黒田斉隆
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黒田 斉隆(くろだ なりたか、安永6年9月21日(1777年10月21日) - 寛政7年6月23日(1795年8月7日))は、江戸時代後期の大名。筑前国福岡藩第9代藩主。
一橋徳川家2代当主・徳川治済の三男で、第11代将軍徳川家斉の同母弟(母は側室・於富(岩本正利の娘))。第7代藩主黒田治之の甥に当たる。正室はいない。側室に真妙院。子に黒田斉清(長男、秋月藩主黒田長舒の四男という説あり)。官位は従四位下侍従、筑前守。幼名は雅之助。家斉から偏諱を授かり斉隆と称した。
天明2年(1782年)12月19日、福岡藩主黒田治高の末期養子として家督を相続する。天明3年(1783年)、重臣等の献策により藩儒竹田定良と儒医亀井南冥に藩校を創建することを命じ、翌年の天明4年(1784年)、定良が修猷館(東学問稽古所)(現・福岡県立修猷館高等学校)、南冥が甘棠館(西学問稽古所)を開館している。寛政2年(1790年)10月15日、従四位下侍従・筑前守に叙任する。寛政7年(1795年)6月23日、死去。享年19。幕府には同年8月24日死亡と届け出た。跡を長男・斉清が継いだ。