オスマン2世

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オスマン2世テンプレート:Lang-otaテンプレート:Lang-en-short1604年11月3日 - 1622年5月20日)は、オスマン帝国の第16代皇帝(在位:1618年 - 1622年)。父はアフメト1世、母はマフフィルズ(Mahfiruze Hatice Sultan)。ムラト4世イブラヒムの兄。「ゲンチ」(若いという意味)の愛称で呼ばれている。

生涯

1618年、叔父のムスタファ1世クーデターにより退位したことを受け、14歳の若さで皇帝の座に即いた。

アラビア語ペルシア語ラテン語ギリシア語イタリア語を流暢に話す彼は文学を好む一方、改革者でもあり、特に現存するイェニチェリを改革するべく、軍人達の意向を無視し新しい軍隊編成を取り入れる計画を立てた。しかし、実行前に計画を察知した軍人達に暗殺された。具体的な殺害方法に就いては諸説あるが、「イェディ・クレ(七塔の砦)」の牢内で絞殺されたと思われる。殺害後、遺体から切断された右耳が母太后の許へ送られた。

死後、ムスタファ1世が復位したが翌1623年に退位、弟のムラト4世が即位した。

テンプレート:オスマン帝国皇帝