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2014年8月24日 (日) 14:52時点における最新版

テンプレート:Infobox baseball player 山根 和夫(やまね かずお、1955年8月2日- )は、岡山県真庭市(現役当時は、真庭郡勝山町)出身で、広島東洋カープ西武ライオンズに所属した元プロ野球選手である。現役時代のポジションは、投手1977年にプロ入りし、1990年限りで引退した。

実兄は、都市対抗野球大会に20年連続出場を果たした鈴木政明投手(勝山高校※1967年のドラフト会議で広島から9位指名も入団せず→大昭和製紙※1969年のドラフト会議でアトムズから12位指名も入団せず→ヤマハ発動機→プリンスホテル、和夫と同じく結婚して改姓)。

来歴・人物

1976年のドラフトで広島東洋カープに2位指名されるも、会社に慰留されたこともあり翌1977年に入団した。

入団当時はチームで一番球が速く、150km/hほど出ていたが、コントロールが悪く、入団当初はその投球を問題視されていた。

しかし、投手コーチをしていた安仁屋宗八に選手生命をかけてフォーム改造を直訴すると、フォームをノーワインドアップのスリー・クォーターにしてコントロールが安定した。直球のスピードは落ちたが、新しく覚えた浅い握りの高速フォーク(今で言うSFF)を駆使し主力投手となった。テンプレート:Byには16勝を挙げ、チーム4年ぶりのリーグ優勝に貢献した。

また日本シリーズに弱かったエース・北別府学に代わり、シリーズの主戦投手として活躍。特に1984年の日本シリーズで、この年打撃三冠王を獲った阪急ブレーブスブーマーを鋭いシュートで完璧に抑え、チームに3度目の日本一をもたらした。その後右肩痛のためテンプレート:Byから未勝利に終わったが、テンプレート:Byオフに西武ライオンズへ移籍するとリリーフで復活した。テンプレート:Byに引退。

引退後はRFラジオ日本野球解説者を経て、テンプレート:Byから3年間日本ハムファイターズの投手コーチを務めた。

エピソード

  • コメディアン団しん也に似ているとオフの時の特別番組で言われていた。
  • 達川光男が正捕手になるきっかけを作ったのは山根である(詳細は達川の項を参照)。
  • 結婚の際に婿養子に入ったため、現在の本姓は「清水」である。だが、「野球に関わる仕事をしている時は『山根』の方が通りがいいだろう」ということで、選手・コーチとしてユニフォームを着ている間は「山根和夫」の名でリーグに登録していた他、野球評論家・解説者としても「山根」姓を使用していた。
  • 1984年の日本シリーズで優勝のかかった第7戦に先発。そのまま完投勝利で日本シリーズ胴上げ投手となったが広島カープはこのシリーズを最後に日本一になってないため今のところ(2014年現在)広島カープの投手として最後の日本シリーズ胴上げ投手となっている。

詳細情報

年度別投手成績

テンプレート:By2 広島 9 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 52 12.0 11 2 7 0 0 8 1 0 7 3 2.25 1.50
テンプレート:By2 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 3 0.1 2 0 0 0 0 0 0 0 1 1 27.00 6.00
テンプレート:By2 27 14 5 2 1 8 4 0 -- .667 537 130.1 129 12 23 6 2 83 2 0 48 42 2.91 1.17
テンプレート:By2 35 33 14 2 3 14 13 0 -- .519 958 230.2 233 24 53 6 1 112 2 0 90 76 2.96 1.24
テンプレート:By2 29 28 14 3 6 12 11 0 -- .522 794 195.1 199 18 28 5 3 94 0 1 80 67 3.09 1.16
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テンプレート:By2 10 4 0 0 0 0 2 0 -- .000 88 18.2 31 6 5 0 0 8 0 0 20 20 9.64 1.93
テンプレート:By2 1 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 11 2.0 3 0 2 0 0 0 0 0 1 1 4.50 2.50
テンプレート:By2 西武 6 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 33 7.0 5 1 7 0 1 4 0 0 2 2 2.57 1.71
テンプレート:By2 32 0 0 0 0 5 0 2 -- 1.000 199 49.1 36 4 17 5 0 39 0 0 8 7 1.28 1.07
テンプレート:By2 31 0 0 0 0 6 1 4 -- .857 228 53.1 54 7 16 3 1 29 0 0 25 23 3.88 1.31
通算:13年 278 170 65 12 17 78 64 8 -- .549 5530 1320.1 1348 145 304 34 20 612 12 3 556 486 3.31 1.25
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

記録

  • 初登板:1977年8月25日、対読売ジャイアンツ21回戦(広島市民球場)、7回表1死に4番手で救援登板、1回2/3を無失点
  • 初奪三振:同上、7回表に河埜和正から
  • 初勝利:1979年7月12日、対読売ジャイアンツ15回戦(広島市民球場)、2回表に2番手で救援登板、6回2/3を無失点
  • 初先発:1979年7月31日、対読売ジャイアンツ16回戦(広島市民球場)、5回0/3を2失点
  • 初先発勝利・初完投勝利・初完封勝利:1979年8月5日、対ヤクルトスワローズ17回戦(明治神宮野球場
  • 初セーブ:1983年10月3日、対読売ジャイアンツ25回戦(浜松球場)、6回裏2死に3番手で救援登板・完了、3回1/3を1失点
  • オールスターゲーム出場:2回 (1980年、1984年)

背番号

  • 35 (1977年 - 1979年)
  • 17 (1980年 - 1990年)
  • 84 (1997年 - 1999年)

関連項目

テンプレート:Navboxes テンプレート:広島東洋カープ1975年ドラフト指名選手