京都国立博物館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年8月12日 (火) 02:33時点におけるナレンコ (トーク)による版 (施設: など)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:博物館

京都国立博物館(きょうとこくりつはくぶつかん)は、独立行政法人国立文化財機構が運営する博物館1897年(明治30年)5月に開館した。2013年時点の館長は佐々木丞平

主に平安時代から江戸時代にかけての京都の文化を中心とした文化財を、収集・保管・展示するとともに、文化財に関する研究、普及活動を行っている。平常展示のほかに特別展が1年に2~4回行われている。

開館までの経緯

1889年(明治22年)、東京・上野にあった宮内省所管の「博物館」(東京国立博物館の前身)が「帝国博物館」に改称されたが、この時、京都と奈良にも帝国博物館が設置される運びとなった。

京都の博物館の建設地は、東山七条の現在地に定められた。この地は、近世までは大仏で著名な方広寺の境内の一部であり、1870年から1876年までは恭明宮(明治の神仏分離後、それまで御所の御黒戸に安置されていた仏像や歴代天皇の位牌を安置していた施設)があった。

当初は、「この西洋風の建築が京都になじまない」として、反対運動があったが、陳列館の建設は、1892年(明治25年)に着工し、3年後の1895年(明治28年)に竣工した。

設計者は、奈良国立博物館本館や東京国立博物館表慶館の設計にも携わった、宮廷建築家・片山東熊(とうくま)である[1]。当初3階建てで計画されたが、1891年(明治24年)に発生した濃尾地震でレンガ造2階建ての建物が多く倒壊したことを踏まえ、平屋建てに変更された。

竣工から2年後の1897年(明治30年)5月、「帝国京都博物館」として開館した。

名称の変遷

開館から3年後の1900年(明治33年)には「京都帝室博物館」と改称。この時、東京と奈良の帝国博物館もそれぞれ帝室博物館に改称されている。

1924年(大正13年)2月には、皇太子(後の昭和天皇)の成婚を記念して博物館は京都市に下賜され、「恩賜京都博物館」と改称。第二次大戦後の1952年までは京都市の管轄下にあった。

1952年4月、再び国立となり、現在の「京都国立博物館」と改称されている。博物館は、国立化当初は文化財保護委員会、1968年からは同年新設された文化庁の付属機関であった。

中央省庁再編・独立行政法人制度の発足に伴い、2001年からは独立行政法人国立博物館2007年からは独立行政法人国立文化財機構が運営する博物館となり、今日に至る。

施設

展示館は宮内省内匠寮技師片山東熊設計の本館(特別展示館)と建設中の平常展示館がある。 所蔵品には国宝27件、重要文化財181件(2006年3月現在)が含まれる。また建物自体も、本館、表門(正門)、同札売場及び袖塀が1969年(昭和44年)、「旧帝国京都博物館」として国の重要文化財に指定されており、技術資料参考館(旧恩賜京都博物館陳列品収納用倉庫)が2008年(平成20年)、国の登録有形文化財に登録されている。

上述の本館のほか、1965年に竣工し翌年開館した京都大学名誉教授森田慶一設計の新館(平常展示館)があった[2]。この平常展示館は解体され、平常展示機能を持つ平成知新館(谷口吉生設計、着工2009年1月31日、竣工2013年8月)が建設された。同じ谷口吉生設計の南門ミュージアムショップは2009年に先行オープンした。

旧平常展示館の解体と平成知新館の建設に伴い、平常展示は休止中である(特別展は従来同様に継続される)。

  • 特別展示館(旧・本館) - (片山東熊設計、1895年竣工、重要文化財)
  • 平成知新館 - (谷口吉生設計、2013年竣工)
  • 正門 - (片山東熊設計、1895年竣工、重要文化財)
  • 南門 - (谷口吉生設計、2001年竣工)
  • 事務庁舎
  • 資料棟
  • 管理棟
  • 文化財保存修理所
  • 技術資料参考館 - (1930年竣工、登録有形文化財)
  • 東収蔵庫
  • 北収蔵庫
  • 茶室「堪庵」

コレクション

ファイル:Syaka-Kinkan.jpg
『釈迦金棺出現図』
ファイル:Sui Ten Varna TOJI12TEN.JPG
『十二天像』のうち水天

国宝・重要文化財などの所蔵品のほとんどは、第二次大戦後に文化財保護委員会(のち文化庁)からの管理換えや、館の予算による購入、個人等からの寄贈によって館蔵品となったものである。京博設立の原因の一つに、明治初期に近代化の波に晒され、破損・遺失の危機に直面していた京都一帯の寺社の文化財を保護という事情から、戦前では京都を中心とした社寺からの寄託品が陳列の中心だった。現在も他の所有者からの寄託品は収蔵品の約半分を占めており、国宝・重文の件数も寄託品のほうが遥かに多い[3]

1954年には、国宝の「千手千眼陀羅尼経残巻」、重要文化財多数を含む守屋コレクションの経典類が一括寄贈された。守屋コレクションは経典類と銅鏡の収集家として知られた弁護士・守屋孝蔵(1876年 - 1953年)の集めたもので、彼の没後に遺族から寄贈されたものである。

国宝一覧

独立行政法人国立文化財機構所有、京都国立博物館保管の国宝は以下のとおりである。

交通アクセス

(烏丸口D1、D2のりばから)京都市営バス急行100206208系統「博物館・三十三間堂前」バス停下車、徒歩すぐ。 (八条口のりばから)プリンセスラインバス「東山七条」下車、徒歩1分

参考文献

  • 金澤弘「文化財保護法と京都国立博物館の歩み」『月刊文化財』319号、第一法規、1990

関連項目

テンプレート:Sister

周辺情報

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

ギャラリー

  1. 他に、足立鳩吉(宮内省内匠)も設計に関わったとされる(日本建築学会所蔵写真データベース)。
  2. 「目的と沿革」(京都国立博物館サイト)
  3. 館蔵品は6260件、寄託品は6197件(うち国宝83件、重要文化財630件)(羽田聡 「京都国立博物館」『日本歴史』第701号、吉川弘文館、2006年10月、pp.90-91。