唐菓子
唐菓子(からくだもの)は唐朝から伝わったという菓子で、米粉や小麦粉などの粉類に甘葛(あまずら)の汁など甘味料を加えてこね、果物の形を造った後、最後に油で揚げた製菓を言う[1]。からがし、とうがしと読むこともある。
狭義の唐菓子は、下記の「八種唐菓子」に限定されているようだ。これは特別の行事・神仏事用の加工食品と言える。というのは、日常的に作られていなかったようで、製法が詳細に記述された文献があるからだ。八種以外の加工食品には製法の記述に省略が見られるものがある。広義の唐菓子は古墳時代末期の出土品、奈良時代、平安時代の文献に名称の記載が見られる製法や形状が似ている加工食品も含めているようだ。唐朝の伝来かどうか疑問のある加工食品にも分類の名称として適用されている。以下の記述は広義の唐菓子について書かれている。
歴史
古墳時代末期の古墳から高坏(たかつき)に盛られた唐菓子を模(かたど)ったような土製品が出土している。大陸から伝えられた唐菓子は小麦粉を用い胡麻油で揚げるなどの技法が用いられ、当時、果実・木の実とその加工品をくだもの<果子・菓子>と記述していたので、こういった嗜好品も菓子と記述する由来になった。平安京の市でも売られ、貴族に愛好されたばかりでなく、神餞として、また仏前にも供えられた。平安時代には、当時の百科事典的な漢和辞書である『倭名類聚抄』に一部のものが特に八種唐菓子と記載された。しかし鎌倉時代末期には、その多くが既に忘れ去られていた。一方、煎餅など一部は形を変えて現在まで残っている。
現存しているものとしては、神社で製造されるぶとが代表的である。また、京都には「清浄歓喜団」(亀屋清永)と呼ばれる団喜が(江戸時代中期以降に現在のように小豆餡を包む様になったので、当初の団喜とは異なるが)現存しており、寺院に奉納される他、和菓子として市販もされている。なお、饅頭、羊羹、ういろう、落雁、月餅、一口香、求肥なども中国から渡来してきたものだが、これらの鎌倉時代以降に渡来したものであり、唐菓子には含められていない。
唐菓子の種類
八種唐菓子
- 梅枝(ばい・し)
- 米の粉を水で練り、ゆでて梅の枝のように成形し、油で揚げたもの。
- 桃枝(とう・し)
- 梅枝と同様に作り、桃の枝のように成形したもの。
- 餲餬(かっ・こ/かんこ)
- 桂心(けい・しん)
- 黏臍(てん・ぜい/てん・せい/でん・せい)
- 饆饠(ひち・ら/ひら)
- 鎚子(つい・し)
- 米の粉を弾丸状に丸めて煮たもの。
- 歓喜団(かん・ぎ・だん/かんきだん)
八種以外
- 索餅(さくべい)
- 煎餅(せんべい)
- 小麦粉や米の粉をこねて薄く成形し、油で焼いたもの。奈良時代までに伝えられた。現在の煎餅のもと。
- 糫餅(かんべい/和名:まがり)
- 餢飳(ぶと)
- 粔籹(きょじょ/こめ)
- 『和名類聚抄』には"粔籹は巨女(きょじょ)の二音、和名はおこしごめ、蜜を穀物に加え焼いて作られる"とある。いまは、糯米(もちごめ)の糒(ほしい)や粟(あわ)に砂糖・水飴をからめて固められたものが『おこし』と呼ばれている。
- 餅餤(へいだん)
- 結果(けっか)
- 小麦粉を練って緒のように結び、油で揚げたもの。加久縄(かくのあわ)とも。
- 餺飥(はくたく)
- 粉熟(ふずく)
- 椿餅(つばいいもち)
- 現在の桜餅(関西風)に酷似しており、中国伝来ではなく日本起源とも。
脚注
参考文献
- 『文化史総合演習 成果報告 奈良女子大学大学院人間文化研究科(博士前期課程)国際社会文化学専攻「女性の高度な職業能力を開発する実践的教育」(組織的な大学院教育改革推進プログラム)2011年3月;2 菓子の文化史:平安時代の菓子(1)『延喜式』における「諸国貢進菓子」(2)文学作品にみえる加工菓子(3)唐菓子(4)まとめ (5)註』
- 『菓子の文化誌』 赤井達郎著、河原書店、2005年(平成17年6月7日発行)[p13]
- 『和菓子風土記』 鈴木晋一・監修、平凡社、2005年;日本の菓子史話 2唐菓子の登場[p43] 3唐菓子銘々伝[p56] 4「最初の和菓子」椿餅のこと[p72];いずれも鈴木晋一氏の執筆
- 『茶と美 第12号 茶席の菓子』 表千家編集、茶と美舎、1982年(昭和57年5月10日 発行)
- 『NHK 美の壺 和菓子』編者:NHK「美の壺」制作班 発行者:溝口明秀 [p10]
- 『よみがえれ!現代のシルクロード 国際都市平城京の暮らしに学ぼう;南アジア「シルクロードを旅しよう」-> 南アジアのお菓子 インド「シャカルパラ」 』
- 『京御菓子司 亀屋清栄のウェブページ 清浄歓喜団』
- 『DigiStyle京都:遣唐使が、伝えた清浄歓喜団 亀屋清栄』テンプレート:Food-stub