キング・カーティス
テンプレート:Infobox Musician キング・カーティス(King Curtis, 本名Curtis Ousley 1934年2月7日-1971年8月13日)は、アメリカ、フォートワース出身のR&Bサクソフォーン奏者。1950年の後半から活躍し、独特の音色とジャンルの枠にとらわれない幅広い音楽性から、亡くなった後も高い人気を誇っている。
来歴
10歳のときに、ルイ・ジョーダンの演奏を聴き、サックスを始める。10代後半からニューヨークでスタジオミュージシャンとしての活動を開始し、数多くのセッションに参加する。その中で当時人気を集めたドゥーワップグループ「コースターズ」のセッションで披露したユニークなサウンドが評判を呼び、ヒット曲である「ヤキティ・ヤク」から、「ヤキティ・サックス」を呼ばれ、高い人気を誇った。
1959年よりソロ活動を開始し、1962年に発表した「soul twist」はR&Bチャート1位を記録。その後も1964年には「soul serenade」がヒットするなど順調に活躍を続け、1965年に、メジャー・レーベルのアトランティックと専属契約を結び、「Memphis Soul Stew 」などのヒット作をチャートに送り込んだ。ソロアーティストとして活動する一方で並行して、サム、ムーア、アルバート・キング、アレサ・フランクリンなどアトランティック所属アーティストのセッションや音楽監督、プロデュースを行い、アトランティックの音楽性に大きな貢献を果たした。
1971年、ビル・グレアムの企画によって、ライブアルバム製作も兼ね、サンフランシスコのフィルモア・ウェストで開催されたアレサ・フランクリンのコンサートに自身のバンド、キングピンズで参加。前座とバックバンドを務め、その迫力のある刺激的な演奏は、音楽性や人種の壁を超え、幅広い層を魅了した。
しかし、6ヵ月後の1971年8月、ジョン・レノンのアルバム、「イマジン」のリハーサルを終えた夜、ニューヨークの自宅アパートメント前にて新品の窓用エアコンを担いでの帰宅時に、麻薬中毒者と口論になり、ナイフで刺され、そのまま搬送先の病院で死亡した。
音楽性
サックス奏者としては、唯一無比の音色を持ち、その力強く深みのある演奏はトム・スコット、デイヴィッド・サンボーン といったサックス奏者を初め、ジョン・レノンやギタリストのデレク・トラックスなど人種の壁を超え、多くのミュージシャンに愛されている。
また、毎回、手がけた楽曲がヒットチャートの上位にランクインさせるほど優れた作曲家であった一方で、アレンジャーとしても卓越した才能を誇り、ライブやレコーディングにおいては、オリジナル曲に加え、レッド・ツェッペリンの「胸いっぱいの愛を」やプロコル・ハルムの「青い影」など、白人層のロックミュージックから、スティービー・ワンダーやバティ・マイルスなど当時の新進気鋭の黒人音楽家の楽曲を取り入れるなど、幅広く、柔軟な音楽性を示した。
内容についても、エレキギターを全面的に出し、激しいギターソロやリフを組み込むロック寄りの要素に、ドラムとエレキベースの複雑なシンコペーションとポリリズムで楽曲にテンポをつけるなど、当時隆盛であったファンクの要素を取り入れ、これまでのR&Bにはない力強く斬新なアレンジを行った。
こうした彼の音楽性は、アトランティックの音楽性に大きく寄与しただけでなく、1960年代後半から1970年代までのニューソウルの流れやその後に発展したフュージョンにも大きな影響を与えた。
また、人材の育成にも優れた手腕を発揮し、彼自身のバンド、キング・ピンズからは、ジェリー・ジェモット、バーナード・パーディ、コーネル・デュプリー、チャック・レイニー、ジミ・ヘンドリックスなど、1960〜70年代に活躍した優れたミュージシャンを輩出。また、当時、無名であったダニー・ハサウェイの発掘し、プロデビューの機会を作ったことでも知られる。