北九州短期大学
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テンプレート:大学 (廃止)学生募集は1976年度まで。財政状況の悪化により学生募集を停止した後、資産は競売にかけられ、20年以上にわたって校舎や校地もなく休眠状態が続いていた。2004年10月22日ついに正式廃校[1]。北九州女子短期大学や北九州市立大学とは無関係である。
目次
概要
大学全体
- 北九州短期大学は、1967年に学校法人筑豊学園のもとで直方市に九州法科短期大学として設置されたことにはじまる。1972年に法人名と学名改称される。法科のみの単科短大で1学年定員は150名→100名と小規模であった。
教育および研究
学風および特色
- 北九州短期大学は勤労の傍らで学業に勤しむ人々に大学教育を開放することのねらいから夜間部のみが設けられていた。修業年限は2年制となっていた。
沿革
- 1967年 西日本短期大学から分離して直方市に九州法科短期大学(きゅうしゅうほうかたんきだいがく)開学。運営主体は学校法人筑豊学園。
- 法科150名
- 1972年4月28日 北九州市に移転して北九州短期大学に学名変更。法人名を学校法人北九州学院に変更。
- 1976年度をもって募集を終了。
- 1978年3月に最後の卒業生27人が卒業した[3]。
- 2004年10月22日 廃校[1]。
基礎データ
所在地
- 福岡県北九州市八幡西区皇后ヶ崎町1-17
教育および研究
組織
学科
- 法科第二部
- 法律専攻
- 税法経理専攻
専攻科
- なし
別科
- なし
年度別学生数
年度 | 入学定員 | 総定員 | 学生総数 | 参照および備考 |
---|---|---|---|---|
1967年 | 150 | 150 | 男135 女18 |
[4] |
1968年 | 150 | 300 | 男168 女54 |
[5] |
1969年 | 150 | 300 | 不詳 | [6] |
1970年 | 150 | 300 | 男151 女19 |
[7] |
1971年 | 150 | 300 | 男120 女18 |
[8] |
1972年 | 150 | 300 | 男163 女22 |
[9] |
1973年 | 100 | 250 | 男264 女52 |
[10] |
1974年 | 100 | 200 | 不詳 | [11] |
1975年 | 100 | 200 | 男110 女36 |
[12] |
1976年 | 100 | 200 | 男63 女26 |
[13] |
1977年 | 100 | 100 | 男26 女10 |
[14] |
1978年 - | - | - | 休校中 | [15] |
附属機関
- 社会体制研究所
- 経理経営研究所[2]
大学関係者と組織
大学関係者一覧
大学関係者
歴代学長
施設
キャンパス
対外関係
系列校
社会との関わり
- 2004年10月19日付にて、文部科学省より学校法人北九州学院に対し、学校運営に必要な施設などを長期間にわたり設置せず必要最低限の学習環境を維持できていないとして、私立学校法に基づき解散命令が出された。廃校は、冒頭にあるように10月22日。
卒業後の進路について
編入学・進学実績
参考文献
- 『全国学校総覧』
- 『短期大学一覧』
- 『日本の私立短期大学』(日本私立短期大学協会発行:1980年)
- 『全国短期大学高等専門学校一覧』(文部省高等教育局技術教育課監修)
- 『短大蛍雪』(全国短大&専修・各種学校受験年鑑シリーズ。旺文社)
- 『全国短期大学受験要覧』(廣潤社)
- 『全国短期大学案内』(教学社)
- 『全国短期大学受験案内』(晶文社)
- 『全国短期大学案内』(梧桐書院)
脚注
関連項目
- 酒田短期大学 - 北九州短期大学と同じように2004年7月の学校法人瑞穂学園に対する解散命令として。
- 富士見丘女子短期大学 - 北九州短期大学と同じように最後の卒業生を輩出してから廃止にならずに休校状態になっていた短期大学。
- ↑ 1.0 1.1 平成23年度『全国短期大学高等専門学校一覧』293頁より
- ↑ 2.0 2.1 2.2 『全国短期大学受験案内 75』479頁(晶文社)
- ↑ 昭和53年度版の『全国学校総覧』53頁では在学者数は36(うち女子10)と記録されている。
- ↑ 昭和43年度版『総覧』(以下、『総覧』と略する。)43頁「九州法科短期大学」
- ↑ 昭和44年度版『総覧』46頁
- ↑ 昭和45年度版『総覧』46頁に記載はあるが、学園紛争により当年度の学生数の情報収集ができず、便宜上昨年度と同数で表示されている。
- ↑ 昭和46年度版『総覧』47頁
- ↑ 昭和47年度版『総覧』46頁
- ↑ 昭和48年度版『総覧』49頁
- ↑ 昭和49年度版『総覧』50頁
- ↑ 昭和50年度版『総覧』52頁に記載はあるが、諸事情によりやむを得ず、昨年の学生数が表記されている。
- ↑ 昭和51年度版『総覧』55頁
- ↑ 昭和52年度版『総覧』54頁
- ↑ 昭和53年度版『総覧』53頁
- ↑ 昭和54年度版『総覧』55頁
- ↑ ちなみに西鉄北九州線は2000年に廃線となっている。