「どおくまん」の版間の差分
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2014年8月18日 (月) 07:13時点における最新版
テンプレート:Sidebar with collapsible lists どおくまんは、日本の漫画家グループ。1960年代から活動を始めた大阪市東淀川区出身の4人組の共同ペンネームである。「独立大阪漫人集団」(どくりつ-おおさか-まんじん-しゅうだん)を略したもの。漫画内では「どプロ」と更に略される。リーダーは「独漫」(どおくまん、本名・鈴木和明)。メンバーは「小池たかし(本名・小池隆)」「みわみわ(本名・宮勝彦)」「太地大介(本名・鈴木信治、どおくまんの実弟)」らであり、大阪芸術大学で知り合ったという[1]。
どおくまんという作品のクレジットは、どおくまん本人が執筆する時のクレジットであり、他のメンバーが執筆する作品のクレジットは「どおくまんプロ」となっている。実弟である太地大介が若くして亡くなった後は、独漫が単独で執筆・連載した作品は発表されていない。
人間としての倫理観・節度を失った世界をギャグ漫画として描く。代表作『嗚呼!!花の応援団』は一世を風靡した観もあり、映画化もされた。そこに描かれる世界は、金と暴力と性欲が全てを支配している。これを一読した加藤周一は「およそ人間のなりうる最も下等な状態」と評したという。倫理的には上記のような惨状であるが、「大学の応援団」という軍隊的側面を持つ典型的な体育会系団体をギャグ漫画で表現し、下っ端(1回生=1年生)の悲哀も描いたことは新鮮だった。
しかし、「暴力大将」のような正当派歴史娯楽作品も執筆している。ちなみに、本作品にも「どおくまん独特の泥臭さ」は染み出している。
また、リーダー「独漫」は、『別冊少年ジャンプ』に「花田秀治郎シリーズ」を隔月連載していた1974年に、非商業的漫画を掲載していた雑誌『ガロ』に「どく・まん」名義で「粗相」という作品を持込、掲載されている[2]。
過去に一度だけ、クイズダービーに出演したことがある。
作品リスト
- 嗚呼!!花の応援団(1975年 - ) - 『週刊漫画アクション』にて連載、1976年には日活により実写映画化。
- 熱笑!! 花沢高校 - 『週刊少年チャンピオン』にて連載。初期はギャグ漫画だったが、途中からシリアスな展開に路線変更された。
- 暴力大将 - 『月刊少年チャンピオン』にて連載。戦前~終戦直後の混乱した大阪を舞台に描く。
- 怪人ヒイロ(1985年 - 1988年) - 怪人は「ミラクル」と読む。『週刊少年チャンピオン』にて連載。担当編集者の計算ミスにより、単行本のページ数が足りない状態で連載を終了してしまい、2011年に電子書籍として発売されるまで最終巻が発売されなかった[3]。
- 超人S氏の奮戦 - 『週刊少年チャンピオン』にて連載。
- 怒りの吹田テレビ
- 怒りの家谷タイムズ
- なにわ遊侠伝
- どおくまん作品集(全11巻)
- 花田秀治郎くん - 『月刊少年ジャンプ』にて連載。青春を痛快に描いた作品。
- 摩訶不思議!通販大王 - 『週刊実話』にて連載。
- 京都札の辻下宿(全3巻)
- 黄金探偵(全1巻)
- まかしい屋 - 『アサヒ芸能』にて連載。
- ヤンキー愚連隊 なんぼのもんじゃい!
- GO!GO!清田 - 『アサヒ芸能』にて連載。主人公モデルは巨人時代の清原和博。
- 南吹田大学野球部
- 南千里物語
- なにわの怪商人通販大王がゆく
脚注
外部リンク
- どおくまん青年誌読者用blog - 本人のサイト
- どおくまん少年誌読者用blog - 本人のサイト
- Jコミ無料配信中作品 - Jコミ
- テンプレート:Twitter
- ↑ 須田康成監修『笑論』パジリコP.270
- ↑ 『ガロ』1996年3月・長井勝一追悼号
- ↑ どおくまんが語る幻の「ミラクル怪人ヒイロ」の生原稿発見秘話