武内裕之
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テンプレート:基礎情報 アナウンサー 武内 裕之(たけうち・ひろゆき、1968年1月30日 - )は、九州朝日放送の社員で元アナウンサー。
人物・履歴
北九州市出身。以下、本人が長らく担当していた『ドォーモ』その他で発言した内容を含む。
1983年高校受験に失敗、1年間浪人生活を送った後福岡大学附属大濠高等学校に進学。その後は留年等をすることなく慶應義塾大学商学部卒業後入社(同期は加藤恭子、秋山仁志(現在ラジオ制作部))。武内は「高校受験失敗という挫折が今日の原点ともなった」ことを明らかにしている。人事異動を全社規模で行うKBCにあって同僚が一度は他部署への配置転換を経験する中、入社後『ドォーモ』引退までずっとアナウンスの第一線にとどまっていた。比較的珍しいケースである。
入社後暫くして秋山とともに『ドォーモ』のリポーターとなり、以後朝番組担当による引退を挟み通算16年にわたって出演。ラジオの深夜放送担当も相まってその名を知られ、地元九州ではタレント並みの知名度を獲得。喋り口やタレントなみの積極的な行動からアナウンサーに見られることが少なく、彼がアナウンサーである事を知らない視聴者も多いが、現在も5分枠のニュースに時々登場したりなどする。
私生活では2児の父親でもある。『ドォーモ』で共演している“スター高橋”こと脚本家の高橋徹郎とは、同時期に父親となったこともあり親しく、過去にはラジオ番組で互いの子育てに関して話していた。
『ドォーモ』は2010年3月26日未明(25日深夜)を以って降板し、ラジオに軸足を移して4年朝番組を担当していた。2014年度人事異動で、遂にアナウンス現場を離れ、東京支社へ異動となった(入れ替わりに本社で他部署に移っていた平川尚子が復帰)。
エピソード
- 以前ニュースを読んだ際、放送後に視聴者から「いつからKBCはタレントにニュースを読ませるようになったのか」という苦情が来たこともある。
- 『ドォーモ』の企画でワールドカップ2006ドイツ大会を観戦しに日本を出発する際、空港にてNNN系列『真相報道 バンキシャ!』で一サポーターとしてインタビューに答える姿が放送された。
- 『ドォーモ』の企画で、7年に渡り追い続けたカジキマグロを、その数が少ないと言われる玄界灘で釣り上げた。
- 『KBC水と緑のキャンペーン』企画で、鹿児島・錦江湾を泳ぎ切るなど、40を過ぎてもなお、身体張り系のロケもこなしている。
- 「ドォーモ」番組内で年に数回「視聴者の皆さんは僕らが楽しんでいる所を見て楽しんでくださいね」という発言をしていたことがある。
過去の出演番組
テレビ
- ドォーモ
- 朝はポレポレ
- 1998年4月の番組スタートから1年間メイン司会を担当したが、その後『ドォーモ』に戻る。本人曰く、「『朝からうるさい』という苦情が来たのが司会交代のきっかけ」という。
- スーパーJチャンネル九州・沖縄(草柳悟堂のリリーフ)
- KBCニュースピア(同上)
ラジオ
- ナイトスロープ3P→中島浩二アワー・THE3P
- TVでは話せません(高橋徹郎と担当、今も尚カルト的な人気を誇る)
- カプセルマガジン第二期 金曜日担当(2005年4月~2007年3月)
- 月曜から木曜はテレビでドォーモ担当、金曜日はこの番組の為「KBCの夜の男」のキャッチフレーズを本人自らが付けていた。
- 夜はこれから!ホークス派宣言(2010年度上期、火曜・水曜)
- PAO〜N(同上、金曜)
- 武内裕之That's On Time(ラジオ、2010年10月から2014年3月まで)
- 『朝はポレポレ』以来となる早朝番組の担当。
関連項目
- 以下『ドォーモ』関係者
外部リンク
- テンプレート:Twitter
- 人事異動に伴いアカウントを変更し、東京支社勤務の日々を呟いている。