愛媛県立松山南高等学校
テンプレート:日本の高等学校 愛媛県立松山南高等学校(えひめけんりつまつやまみなみこうとうがっこう)は、愛媛県松山市に位置する県立高等学校。
概要
文部科学省のスーパーサイエンスハイスクール (SSH) に指定されており、平成14年度の理数科入学生と科学系部活動に所属する生徒を主対象に、平成16年度までの3年間さまざまな活動に取り組んだ。その成果をさらに発展させるべく、平成17年度からの新規SSH(5年間)事業にも改めて指定された。また、平成22年度からもSSH(5年間)事業に指定されており、事業開始初年度から現在まで継続して指定校となっている。
部活動
高いレベルの文武両道を目標に掲げており、部活動が盛んである。
運動部は、登山、テニス、ホッケー(女子)、水泳、陸上競技において優秀な成績を上げている。特に登山部は全国でもトップクラスである。
文化部は、吹奏楽部、放送部、生物部、書道部が全国レベルの受賞を果たしている。
SSH事業
SSH事業を通して進路意識を高めることに成功しており、AO入試・推薦入試による進路の早期決定者の数が増加している。
また、近年、内閣総理大臣オーストラリア科学奨学生や国際生物学オリンピックに出場する生徒を輩出している。平成16年度には10種類の科学系コンテストに22点出場し、全国レベルの賞を10点受賞している。
東京大学、京都大学、大阪大学、東北大学、名古屋大学、九州大学、北海道大学、神戸大学の合格者数は毎年20名~30名程度である[1]。校舎が松山市の中心部に位置しているため、愛媛大学・松山大学の志望者が多い。次に志望者が多い岡山大学・広島大学の合格者数はほぼ毎年50名程度と安定している。
2年次から習熟度別にクラス分けがある。選抜クラスに在籍するものは、難関国立大学をはじめ、医歯薬系の学科を志望するものが多い。また近年、文部科学省からSSH校の指定を受けているため、AO入試、推薦入試を活用して早期に進路を決定する者も少なからず存在する。
沿革
- 1891年(明治24年) - 私立愛媛県高等女学校として設立。
- 1896年(明治29年) - 私立愛媛実業女学校と改称。
- 1898年(明治31年) - 私立愛媛高等女学校と改称。
- 1901年(明治34年) - 愛媛県立松山高等女学校として県立に移管。
- 1948年(昭和23年) - 愛媛県立松山第二高等学校と改称。
- 1949年(昭和24年) - 愛媛県立松山南高等学校として開校。
出身者
- 天野祐吉 - コラムニスト
- 伊丹十三 - 映画監督、俳優、エッセイスト
- 一色浩一郎 - 経営学者
- 上田亮三郎 - サッカー指導者
- 大内照子 - 女優
- 大政謙次 - 東京大学教授
- 門上千恵子 - 日本初の女性検事
- 城戸久枝 - ノンフィクション作家
- 斉田正子 - ソプラノ歌手
- 芝城太郎 - 漫画家、俳優
- 柴田奈津子 - 元岡山放送アナウンサー
- 白石勝也 - 松前町長
- 仙波紀子 - NHK契約アナウンサー
- 長尾誠夫 - 小説家
- 永野彰子 - 南海放送アナウンサー
- 野志克仁 - 第30代松山市長、元南海放送アナウンサー
- 本田朋子 - フジテレビアナウンサー
- 松本直幸 - 南海放送アナウンサー
- 松山容子 - 元NHK松山局職員、女優
- 水口佳美 - アナウンサー
- 横山たかし・ひろし - 漫才師
- 山内宏志 - サッカー審判員