剣璽
剣璽(けんじ)は三種の神器のうち、天叢雲剣と八尺瓊勾玉を併せた呼称。神器の勾玉を璽(あるいは神璽)とも呼ぶため、「剣璽」と称される。
剣璽の間
御所の天皇の寝室の隣に土壁に囲まれた塗籠(ぬりごめ)の「剣璽の間」があり、そこに神剣(天叢雲剣の形代)と神璽(八尺瓊勾玉)が安置されている。神鏡(八咫鏡の形代)は宮中三殿の賢所に神体として唐櫃に納められて安置されている。中世の天皇は、剣璽の間の入口を背にして座るのが正式とされた[1][2]。剣璽は天皇の寝室の隅に置かれたため、最初寝室であったものが、大切な物を置く場所になり、それが剣璽の間になったと考えられている[1]。
剣璽動座
戦前は天皇が一泊以上の旅行のため皇居(宮城)を離れる時に、侍従が神剣と勾玉を捧げ持ち随行した(剣璽動座)。第二次世界大戦後に警備上の都合で取りやめられた。天皇の即位後の神宮参拝、式年遷宮後の参拝の際には携行されている[3]。
剣璽渡御の儀(剣璽等承継の儀)
テンプレート:Sister 剣璽渡御の儀は、天皇が譲位・崩御の後、皇位継承者(皇嗣)が践祚の際に皇位継承の証として剣と璽を受け継ぎ、新天皇となる儀式である。神体である剣と璽が新帝の下に自ら動くという建前から「渡御」(神・天皇等が「渡る」ことをいう尊敬語)という表現がとられる。この儀は、新天皇を国民や外国に公にする為の即位の礼とは違い、天皇崩御の直後に行われる。
桓武天皇の時代に定められた儀式(初例は平城天皇)とされ、平安時代中期以後は践祚直後の「夜の儀式」として行われた[4][5]。
1909年(明治42年)に制定され、戦後廃止された登極令(明治42年皇室令第1号)によれば、侍従が「奉仕」して「渡御」する剣と璽及び、内大臣秘書官が捧持する国璽と御璽を内大臣が天皇の前にある机の上に置くことが行われる。
なお、三種の神器のうち神鏡は宮中三殿の賢所の神体であるため、この儀式では動かない。剣璽渡御の儀と同時刻に「賢所の儀」が行われ、賢所で皇祖神天照大神に対し践祚の旨が告げられる。
今上天皇皇位継承の際の1989年(昭和64年)1月7日には、日本国憲法の政教分離規定への配慮から「剣璽等承継の儀」とされ、国事行為たる儀式として、剣・璽及び国璽・御璽を侍従長が新天皇の前にある机に置く短い儀式が、皇位継承後まもなく10時01分より宮殿の正殿松の間で行われ、テレビ中継された。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 『日本人とすまい3 しきり』リビング・デザイン・センター、1997年11月7日
- ↑ 京都御所と離宮 宮廷文化の美を撮る1朝日新聞、2008
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 後白河法皇践祚の状況を記した『兵範記』久寿2年7月23日条には、「剱璽奉渡、依無白晝儀(剣璽を渡し奉ること、白昼の儀に無きにより)」新天皇の践祚が24日の明け方に決定したにも関わらず、渡御は夜まで延期されたことが記されている。
- ↑ 加茂正典「剣璽渡御と時刻」(初出:『京都精華学園研究紀要』第31輯(1993年)/所収:加茂『日本古代即位儀礼史の研究』(思文閣出版、1999年) ISBN 978-4-7842-0995-8 第4篇第3章