大東塾
テンプレート:Infobox 組織 大東塾(だいとうじゅく)とは、1939年(昭和14年)4月3日に影山正治が中心となって結成された右翼団体。一般には全国組織の不二歌道会も含め「大東塾・不二歌道会」として知られる。歌道の修業を人間形成の基本におき、人格の陶冶徳性の練磨を重視した。1945年(昭和20年)8月25日には代々木練兵場で天皇に敗戦を詫びて14名が割腹自決を行っている[1]。
概要
大日本生産党などと同じく「伝統右翼」に分類される。「大東塾が動くときは昭和維新への決起の時」と言われたほどであり、右翼界・政界への影響力は極めて強かった。現在も祭典や集会、講演会などを主催して居る。公安警察・公安調査庁の調査対象である[2]。不二歌道会は1941年(昭和16年)創立の「新国学協会」に発し、大東塾塾長の影山が主宰した全国組織で歌道普及を目的としている。「新国学協会」には保田與重郎、林房雄、浅野晃、三浦義一、尾崎士郎、長谷川幸男らが同人として参加した。
月刊『不二』を発行。1947年(昭和22年)より毎年宮中勤労奉仕、勅題詠進、新穀献上を行う。伊勢神宮御造営奉賛活動、紀元節復活運動、「自衛隊内神社問題活動」、二重橋事件問責活動、明治維新百年祭運動、明治神宮復興奉賛活動、皇居防衛部隊設置要請活動、八月一五日慰霊行事運動、勤皇村建設運動、靖国神社国家護持運動、元号法制化実現活動などを展開した。また前代表・鈴木正男が昭和天皇御製集「昭和天皇のおほみうた―御製に仰ぐご生涯」を刊行。
影山は元号法制化を最後の活動として1979年(昭和54年)5月25日に青梅の大東塾農場内で「一死似て元号法制化の実現を熱祷しまつる」と書かれた遺書を残し割腹自決した[3]。影山の自決から12日後の6月6日に元号法が成立した。塾長を継いだ長谷川は病没。2003年(平成15年)には、塾長格の鈴木が同じ農場内で自決。
現在も保守系の集会などで大東塾関係者を見ないことはなく、一貫不惑の維新運動を展開している。
本部の大東会館は東京都教育委員会認可の一般財団法人。主に神道・国学・歌道関係者及び学生のための研修施設を設置運営。1965年(昭和40年)、学生寮を設立。寮出身者には國學院大學神道文化学部教授の大原康男や國學院大學講師で日本文化総合研究所代表の高森明勅などがいる。
靖国神社国家護持運動
靖国神社の「国家護持」運動、靖国神社国営化法案問題でも大東塾は動きを見せている。日本遺族会会長は、「国家護持」のためには法案が靖国神社の非宗教化を約束したものでなければならないとし、それまでの態度を変えて非宗教化案に応じた。1969年(昭和44年)1月20日、これに憤慨した大東塾塾員が会談中に日本遺族会会長に暴行を加えた(懲役3月・執行猶予2年)。当時の大東塾塾監は会談を斡旋した吉橋敏雄・公安調査庁長官に義理を立て、手の指を一本切った[2]。
その他
現在、文化講座として詩吟教室と短歌教室を開催。武道場ではフルコンタクト空手教室を行う。
脚注
- ↑ 自決した14名の中には影山の父・庄平も含まれており、影山本人は出征中であり、帰国の後に自決の事実を知ったと言う。14名の共同遺書の内容は「清く奉ぐる吾等十四柱の皇魂誓って無窮に皇城を守らむ」である。
- ↑ 2.0 2.1 堀幸雄『戦後の右翼勢力』勁草書房、1993年増補版
- ↑ 小林よしのり 『ゴーマニズム宣言スペシャル・天皇論』 pp.85