口永良部島
テンプレート:Pathnav テンプレート:Infobox 口永良部島(くちのえらぶじま)は、屋久島の西方約12kmに位置する島である。近隣の屋久島や種子島などとともに大隅諸島を形成する。島はひょうたん型をしており、全域が屋久島国立公園となっている。
温泉が豊富にあるほか、島の周辺は魚釣りのポイントも多いため、1年を通して観光客が訪れている。
なお、地名(行政区画)としての「口永良部島」の呼称は鹿児島県熊毛郡屋久島町の大字となっており、全島がこれに該当する[1]。
目次
地勢[2]
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- 面積:38.04km²
- 周囲:49.67km
- 長径:12km
- 最大幅:5km
- 最高点:657m(古岳)
- 人口:147人
- 世帯数:78戸
集落
島の中心は港のある本村地区で、島の人口の大半が集中している。同地区には、役場出張所や商店、学校、ガソリンスタンド等が立地している。
- 本村
- 岩屋泊
- 新村
- 田代
- 向江浜
- 湯向
火山
口永良部島は、薩南火山群島最大の火山島(活火山ランクB)[3]である。複数の安山岩質の火山からなり特に東側の火山は新鮮な火山で仁田尾山(526m)・三角点山(600m)・古岳(657m)・新岳(626m)があり、現在活動している新岳には山頂に直径200mの火口がある。記録に残る1841年以降だけでも幾度となく噴火しており、このうち1841年と1933年 - 1934年(数回にわたる)の噴火では死者も出ている[4]。2014年8月3日、午後0時24分ごろに約34年ぶりに噴火。噴煙が高さ800m以上に達し、火口から約4キロ離れた高台に住民が自主避難。噴火警戒レベルを1(平常)から3(入山規制)に引き上げた[5]。
歴史
口永良部という地名は江戸期より見え、当時は「口之永良部島村」と称しており、大隅国馭謨郡(ごむぐん)屋久島のうちであった。村高は「天保郷帳」では142石余、「鹿児島県史」では184石余であったが、全て島役の扶持米として支払うこととなっていたという[6]。
1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、屋久島の北部にある7村と口永良部島村が合併し島域の全体が、上屋久村の大字「口永良部島」(1958年(昭和33年)の町制施行の際も同様)となり[6]、2007年(平成19年)に上屋久町が屋久町と合併し屋久島町となり、屋久島町の大字「口永良部島」となった。詳しくは、「口永良部島・歴史年表」[7]を参照。
行政
町役場の出張所があり、行政に関わる業務のほかフェリー乗船券の発券業務なども行っている。
- 屋久島町役場口永良部出張所
医療
診療所が1軒ある。また、救急医療の場合はヘリコプターにより鹿児島市内の病院へ搬送することができる。
- 口永良部僻地出張診療所
教育
小学校と中学校がそれぞれ1校ずつ設置されているが、いずれも各学年0人または一桁の児童・生徒数である[8]。なお、小学校では複式学級の編成がとられている。
両校とも、里親方式による山村留学「南海ひょうたん島山海留学制度」を実施している。このほか、三島村の各島との交流も盛んに行っている(主に漁船で移動)。
屋久島町から区域外の高校を受験するさいにはいわゆる「5%枠」の適用があるが、島民は同枠の適用から除外されている。
産業
町営および私設の牧場がいくつかあり、牛が放牧されている(たまに道端で出会う事がある)。
明治中頃には硫黄の採掘が行われており、一時期は人口が1,000人を超えた頃もあった。しかし、1931年に発生した新岳火口の噴火によって向江浜事業所は破壊され、新たに建設された七釜出張所も1933年に発生した噴火により多大な被害を出して壊滅し閉鎖された[11][12]。
商業
島で唯一の金融機関として「口永良部郵便局」が立地している。
商店は、Aコープの出張所のほか2件が立地している。
宿泊施設は、本村・前田・田代・湯向の各集落に民宿がある。
温泉
- 本村温泉 - 本村に共同浴場がある。2008年に改築された施設内には、37.8℃の源泉がそのまま注がれた湯船と加温した湯船がある。
- 西ノ湯温泉 - 西ノ浜地区にあり、湯小屋は廃材で造られている。潮汐によって湯面が上下する。
- 寝待温泉 - 寝待地区にあり、共同浴場が1軒ある。集落の廃屋を利用した湯治客向けの借家が数件ある。
- 立神海中温泉 - 同地区の海岸から湧出する野湯。
- 湯向温泉 - 湯向地区にある温泉。共同浴場が1軒ある。※詳しくは、当該項目を参照。
- Nishinoyu Spa Kuchi-Erabu Island Kagoshima JAPAN.jpg
西ノ湯温泉
- Nemachi Spa Kuchi-Erabu Island Kagoshima JAPAN.jpg
寝待温泉
- Yumugi spa 2007.jpg
湯向温泉(外観)
- Yumugi Spa Kuchi-Erabu Island Kagoshima JAPAN.jpg
湯向温泉(内部)
交通
町営航路(フェリー)が1日1往復、屋久島および種子島とを結んでいる[13]。なお、島内に公共交通機関は無い。
町営航路
町営による船舶事業は1972年、民間の折田汽船が運航していた航路の撤退を受けて同年12月より運航が開始された。なお、当島と他島を結ぶ唯一の公共交通機関であることから、1973年10月に国庫補助航路となった。
しかし、慢性的な歳入不足および「フェリー太陽」の建造時における資金調達計画の不備などにより町の船舶事業特別会計が慢性的な資金不足となっていることから「経営健全化計画」が策定され、2009年度から4年間の計画で実施されている。[14]
船舶
- フェリー太陽[15]
- 1997年5月竣工、翌月就航。408総トン[16]、全長53.0m、幅10.5m、出力3,600馬力、航海速力15.0ノット(最大16.5ノット)。
- 旅客定員100名。車両積載数:乗用車3台、バス2台。井筒造船所建造。
沿革[14]
- 1972年6月 - 折田汽船が、口永良部島と屋久島を結ぶ航路からの運航撤退を表明。
- 1972年12月 - 町営船「太陽丸」(52トン)が就航する。
- 1973年4月 - 屋久島から種子島へ航路を延長する。
- 1982年5月 - 「第2太陽丸」(199トン)が就航する。
- 1997年6月 - 「フェリー太陽」(499トン)が就航する。
- 2009年度以降 - 経営健全化計画を実施する。
周辺自治体
その他
- 郵便番号 - 〒891-4208(島全域)
- 市外局番 - 0997
- 大隅諸島・奄美群島の市外局番は全て0997だが、口永良部島のMA(市内通話地域)は島内および屋久島に限られるため、これ以外の地域に電話を掛けるさいは市外局番を付ける必要がある。なお、鹿児島MAおよび県内離島への通話は隣接MA扱いとなる。
- 島の発電所は、旧金岳小学校の敷地内にある。
- 屋久島に生息するヤクシマザルが、海を泳いで島に渡ってくる姿が島民によって目撃されている。
- エラブオオコウモリが生息している(オオコウモリの生息北限)。
- 一般には「くちのえらぶじま」と表記するが、島内や周辺地域では「くちえらぶじま」または「えらぶ」と言う場合もある。
参考文献
- 『日本の島ガイド SHIMADAS(シマダス)』第2版 p.1060-1062 (財団法人日本離島センター、2004年7月) ISBN 4931230229
脚注
外部リンク
- 屋久島町ホームページ(公式サイト)
- 口永良部島ポータルサイト
- 口永良部島便り(私設サイト)
- 火山カメラ画像 - 気象庁
- ↑ 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.978
- ↑ SHIMADAS (2000年国勢調査などのデータ)ほか。
- ↑ 噴火警報、噴火予報の発表状況 - 噴火予報、警報解除 平成24年1月20日11時00分 気象庁
- ↑ 気象統計情報>火山>九州の活火山>口永良部島 - 気象庁
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 6.0 6.1 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.257
- ↑ 「口永良部島ポータルサイト」 えらぶ年寄り組
- ↑ 出典は、各学校の公式サイトより。(2010年12月5日閲覧)
- ↑ 金岳小学校(公式サイト)
- ↑ 金岳中学校(公式サイト)
- ↑ 生活誌 屋久島に生きて 上屋久町教育委員会 1984
- ↑ 上屋久町郷土誌 1984
- ↑ フェリー太陽運航情報 - 屋久島町(2010年12月5日閲覧)
- ↑ 14.0 14.1 経営健全化計画書 - 屋久島町(2010年12月5日閲覧)
- ↑ 日本のカーフェリー -その揺籃から今日まで-(世界の艦船 別冊) p.285 - 海人社(2009年3月発行) ISBN 4910056040393
- ↑ 出典によって数値が異なるがそのまま記述した。