (1998年 - 1999年)
- 88 (2000年 - 2009年)
- 75 (2010年)
- 81 (2014年 - )
脚注
- ↑ 白夜書房刊「野球小僧remix プロ野球外国人選手大事典」
- ↑ 江蘇ホープスターズとの業務提携について
- ↑ ロッテ、BCリーグの福井と指導者派遣の業務提携で合意
- ↑ 千葉ロッテマリーンズとの業務提携のお知らせ
- ↑ 講談社刊 宇佐美徹也著「日本プロ野球記録大鑑」692 - 694ページ