松代町 (新潟県)

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テンプレート:Infobox 松代町(まつだいまち)は、新潟県の南西にあった東頸城郡の東端に位置していたである。2005年4月1日十日町市および東頸城郡松之山町中魚沼郡川西町中里村と合併し新設の十日町市となったため消滅した。

地理

  • 山:
  • 河川: 渋海川、鯖石川、越道川
  • 湖沼:

隣接していた自治体

歴史

古くは、松之山町と松代町をあわせて、松山保(まつやまほ)と呼ばれていた。保は、都の官人の主導で開発された国の直轄地。

  • 寛治3年(1189年)
「寛治の古絵図」(往昔越後国之図)に松埜山次郎の名があり、「松埜山が領する所方20里大沼郡とす」と記載されている。つまり、松埜山家はおおぬま(魚沼)郡20里四方を支配した地方豪族でだったと考えられる。
  • 建武4年(1337年)
仁木義有が足利尊氏から松山保の地頭に任じられる。その補任状では、松山保は、右馬権守義時の跡と記載されている(「仁木文書」「新潟県史」資料編5)。但し、右馬権守義時に該当する人物は特定できない(あるいは、右馬権守北条茂時、右馬権守北条師時または左馬権頭北条高時の誤記または誤読とも考えられるが定かでない)。
  • 興国2年(1341年)ころ
当時の松山保の中心地と考えられる犬伏城に北朝方の原田喜太郎が居住。
  • 貞治(1362-1368年)ころ
越後守護、上杉憲顕の家臣、丸山弾正が犬伏城に居住。
  • 貞治(1362-1368年)ころ
室野城主、南朝方の渡辺民部太夫、館を攻められ敗死。
  • 長禄2年(1458年)
足利将軍の近習中次之衆、伊勢盛種が松山保を所有。
  • 長禄4年(1460年)
松之山高館城主、伊勢盛富、盛種父子が、松之山上川手に観音寺建立。このころ松山保が伊勢氏の所領であったことが伺える。
  • 明応6年(1494年)
松苧大権現本殿建立
  • 永正4年(1507年)
越後守護上杉房能、守護代長尾為景に攻められ、兄の上杉顕定を頼り関東へ逃亡中に、上ノ山(現在、松代小学校付近)で合戦。退却し、松之山天水越で自刃。犬伏城主、清水采女正も房能とともに自刃
  • 永正ころ
房能の後の越後守護上杉定実の推挙で松山将監が犬伏城主になる。後に上杉謙信の意に沿わずに除かれて仏門に入る。
  • 永正6年(1509年)
幕府から長尾為景に、横領している上杉憲房方の伊勢盛正(盛種の子)の旧領・越後松山の返還を命じる御内書が送られる(小田原北条記)。
  • 天文21年(1552年)ころ
上杉政虎が、春日山から松代を経て三国峠に抜ける軍道(江戸時代の松之山街道)を整備し、宿営地である犬伏城を整備。この頃、犬伏城には箕冠城主の大熊備前守朝秀が赴任し、代官として家臣の針生藤兵衛久吉が常駐。大熊備前守朝秀は犬伏に林蔵寺を建立し、先の城主松山将監を林蔵寺の別当に迎える。
  • 永禄4年(1561年)
上杉政虎が関東管領を拝命し、松苧大権現に短刀と軍配を奉納。
  • 天正6年(1578年)
御館の乱勃発。犬伏城では、上杉景勝方の小森沢政英、毛利秀広、吉益伯耆守、荻田与三衛門、長尾筑後守らが集結。
  • 慶長10年(1610年)
松平忠輝が福島城(上越市)に封ぜられる。このころにはすでに、松之山町と松代町をあわせて松之山郷と呼ぶようになっており、松之山郷は北組と南組に分けられていた。北組がほぼ松代町、南組がほぼ松之山町に相当する。伝承では、北組の中心の松代地区はもともと松平と呼ばれていたが、江戸時代に松平氏に遠慮して松代と改称した。
  • 寛永元年(1624年)
松平光長が高田に入封。松代地区に代官陣屋が置かれ松代地区が栄え始める。松之山街道も整備され往来も多くなった。
  • 延宝5年(1677年)
代官、鳴海九エ門が、松苧大権現中院の脇立および本殿の大般若経600巻を持ち去る。訴訴に発展
  • 天和元年(1681年)
越後騒動により松平光長は伊予松山藩に配流。
  • 天和2年(1682年)
松代の陣屋廃止。六斎市(観音祭り)も廃止。

沿革

  • 1901年(明治34年)11月1日 - 東頸城郡峰方村松平村伊沢村が合併し、松代村(まつだいむら)を新設。
  • 1954年昭和29年)
    • 3月31日 - 東頸城郡山平村と合併し松代村を新設。
    • 10月1日 - 町制施行し松代町となる。
  • 1956年(昭和31年)
    • 1月1日 - 大字清水の一部を分離し刈羽郡高柳町に編入。
    • 4月1日 - 大字荒瀬(一部)・苧島(一部)・滝沢(一部)を分離し中魚沼郡仙田村に編入。
  • 1959年(昭和34年)1月1日 - 東頸城郡奴奈川村を編入。
  • 1967年(昭和42年)4月1日 - 中魚沼郡川西町の一部を編入。
  • 1985年(昭和60年)4月1日 - 大字田代を分離し刈羽郡高柳町に編入。
  • 2005年平成17年)4月1日- 十日町市および東頸城郡松之山町、中魚沼郡川西町・中里村と合併し、十日町市を新設して消滅した。

行政

  • 町長:関谷 達治(1989年5月18日から)

経済

産業

  • 主な産業
  • 産業人口

姉妹都市・提携都市

国内

海外

地域

健康

  • 平均年齢

教育

交通

  • 東部タクシー

鉄道路線

道路

高速道路
市町村内にあるインターチェンジ:なし
一般国道
市町村内を走る一般国道:国道253号国道353号国道403号
都道府県道
市町村内を走る県道:

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

旧松代町の属する地方について

  • 旧松代町と旧松之山町は、新潟県の地方区分において上越地方中越地方のどちらに属するかが場合によって異なっていた。新潟県の地方区分は基本的に郡で区分される。そのため、合併によって十日町市となる以前は東頸城郡で会った両町は、上越地方に区分されていた。また、気象予報の注意報・警報の発表区域も上越地方の上越東頸城地域に属していた。しかし上越地方よりも中越地方の十日町市と生活圏が重なっていたため、区分が難しい地域であった。
  • 市町村合併で新設の十日町市となったが、中心都市の旧十日町市が中越地方であったため、旧両町の地域を何地方に区分するかはさらに難しくなった。気象注意報・警報の発表区域においては合併後もしばらく上越地方に属していたが、2005年7月7日から中越地方の十日町地域に移された。

出身有名人

参考文献

  • 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。

関連項目

外部リンク


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