チェスの世界チャンピオン一覧
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チェスの世界チャンピオン一覧(チェスのせかいチャンピオンいちらん)
チェスの歴代世界チャンピオンの一覧、及び防衛戦。
非公認チャンピオン
- 1560年~1575年 - ルイ・ロペス・デ・セグラ (テンプレート:ESP1785)
- 1575年~1587年 - ジョヴァンニ・レオナルド・ディ・ボナ・ダ・クトリ (テンプレート:Flagicon2ナポリ王国)
- 1575年~1598年 - パオロ・ボイ (テンプレート:Flagicon2シチリア王国)
- 1598年~1621年 - アレッサンドロ・サルヴィオ (テンプレート:Flagicon2ナポリ王国)
- 1621年~1634年 - ジョアッキーノ・グレコ (テンプレート:Flagicon2ナポリ王国)
- 1730年~1747年 - レガール・デ・ケルミュール (テンプレート:FRA987)
- 1747年~1795年 - フランソワ=アンドレ・ダニカン・フィリドール (テンプレート:FRA987)
- 1798年~1824年 - アレキサンドレ・ドシャペル (テンプレート:FRA987)
- 1824年~1840年 - ルイ・ド・ラ・ブルドンネ (テンプレート:FRA1830)
- 1843年~1851年 - ハワード・スタントン (テンプレート:GBR3)
- 1851年~1858年 - アドルフ・アンデルセン (テンプレート:PRU1803)
- 1858年~1859年 - ポール・モーフィー (テンプレート:USA1851)
- 1859年~1866年 - アドルフ・アンデルセン (テンプレート:PRU1803)
- 1866年~1886年 - ヴィルヘルム・シュタイニッツ (テンプレート:AUT1804)
公式チャンピオン
「公式」とは1924年に設立されたFIDEが後から公認したという意味である。これ以前のマッチは持ち時間の制限がなかったため「公式」とされなかった。 凡例
- チャンピオン期間 - チャンピオン名 (国名)
- 防衛戦年度 対戦者名 (チャンピオンの)成績
チャンピオンによる挑戦者の指名制
- 1886年~1894年 - ヴィルヘルム・シュタイニッツ(テンプレート:AUT1804→テンプレート:USA1891)
- 1886年 ヨハネス・ツケルトート 10勝5引き分け5敗
- 1889年 ミハイル・チゴーリン 10勝1引き分け6敗
- 1890/91年 イジドール・グンスベルク 6勝9引き分け4敗
- 1892年 チゴーリン 10勝5引き分け8敗
- 1894年 ラスカー 5勝4引き分け10敗
- 1894年~1921年 - エマーヌエール・ラスカー(テンプレート:DEU1871)
- 1896/97年 シュタイニッツ 10勝5引き分け2敗
- 1907年 フランク・マーシャル 8勝7引き分け0敗
- 1908年 ジークベルト・タラッシュ 8勝5引き分け3敗
- 1910年 カール・シュレヒター 1勝8引き分け1敗 *選手権はかかっていなかったとの説もある
- 1910年 ダウィド・ヤノフスキー 8勝3引き分け0敗
- 1921年 カパブランカ 0勝10引き分け4敗
- 1921年~1927年 - ホセ・ラウル・カパブランカ(テンプレート:Flagicon キューバ)
- 1927年 アレヒン 3勝25引き分け6敗
- 1927年~1935年 - アレクサンドル・アレヒン(テンプレート:SSR1923→テンプレート:FRA1870)
- 1929年 エフィム・ボゴリュボフ 11勝9引き分け5敗
- 1934年 ボゴリュボフ 8勝15引き分け3敗
- 1935年 エーワ 8勝13引き分け9敗
- 1935年~1937年 - マックス・エーワ(テンプレート:Flagicon オランダ)
- 1937年 アレヒン 4勝11引き分け10敗 *リターンマッチ
- 1937年~1946年 - アレクサンドル・アレヒン(テンプレート:FRA1946)
チャンピオン、アレヒンの急死を受けて、FIDE(国際チェス連盟)主催の挑戦者制度に変更
- 1948年~1957年 - ミハイル・ボトヴィニク(テンプレート:SSR1955)
- 1951年 ダヴィッド・ブロンシュテイン 5勝14引き分け5敗
- 1954年 スミスロフ 7勝10引き分け7敗
- 1957年 スミスロフ 3勝13引き分け6敗
- 1957年~1958年 - ワシリー・スミスロフ(テンプレート:SSR1955)
- 1958年 ボトヴィニク 5勝11引き分け7敗 *リターンマッチ
- 1958年~1960年 - ミハイル・ボトヴィニク
- 1960年 タリ 2勝13引き分け6敗
- 1960年~1961年 - ミハイル・タリ(テンプレート:SSR1955)
- 1961年 ボトヴィニク 5勝6引き分け10敗 *リターンマッチ
- 1961年~1963年 - ミハイル・ボトヴィニク
- 1963年 ペトロシアン 2勝15引き分け5敗
- 1963年~1969年 - チグラン・ペトロシアン(テンプレート:SSR1955)
- 1966年 スパスキー 4勝17引き分け3敗
- 1969年 スパスキー 4勝13引き分け6敗
- 1969年~1972年 - ボリス・スパスキー(テンプレート:SSR1955→テンプレート:Flagicon フランス)
- 1972年 フィッシャー 3勝11引き分け7敗 *不戦勝1を含む
- 1972年~1975年 - ボビー・フィッシャー(テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国)
- 1975年 カルポフ 不戦敗
- 1975年~1985年 - アナトリー・カルポフ(テンプレート:Flagicon ソビエト連邦)
- 1978年 ヴィクトール・コルチノイ 6勝21引き分け5敗
- 1981年 コルチノイ 6勝10引き分け2敗
- 1984/85年 カスパロフ 5勝40引き分け3敗 *決着つかず
- 1985年 カスパロフ 3勝16引き分け5敗
- 1985年~1993年 - ガルリ・カスパロフ(テンプレート:Flagicon ソビエト連邦)
- 1993年~1998年 - アナトリー・カルポフ(テンプレート:Flagicon ロシア)
IOCの提言を受け入れ、トーナメント方式に変更
- 1998年 - アナトリー・カルポフ
- 1999年 - アレクサンドル・カリフマン(テンプレート:Flagicon ロシア)
- 2000年 - ビスワナサン・アナンド(テンプレート:Flagicon インド)
- 2002年 - ルスラン・ポノマリョフ(テンプレート:Flagicon ウクライナ)
- 2004年 - ルスタム・カシムジャノフ(テンプレート:Flagicon ウズベキスタン)
不評のため、伝統的持時間による8人総当り方式に変更
この時の成績は、以下のとおり
順位 スコア 名前(国籍) 1 10.0 ベセリン・トパロフ(ブルガリア) 2 8.5 ビスワナサン・アナンド(インド) 3 8.5 ペーター・スヴィドラー(ロシア) 4 7.0 アレクサンダー・モロゼヴィッチ(ロシア) 5 6.5 ペーター・レコ(ハンガリー) 6 5.5 ルスタム・カシムジャノフ(ウズベキスタン) 7 5.5 マイケル・アダムズ(イギリス) 8 4.5 ユディット・ポルガー(ハンガリー)
クラシカル世界チャンピオン
1993年、ガルリ・カスパロフは世界選手権の開催方法を巡り、FIDEと対立、以降独自に世界選手権を開催した。この系列の世界チャンピオンは、カスパロフが当初設立したPCAの名称を用いて”PCA世界チャンピオン”と称されることもある。しかしながらこの団体は数年で消滅したため、全ての世界選手権を主催していたわけではない。ここでは”クラシカル世界チャンピオン”(伝統的な挑戦者制度に基づく世界チャンピオン、の意)としておく。
- 1993年〜2000年 - ガルリ・カスパロフ(ロシア連邦)
- 1993年 ナイジェル・ショート 6勝14引き分け1敗
- 1995年 ビスワナサン・アナンド 4勝13引き分け1敗
- 2000年 ウラジーミル・ボリソヴィッチ・クラムニク 0勝13引き分け2敗
- 2000年〜2006年 ウラジーミル・クラムニク (ロシア連邦)
統一チャンピオン
2006年、FIDE公式チャンピオンのトパロフと、クラシカル世界チャンピオンのクラムニクの間で、チャンピオン統一のための特別マッチが開催され、クラムニクが初代統一チャンピオンとなったが、翌2007年に開催された通常の世界選手権でアナンドに破れた。2010年にはアナンドがトパロフの挑戦を一勝差で退け、防衛に成功。
- 2006年〜2007年 ウラジミール・クラムニク (ロシア連邦)
- 2006年 ベセリン・トパロフ 3勝6引き分け3敗(不戦敗1を含む)、タイブレーク2勝1引き分け1敗 (統一マッチ)
- 2007年〜2013年 ビスワナサン・アナンド
- 2007年 8人ダブルラウンド、9ポイント/14局
- 2008年 ウラジミール・クラムニク 3勝7引き分け1敗
- 2010年 ベセリン・トパロフ 3勝7引き分け2敗
- 2011年 ボリス・ゲルファンド 1勝10引き分け1敗、タイブレーク1勝3引き分け
- 2013年 マグヌス・カールセン 0勝7引き分け3敗。カールセンはカスパロフに並ぶ22歳での最年少王者となった。
- 2013年~ マグヌス・カールセン