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ムラト4世(オスマン語:مراد رابع, 英:Murad IV, 1612年6月16日 - 1640年2月9日)はオスマン帝国の第17代皇帝(在位:1623年 - 1640年)。父はアフメト1世、母はキョセム・スルタン(Kösem Sultan)。オスマン2世の弟、イブラヒムの兄。
1623年、叔父のムスタファ1世の退位で即位。頭脳明晰、勇敢で非常に信仰深く、煙草と酒とコーヒーを禁止し、夜に出かけることも禁止した。しかし、実弟バヤズィトを殺害したり、一説では臨終の際、別の実弟イブラヒムを処刑して、替りに寵臣のシリフダル・パシャに帝位を譲ろうと画策するなど、残忍な行為も多かったという。また、科学を愛していたことからヘザルフェン・アフメト・チェレビが初飛行に取り組む時にも非常に興味を寄せていた(後に側近によりチェレビを流刑とした)。
秩序の乱れた帝国問題を解決するべく取り組みを始め、1624年にサファヴィー朝のアッバース1世にバグダードを含むイラクが奪われると奪還を試み、1638年にイラクへ親征してバグダードを奪還、1639年にアッバース1世の孫サフィー1世と和睦を結びイラク領有を確定させたが、翌1640年に27歳で病死、イブラヒムが後を継いだ。
ムラト4世の煙草嫌いは凄まじく、当時のコンスタンティノポリス(イスタンブール)の人口は100万人いたとされるが、そのうち3万人の喫煙者は彼の手で何らかの処罰を受けたとされる。また、イラク遠征に従軍していた書記が『宿営日誌』に書き残し、ムラト4世の遠征時の様子と往復路が詳細に記されている。また、コーヒーに対しても厳しい禁令を出している。