斯波氏経
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2013年2月24日 (日) 18:02時点におけるMusuketeer.3 (トーク)による版
テンプレート:基礎情報 武士斯波 氏経(しば うじつね、生没年不詳)は南北朝時代の武将、守護大名。越前守護、九州探題。官位は民部少輔、左京大夫。斯波高経の次男。兄に家長、弟に氏頼、義将、義種、叔父には奥州斯波氏の祖となる斯波家兼がいる。子に義高。末野氏の祖とされる。
懐良親王と菊池武光らの南朝軍が少弐氏や大友氏を打ち破り、東上しようとした為、幕府によって康安元年/正平16年(1361年)に九州探題に任命され、九州に派遣された。しかしその翌年10月、長者原の合戦で南朝軍に敗れ、大内弘世を頼って周防に退く。そのまま帰洛し、貞治6年/正平22年(1367年)に出家、道栄と号し嵯峨に隠棲した。以降の消息は不明。
和歌にも優れ、頓阿と親交があった。「新千載和歌集」にも歌が6首入選している。なお、子の義高は詮将とも名乗り、斯波詮経の子息と同名な為、一説に斯波詮将以降は高水寺斯波氏とするものもある。
参考文献
|
|
|