シネマテーク9
伸さんのシネマテーク9(のぶさんのシネマテークナイン)は青森放送ラジオ番組の映画音楽番組である。2002年4月1日(月)午後9時から午後10時までの1時間番組でスタート、ナイターオフには20分、ナイターインには30分の放送。2006年10月現在の放送時間は土曜8:25-8:45。
パーソナリティは映画好きな青森放送アナウンサー鈴木伸夫。
概要
かつて「ナイトブリッジ・フォー・ユー」枠内で放送された番組の現代版。
番組タイトルの「シネマテーク」はフランス語で映画を収集・保存する施設の意味、すなわち「映画の博物館」。タイトル末尾の9は、当初スタートが午後9時から放送されたことと、1回の放送で約9曲をオンエアすることに由来するものである。
番組のキャッチコピーは、「映画は世界の共通語 映画は文化のバロメーター」。
内容は題名通り映画音楽を放送する番組。リスナーからもリクエストを受け付ける。
監督や俳優など映画関係の物故者を追悼する企画や、映画のサウンドトラックを使い、「ラジオで映画をみせる」という「ラジオ映画劇場」と題した特集もある。
2004(平成16年)2月中旬-3月中旬、鈴木伸夫の病気で、伊東幸子アナや米澤章子アナが代打を務めた。その後2004年3月に復帰している。代打放送時は番組タイトルから「伸さんの」がとれて「シネマテーク9」として放送した。
タイトルコールは秋山博子アナウンサー。2006年(平成17年)3月27日の放送で200回を迎えている。なお、番組改編により、2006年10月より放送時間帯を土曜朝に移す。
しかし近年では景気低迷などの影響で『民間放送の宿命』により、2008年6月28日をもって最終回を迎え、前身時代から約38年:通算1081回の歴史に幕を下ろすこととなった。[1]
放送時間の移り変わり
- 2002年4月 - 9月(第1回 - 第27回) - 21:00 - 22:00(60分)
- 2002年10月 - 2003年3月(第28回 - 第52回) - 21:30 - 22:00(30分)
- 2003年4月 - 9月(第53回 - 第78回) - 20:30 - 21:30(60分)
- 2003年10月 - 2004年3月(第79回 - 第97回) - 21:30 - 22:00(30分)
- 2004年4月 - 9月(第98回 - 第122回) - 20:30 - 21:00(30分)
- 2004年10月 - 2005年3月(第123回 - 第147回) - 21:30 - 21:50(20分)
- 2005年4月 - 9月(第145回 - 第174回) - 20:30 - 21:00(30分)
- 2005年10月 - 2006年3月(第175回 - 第200回) - 21:30 - 21:50(20分)
- 2006年4月 - 9月(第201回 - 第226回) - 20:30 - 21:00(30分)
- 以上が月曜日の放送。
- 2006年10月 - 2008年6月 - 土曜8:25 - 8:45(20分)
※ 特別番組等による休止、時間短縮の場合がある。
シネマテーク9への変遷
現在の「シネマテーク9」の前身として、「ナイトブリッジ・フォー・ユー 映画音楽専科」、「ナイトブリッジ・フォー・ユー シネマテーク005(ダブルオーファイブ)」がある。いずれも鈴木伸夫が担当しており、映画の話題や映画音楽を放送する内容である。
- 「ナイトブリッジ・フォー・ユー 映画音楽専科」(ナイトブリッジ・フォー・ユー えいがおんがくせんか)
- 1970(昭和45年)10月5日(火)30分番組でスタート。1971年1月から1時間番組となる。鈴木伸夫と江口哲子のコンビ、ディレクター石戸芙沙子(現在 榊)、1971年10月6日まで二人コンビで放送。1973年3月28日放送終了(全125回)。
- 「ナイトブリッジ・フォー・ユー シネマテーク005」(ナイトブリッジ・フォー・ユー シネマテークダブルオーファイブ)
- 1976(昭和51年)4月9日から1982(昭和57年)3月26日まで6年間・計310回放送。タイトルの"005"は、放送開始当時午前0時05分スタートだったことから、映画「007シリーズ」をもじってつけられたもの。
前身として、1975(昭和50年)10月から1976(昭和51年)3月までの6ヶ月間、「ナイトブリッジフォーユー粋な水曜日(-いきなすいようび)」が番外編としてある。構成作家は伊奈かっぺい。
脚注
テンプレート:脚注ヘルプ- ↑ シネマテーク9、38年の歴史に幕(東奥日報ウェブ版:2008年6月27日<※:全文閲覧は東奥日報購読者且つ『東奥ウェブ読者くらぶ』会員登録が必要>)