岡本光
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テンプレート:Infobox baseball player 岡本 光(おかもと こう、1960年8月17日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(投手)、政治家。現在は大阪府藤井寺市の市議会議員を務める。
来歴・人物
和歌山県立串本高等学校では、テンプレート:Byの夏の甲子園和歌山県予選準決勝に進出するが、箕島高に敗退。同年のプロ野球ドラフト会議で南海ホークスから3位指名を受けるが、入団を拒否[1]。
卒業後は、松下電器野球部で都市対抗野球大会などに出場し活躍。1981年のプロ野球ドラフト会議で5位で南海ホークスから2度目の指名を受けるが、再び拒否[1]。翌1982年の同会議で読売ジャイアンツから2位指名を受け、入団[1]。
テンプレート:Byにイースタン・リーグで13SPを記録し、最優秀救援投手となる[1]。テンプレート:Byに一軍で中継ぎとして活躍し優勝に貢献したが、翌テンプレート:Byは出番が減少し、同年オフに白幡隆宗との交換トレードで西武ライオンズに移籍した[1]。
しかし西武では一軍で登板することなく、テンプレート:By限りで現役引退[1]。
引退後はテンプレート:Byまで西武のトレーニングコーチを務め、テンプレート:Byは台湾大聯盟(TML)の誠泰太陽でコーチを務めた[1]。
2003年に大阪府藤井寺市の市議会議員選挙で当選。同市議会議員となり、現在に至る。
詳細情報
年度別投手成績
テンプレート:By2 | 巨人 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | ---- | 28 | 6.2 | 6 | 2 | 2 | 1 | 0 | 7 | 1 | 0 | 3 | 3 | 4.05 | 1.20 |
テンプレート:By2 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | ---- | 39 | 11.1 | 6 | 0 | 1 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0.79 | 0.62 | |
テンプレート:By2 | 26 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 0 | -- | .600 | 185 | 42.2 | 37 | 5 | 22 | 2 | 1 | 39 | 2 | 0 | 20 | 19 | 4.01 | 1.38 | |
テンプレート:By2 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 27 | 5.1 | 7 | 0 | 4 | 2 | 0 | 5 | 0 | 0 | 3 | 3 | 5.06 | 2.06 | |
通算:4年 | 46 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 2 | -- | .600 | 279 | 66.0 | 56 | 7 | 29 | 5 | 1 | 58 | 3 | 0 | 27 | 26 | 3.55 | 1.29 |
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記録
- 初登板 1985年4月25日 対中日戦(後楽園)4-7 8回より登板し、2回1失点
- 初セーブ 1985年5月5日 対ヤクルト戦(後楽園)6-3 9回より登板
- 初勝利 1987年5月24日 対阪神戦(甲子園)8-5 3回1死より登板し、4回2/3無失点
背番号
- 12 (1983年 - 1988年)
- 26 (1989年)
- 46 (1990年)
- 74 (1991年 - 1994年)
- 98 (1995年 - 2001年)
エピソード
- 現役引退後、西武のトレーニングコーチとなったのは当時西武の投手コーチであった森繁和の誘いがあったからだという。当時は陸上出身の人物がトレーニングコーチを務めることが多かったため、「野球上がりの人間がいないと本当にピッチングに必要なトレーニングがわからない部分もある」という根本陸夫管理部長の意をくみ、森が戦力外になった選手のリストから性格面も考慮の上、岡本に声をかけた。森は岡本と一緒にやる中でトレーニングの効率的なやり方から投手の本音の漏らし方まで様々なものを学べたと著書[2]で語っている。