浅利則頼

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浅利 則頼(あさり のりより、生年不詳 - 天文19年6月18日1550年7月31日)は、出羽浅利氏の中興の祖。浅利則祐浅利勝頼の父。甲斐源氏の一党。

新羅三郎義光=武田冠者義清=逸見冠者清光=浅利義遠---浅利六郎四郎清連---浅利則章---浅利貞義---浅利朝頼---浅利則頼=浅利則祐の系脈を持つが、天文19年(1550年)平穏な内に没する。

智勇文武音曲に優れた人物で、特に琵琶を愛した。独鈷城を小豪族比内浅利氏の本拠地として、比内地方に一大勢力を拡大した。現在の二ツ井町荷上場館平城から上津野(鹿角)地方までを席巻し、各地の郷氏を併合した。独鈷城・笹館城花岡城扇田長岡城を主力とし、西の守りには娘松の方婿、牛欄八木橋城に配置して守りを固めた。

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