さいか屋

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テンプレート:Infobox テンプレート:座標一覧 株式会社 さいか屋(さいかや、英称:SAIKAYA CO.,LTD)は、神奈川県川崎市川崎区に本社を置く百貨店と専門店ビルを運営する企業。日本百貨店協会加盟。

歴史・概要

創業から関東大震災まで

雑賀衆の末裔とされる岡本傅兵衛が1867年(慶応3年)6月に西浦賀の高砂屋呉服店の丁稚(でっち)奉公から独立して25両の貯蓄を元手に呉服店を開いたのが始まりである[1]

海軍の設置で繁栄し始めた横須賀の将来性を見込んで、妻の兄石渡治郎右衛門が横須賀の磯崎(後の元町で現在の横須賀市本町)に所有していた長屋の一角に1872年(明治5年)10月に雑賀屋呉服店を開業し、浦賀の店舗を妹に譲って横須賀での営業に専念した[1]

こうして浦賀の店を完全に分離したことなどもあり、さいか屋の歴史はこの横須賀での開業からはじまることとされているが、横須賀店の開店当初は浦賀店との商品の交流も非常に多かったため、店員などが重い荷物を背負って1日2往復したとの話も残っている[1]

1878年(明治11年)に最初の店舗に近い磯崎に店を新築したものの2年足らずで火災で焼失したため、新たに土蔵造り2階建てで立て直して復興させた[1]

1905年(明治38年)10月に創業者岡本傅兵衛が死去した際には息子の清次郎が先に死亡していたため、店舗などの財産は当時9歳だった孫の岡本傅之助が引継ぎ、実際の事業の運営は支配人永島延吉が引継いで持続・発展させた[1]

ところが、1912年(大正元年)に支配人の永島延吉が急逝したため、岡本傅之助は翌年の中学校4年生に進級時に退学して店の運営に専念して事業の維持・発展に努めることになった[1]

1920年(大正9年)に海軍工廠のガントリークレーン延長に伴う立ち退きで2年前に建てたばかりの店舗からの移転を余儀なくされ、旭町(現在の横須賀市本町)の大忠呉服店跡(のちの横浜銀行横須賀支店)に移転し、旭町通り(今の国道16号)からドブ板通りまで通り抜けが出来る奥行き約26間、間口約8間の店舗を構え、通り抜けられる点が市民に受けて評価が高まったといわれている[1]

しかし、1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災で店舗が全焼し、商品を含めて当時の額で約40万円もの被害を受けたため、当分の間店員の給与を半額とするなどの対応を盛り込んだ復興五カ年計画を立てて、大滝町15番地(現在の大滝町1丁目10番地)に焼けたトタン板などの廃材を使ってバラックの仮店舗を建設して復興に向けて第一歩を踏み出し、復興計画を予定よりも早く達成した[1]

株式会社化・百貨店化と事業の拡大

復興の成功を受けて1928年(昭和3年)3月1日に[2]従来の合名会社を改組して資本金50万円の株式会社雑賀屋を設立した[1]

この際に店とお客様の一体化を目指して雑賀屋百福会を発足させて、その会員にも1人10株を割り当てて創業家の岡本家と店員以外にも株式を保有してもらう制度を導入した[1]

同年10月3日に木骨鉄筋コンクリート造3階建て約430坪の店舗が完成して百貨店化し、連日多数の客を集めた[1]

1930年(昭和5年)10月に旧横須賀郵便局(現在の横須質信用金庫本店)を改造して別館の徳用品市場を設置し、1931年(昭和6年)3月に均一価格店のさいか屋十銭ストアーを現在の不二屋菓子店の位置に開設するなど事業の拡大を続けた[1]

多店化と運営会社の再編

1956年(昭和31年)4月に[3]株式会社雑賀屋の関連会社だった株式会社川崎さいか屋(現在の株式会社さいか屋)[4]が川崎市小川町1番地の現在地に[3]鉄骨鉄筋コンクリート造り地下1階地上3階で延べ床面積4,926m²で売場面積4,021m²[5]の百貨店を開業し[4]、多店化に乗り出した。

1965年(昭和40年)4月28日[6]には別の関連会社の株式会社藤沢さいか屋(初代)[4]が藤沢市の藤沢駅北口に[6]百貨店を開業し[4]1967年(昭和42年)11月に川崎さいか屋が東京都町田市に[3]鉄骨鉄筋コンクリート造り地下2階地上4階建てで延べ床面積11,472m²の百貨店を開業して町田支店とし[3]1970年(昭和45年)10月に鉄骨鉄筋コンクリート造り地下1階地上6階建てで延べ床面積3,686m²で売場面積2,6516m²の茅ヶ崎支店を開業する[5]など神奈川県内と周辺で多店化を進めていった。

1966年(昭和41年)7月に株式会社雑賀屋の百貨店部門を分割して株式会社横須賀さいか屋を新たに設立して株式会社雑賀屋雑賀屋不動産株式会社に商号を変更して店舗の不動産の賃貸などを行う不動産会社になり[4]、1969年(昭和44年)5月に川崎さいか屋の商号を株式会社さいか屋に変更して[3]同年9月に株式会社横須賀さいか屋株式会社藤沢さいか屋(初代)の2社を合併して百貨店事業の運営会社を一本化した[4]

店舗の増改築や移転・業態転換

川崎店を1964年(昭和39年)11月に延べ床面積21,732m²で売場面積15,591m²に、1973年(昭和48年)11月に延べ床面積33,994m²で売場面積22,118m²に増床し、横須賀店も1974年(昭和49年)4月に延べ床面積21,922m²で売場面積14,761m²に、藤沢店も同年9月に延べ床面積22,3742m²で売場面積14,129m²に増床するなど主要店舗の増床を進めて競争力の強化と売上拡大を図った[5]

その一方で、1976年(昭和51年)10月に町田店を専門店ビル化してジョルナへ業態転換し[3]、1974年(昭和49年)9月の藤沢店増床時に茅ヶ崎店の事業を統合する形で同店を閉店する[5]など店舗網の再編も並行して進められた。

また、藤沢店は藤沢市が進めていた再開発ビルへの高島屋の招致が地元の根強い反対で実現しなかった[7]ため代わりに当社が1978年(昭和53年)6月12日に藤沢駅北口の現店舗を三越との合弁で出店する計画が確定し[8]、1978年(昭和53年)11月22日に株式会社藤沢さいか屋(2代目)が新店舗での営業を開始して[9]藤沢の店舗は再び別法人での営業へ移行すると共に店舗の規模を拡大させた。

そして旧店舗跡に出店した丸井藤沢店の地下1階に食料品専門店の藤沢マーケット店を開店させる[3]など店舗のスクラップアンドビルドも進め、さらに1990年(平成2年)3月に横須賀店新館を開業して[3]延べ床面積28,259m²で売場面積26,714m²に増床し[5]、同年10月にはレストラン街やホールなどの各種サービス施設の入った南館(延べ床面積7,906m²)を開業して[5]3館体制に移行するなど主要店舗の拡大・発展を図った。

さらに1996年(平成8年)に藤沢駅北口の土地を雑賀屋不動産株式会社が取得して再開発構想の中核施設として9,000m²の敷地に藤沢店と競合しないタイプの複合商業施設を建設して店舗周辺の集客力をアップさせる構想も進められていた[10]

また、「地域の活性化があってこそさいか屋の発展がある」との観点から2008年(平成20年)4月時点で店舗を展開している横須賀市と藤沢市と川崎市の各々の商工会議所の活性化プロジェクトなどにも社長自ら関与するなど地域密着の営業活動を展開していた[11]

再建へ

郊外型のショッピングセンターとの競合[12]バブル崩壊後の百貨店売上の低迷を受けてそれまでの設備投資に見合う収益の確保が困難な状況が続いてきたところに、さらにリーマンショックが重なって一段と消費が落ち込んだことから2008年(平成20年)12月に川崎店と横須賀店の近くを通る路線を持つ京浜急行電鉄に第三者割当増資を行って資本・業務提携して再建に乗り出した[13]

しかし、2009年(平成21年)2月期連結決算で売上高約688億円[14]で純損失約26億円[13]で有利子負債が約270億円で債務超過となった[14]ため、同年8月4日に事業再生実務家協会に事業再生ADR(裁判外紛争解決)による再建の申請を行って自主再建の断念に追い込まれた[13]

この再建策の一環として親会社でルーツとなった企業でもある雑賀屋不動産株式会社が解散・清算すると共に、創業者一族の持ち株も私財提供の形で負債返済の一部に当てられることになった[13]

そのため、同社が進めてきた藤沢駅北口のショッピングセンター構想からも撤退し[10]、引き続き百貨店の営業を続ける横須賀店新館と付属施設として使用し続ける同店の南館・北館を2010年(平成22年)2月25日に当社が取得する[15]など同社関連の不動産の処理が進められた。

その他に当社が保有していた川崎店の不動産も2009年(平成21年)12月9日に約76億円で不動産投資を行っているMM投資組合へ売却してリースバックして営業を続ける契約を結んだことを発表され[14]、翌年2010年(平成22年)3月19日に正式に譲渡された[16]

また、3店舗の中で最も不振が深刻だった横須賀店[17]は合理化のためかつての本館だった大通館を2010年(平成22年)5月11日に閉鎖して[18]新館に売場の集約が図られ[19]、同店を含む百貨店として事業を存続する店舗に各種の専門店を導入して集客力の拡大とテナント収入の確保を目指すことになった。

そうした専門店招致の一環として2010年(平成22年)5月に川崎店に洋服のサカゼンを導入した[20]のを皮切りに手芸洋品店のユザワヤが同年7月に川崎店、2011年(平成23年)5月27日に横須賀店に開店して[21]来店客数の増加と賃料による収益の安定的な増加の両立を図っている[20]

その他にも経営合理化の一環として2010年(平成22年)4月末に川崎店の外商が廃止され[22]、同年5月から横須賀店も外商を大幅に縮小して[23]、代わりに両店に外商顧客の来店を促すために同年6月1日に川崎店[22]、同月9日に横須賀店に[23]外商カードを持つ顧客向けのサロンを開設してコンシェルジェが店内での買い物をサポートする仕組みを導入した[22][23]

また、外商に代わる店頭以外の販売手段として2011年(平成23年)2月14日に生鮮食料品など約800品目を午前9時までに発注すれば神奈川県内全域に即日配達するサイトを立ち上げるなどインターネットでの販売力強化も図っている[24]

2010年(平成22年)2月1日に横浜銀行を中心とする7取引行が約26億円の債務免除に応じると共に横浜銀行が約7億円の第三者割当増資を引き受けて債務の株式化(デット・エクイティ・スワップ)を行うなど総額約33億円の金融支援が行われることや、従業員の約30%に当たる当たる200人の希望退職者募集を行うことなどを盛り込んだ事業再生計画が成立した[25]

この事業再生計画の成立に伴い、岡本康英社長が同年3月23日の臨時株主総会後に退任して藤沢店店長の岡本洋三が新社長に就任した[26]。 (岡本洋三は岡本康英の実弟[25]で岡本傅之助の孫である[11]。)

こうした再建策に伴う特別損失として不動産の売却損失約25.39億円や構造改善費用約17.29億円などを計上したため[27]2010年(平成22年)2月期連結決算で純損失約106.33億円となったが、人件費などの経費削減が奏功し、2011年(平成23年)2月期連結決算で純利益約76.68億円と4期ぶりの黒字転換を実現して有利子負債も約175億円まで圧縮された[28]

しかし、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災の影響で東京電力による計画停電の対象地区に全店舗が入るなどして売上が計画を10%ほど下回る状況に陥った[28]ため、同年5月20日に債務弁済の2年間猶予について金融機関から同意を得ている[29]

2010年(平成22年)10月1日からは当社の新しい筆頭株主の京浜急行電鉄の子会社京急百貨店と相互にオリジナル商品を供給しあう業務提携を始めたほか、ICカード乗車券PASMO(パスモ)を利用できるようにするなど京急グループとの提携強化による業績改善にも取り組んでいる[30]

2011年(平成23年)5月に横須賀店が地元の老人ホームと提携してホームが運行する送迎バスに駐車場を無償提供して老人ホーム入居者の定期的な来店を促したり、6月15日から公的年金支給日である偶数月の15日に65歳以上の顧客を対象にしたスマイルシニアデーお買い物券を発売したり、沢山食べられない高齢者世帯を考慮した総菜などの少量パックを拡充するなど高齢者の需要取り込みも進めている[31]

店舗

川崎店

テンプレート:商業施設

1950年(昭和25年)11月18日に株式会社雑賀屋の関連不動産会社[4]として設立されていた株式会社大洋会館が川崎店の運営会社となるために1955年(昭和30年)8月に株式会社川崎さいか屋へ商号変更して1956年(昭和31年)4月に現在地に[3]鉄骨鉄筋コンクリート造り地下1階地上3階で延べ床面積4,926m²で売場面積4,021m²[5]の百貨店を開業した[3]のが始まりである。

当店のみを営業していた時代の株式会社川崎さいか屋が1964年(昭和39年)8月に東京証券取引所第二部へ上場している。

1964年(昭和39年)11月に延べ床面積21,732m²で売場面積15,591m²に増床し[5]、1965年(昭和40年)には売上高約50.7億円[32]を上げて1927年(昭和2年)に開業した地元創業の老舗小美屋[33]の約36.0億円(売場面積7,724m²)[32]や1955年(昭和30年)に開業した岡田屋[33]の売上高約23.5億円(売場面積5,287m²)[32]を大きく上回る地域一番店となると共に、同じさいか屋グループでも横須賀の売上高約22.9億円(売場面積7,317m²)と藤沢の売上高約25.4億円(売場面積6,593m²)[32]のほか2店合計の売上高を上回って中心的な存在となっていた。

また、1973年(昭和48年)11月にも延べ床面積33,994m²で売場面積22,118m²に増床を行い[5]、更なる拡大を図っている。

そして、1969年(昭和44年)9月に株式会社横須賀さいか屋株式会社藤沢さいか屋(初代)の2社を合併して百貨店事業の運営会社を一本化した際に当店が本店となった。

2003年(平成15年)9月には同年8月に閉店した川崎西武の33ブランドを含む50ブランドを新たに入居させる改装を行って若い顧客向けの商品の拡充を図って、中高年層中心の客層を広げることを目指した[34]

経営再建の一環として、2009年(平成21年)12月9日に約76億円で不動産投資を行っているMM投資組合へ売却してリースバックして営業を続ける契約を結んだことを発表され[14]、翌年2010年(平成22年)3月19日に正式に譲渡された[3]

また、同じく経営再建策の一環として2010年(平成22年)4月末に川崎店の外商が廃止され、同年6月1日に外商カードを持つ顧客向けのサロンを開設してコンシェルジェが店内での買い物をサポートする仕組みを導入した[22]

その他にも再建策の一環である専門店の導入も当店から先行して始まり、2010年(平成22年)5月に洋服のサカゼンを導入した[20]のを皮切りに同年7月の手芸洋品店ユザワヤ[21]のほかカルディーコーヒーファームなども導入し[20]、売上高こそ減少したものの来店客の増加やテナント賃料による収益改善に繋がっている[20]

2011年(平成23年)5月25日には川崎市内の有名な和洋菓子店やパン屋などを集めたセレクト・かわさきを川崎商工会議所との共同で1階菓匠街に開設したり、川崎市内のギョーザ店でつくるかわさき餃子舗の会が開発したかわさき餃子みそも販売するなど川崎の名産品の販売にも注力し始めている[35]

近隣に進出した商業施設との競争が激化しているものの、紳士服の「サカゼン」や手芸用品の「ユザワヤ」などの専門店を導入してテナント収入を確保するなど[36]当店単体では黒字化していたため[37]、定期建物賃貸借契約の延長を申し入れていた[37]。 しかし、2014年(平成26年)4月9日にビル所有者側から定期建物賃貸借契約期間である2015年(平成27年)5月31日をもって建物の賃貸契約を終了するとの書面による連絡があったため、翌日4月10日に2015年(平成27年)5月31日までで閉店することを急きょ発表した[37]

横須賀店

テンプレート:商業施設

ファイル:Saikaya yokosuka.JPG
さいか屋横須賀店 大通り館(2010年5月11日に閉館)

岡本傅兵衛が1872年(明治5年)10月に本町雑賀屋呉服店を開業したのをルーツとするかつての本店である。

1928年昭和3年)10月3日に旧大通館の場所に木骨鉄筋コンクリート造3階建て約430坪の店舗が完成して百貨店化して人気を集めた。

1966年(昭和41年)7月に株式会社雑賀屋の百貨店部門を分割して株式会社横須賀さいか屋を新たに設立され[4]、同社が1969年(昭和44年)5月に川崎さいか屋の商号を株式会社さいか屋に変更した法人に同年9月に吸収合併され[3]、その際に川崎店が本店となったため、当店は本店でなくなった。

1974年(昭和49年)4月に延べ床面積21,922m²で売場面積14,761m²に増床し[5]、1990年(平成2年)3月には新館を開業して延べ床面積28,259m²で売場面積26,714m²に増床し[5]、同年10月にはレストラン街やホールなどの各種サービス施設の入った南館(延べ床面積7,906m²)を開業して[5]3館体制に移行するなど規模拡大を重ねた。

3店舗の中で最も不振が深刻だったため[17]、コストダウンのため2009年(平成21年)3月から閉店時刻を1時間繰り上げて17時半に変更するなどの対応を図っていた[38]が、2009年(平成21年)8月中間決算の売上高が約88億円と前年同期比で約20%ほど減少するなど大きく落ち込んだため[39]、経営再建策の一環としてかつての本館だった大通り館を2010年(平成22年)5月11日に閉鎖して[18]新館に売場の集約が図られ[19]、同月から外商を大幅に縮小して代わりに外商顧客の来店を促すために同年6月9日に外商カードを持つ顧客向けのサロンを開設してコンシェルジェが店内での買い物をサポートする仕組みを導入する[23]などの規模の縮小を伴う更なるコストダウンの取組みが始まった。

その一方で「仕事帰りに立ち寄るには閉店が早すぎる」などの顧客の意見に配慮して2010年(平成22年)3月3日から閉店時刻を30分繰り下げて19時に変更するなど集客力の強化も図っている[40]

また、再建策の一環として雑賀屋不動産が清算されることになったため、引き続き百貨店の営業を続ける新館と付属施設として使用し続ける南館・北館を同社から2010年(平成22年)2月25日に当社が取得して自社物件化している[15]

2011年(平成23年)5月27日に手芸洋品店ユザワヤを開店させる[21]などテナント導入による来店客増加と収益改善の両立を図る取組みも進められている[20]ほか、同月から横須賀店が地元の老人ホームと提携してホームが運行する送迎バスに駐車場を無償提供して老人ホーム入居者の定期的な来店を促す取組みも進められている[31]

さいか屋まんじゅう

かつて大通り館の地下1階で60年近く製造・販売されていた名物で[41]小泉純一郎には似顔絵焼き印の入った純ちゃんまんじゅうが販売されて一時製造が追い着かないほどの人気を誇ったこともある[42]白あんをカステラ風の生地で包んださいか屋まんじゅうは、一度解体すると再度組み立てが困難な構造のため[41]、大通り館閉店直前の2010年(平成22年)2月9日に閉店して販売が終了した[41]

2012年(平成24年)3月に当店140周年を記念して同様の機械を保有して製造・販売を続けている平塚駅北口のつるや製菓に製造を依頼して復活させたところ完売するほどの人気を博したため、その後偶数月の中旬に3日間程度の限定で販売を続けることになっている[42]

大通り館閉鎖の影響と跡地利用

閉鎖された大通り館の跡地2,547m²[43]は雑賀屋不動産から一条工務店への売却する契約が成立したことが2010年(平成22年)12月17日に発表された[44]

一条工務店が低層階を商業施設とした免震構造の分譲マンションを建設する方向で検討が進めている[43]としたため、大通り館が閉鎖した後は平日は1 - 2割、休日はそれ以上の比率で周辺商店街の来街者数が減少するなど閉鎖による影響は大きく受けた地元[18]で、一条工務店による買収を歓迎する意見が多く見られた[43]

藤沢店

テンプレート:商業施設

株式会社雑賀屋の関連会社の株式会社藤沢さいか屋(初代)[4]が藤沢市の藤沢駅北口に1965年(昭和40年)4月28日に開店したのが始まりで開店当初は駅の北東側に位置した[6]

この旧店舗は開業初年度の1965年(昭和40年)に売場面積6,593m²で売上高約25.4億円を上げて営業日数でも売場面積でも上回る本店である横須賀の売上高約22.9億円(売場面積7,317m²)を上回り[32]、好調なスタートを切った。

1969年(昭和44年)9月に株式会社藤沢さいか屋(初代)が株式会社さいか屋に吸収合併されて独立した法人での営業に一旦終止符を打ち[3]、その後1974年(昭和49年)9月に延べ床面積22,3742m²で売場面積14,129m²に増床して[5]規模拡大を図っている。

地元の根強い反対で高島屋の招致が頓挫した藤沢市が進めていた再開発ビルに[7]1978年(昭和53年)6月12日に藤沢駅北口の現店舗を三越との合弁で出店する計画が確定して[8]、1978年(昭和53年)11月22日に株式会社藤沢さいか屋(2代目)が現在の店舗での営業を開始し[9]、藤沢の店舗は再び別法人での営業へ移行すると共に規模拡張を図った。

2002年(平成14年)9月1日には株式会社藤沢さいか屋(2代目)の百貨店部門を株式会社さいか屋に譲受させたため、再びさいか屋藤沢店として営業するようになっている[3]。 (株式会社藤沢さいか屋(2代目)は2005年(平成17年)7月に株式会社サイカマートへ吸収合併されると同時に商号を株式会社彩賀開発へ変更した後、2009年(平成21年)2月に株式会社さいか屋へ吸収合併された[3]。)

事業再生ADR(裁判外紛争解決)による再建の申請で自主再建を断念するほど業績が悪化する中でも当店は黒字を保ち続ける[17]など比較的堅調な業績を維持している。

藤沢店のみ三越グループを垂れ幕などで前面に押し出している。近隣のライバル店は、以前は藤沢西武西友が運営)があったが店舗面積が狭い事などもあった為に撤退し、現在は小田急百貨店のみである。

旧店舗跡地の利用

1979年(昭和54年)9月20日に丸井藤沢店が開業し[6]、同店地下1階に食料品専門店の藤沢マーケット店を地元の要望で開店させる[3]など旧店舗跡への関与も続けていたが、丸井藤沢店の2006年(平成18年)2月28日の閉店[45]に伴いに同年3月20日に閉店して[3]同地での歴史に完全に終止符を打った。

丸井藤沢店の跡には同年8月4日にビックカメラ藤沢店が開業している[46]。2008年(平成20年)12月10日からジュンク堂藤沢店が7階・8階で営業している[47]

町田ジョルナ

テンプレート:商業施設 1967年(昭和42年)11月に出店した町田店を1976年(昭和51年)10月に業態転換し、専門店ビルとしてリニューアル[3]百貨店協会に加盟しており全国百貨店共通商品券や、さいか屋の金券なども利用できる。

備考

さいか屋の商品券は関係の深い三越で利用可能。またかつては近鉄百貨店でも利用できた。

沿革

  • 1867年(慶応3年)6月 - 岡本傅兵衛が神奈川県浦賀で呉服店を創業[1]
  • 1872年(明治5年)10月 - 神奈川県横須賀の磯崎(後の元町で現在の横須賀市本町)で雑賀屋呉服店を開業[1]
  • 1920年(大正9年) - 旭町(現在の横須賀市本町)へ店舗を移転[1]
  • 1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災で店舗が全焼[1]
  • 1928年(昭和3年)
    • 3月1日[2] - 合名会社を改組して資本金50万円の株式会社雑賀屋を設立[1]
    • 10月3日 - 木骨鉄筋コンクリート造3階建て約430坪の店舗が完成して百貨店を開業[1]
  • 1950年(昭和25年)11月[3] - 株式会社雑賀屋の関連会社として[4]、横須賀市に不動産賃貸業の株式会社大洋会館を設立[3]
  • 1955年(昭和30年)8月 - 株式会社川崎さいか屋へ商号変更[3]
  • 1956年(昭和31年)4月 - 株式会社川崎さいか屋の本社・本店を川崎市へ移転し、百貨店業を開業[3]。(横須賀店を経営する株式会社雑賀屋の本店は従来通り横須賀[4])
  • 1964年(昭和39年)8月 - 株式会社川崎さいか屋が東京証券取引所第二部へ上場[3]
  • 1965年(昭和40年)4月28日 - 株式会社藤沢さいか屋(初代)[4]が百貨店を開業[6]
  • 1966年(昭和41年)7月 - 株式会社雑賀屋の百貨店部門を分割して株式会社横須賀さいか屋を設立し、株式会社雑賀屋雑賀屋不動産株式会社に商号を変更[4]
  • 1967年(昭和42年)11月 - 株式会社川崎さいか屋が百貨店の町田支店を開業[3]
  • 1969年(昭和44年)
    • 5月 - 株式会社川崎さいか屋株式会社さいか屋へ商号変更[3]
    • 9月 - 株式会社さいか屋株式会社横須賀さいか屋株式会社藤沢さいか屋(初代)の2社を合併して百貨店事業の運営会社を一本化[4]
  • 1976年(昭和51年)10月 - 町田店を専門店ビル化してジョルナへ業態転換[3]
  • 1978年(昭和53年)11月22日 - 株式会社藤沢さいか屋(2代目)が新店舗での営業を開始[9]
  • 1980年(昭和55年)10月 - 川崎区小川町8番地に「小川町別館」が落成。本社事務施設として使用。
  • 1990年(平成2年)
    • 3月 - 横須賀店に新館開業[3]
    • 10月 - 横須賀店に南館開業して3館体制へ移行[3]
  • 2008年(平成20年)12月 - 京浜急行電鉄に第三者割当増資を行って資本・業務提携[13]
  • 2009年(平成21年)
    • 8月4日 - 自主再建を断念し、事業再生実務家協会に事業再生ADR(裁判外紛争解決)による再建を申請[13]
    • 12月9日 - MM投資組合へ横須賀店を売却してリースバックして営業を続ける契約締結[14]
  • 2010年(平成22年)
    • 2月1日 - 事業再生計画が成立[25]
    • 2月25日 - 横須賀店の不動産を雑賀屋不動産株式会社から取得して自社物件化[15]
    • 3月19日 - 川崎店を正式に譲渡し、賃貸借契約をして営業を継続[3]
    • 4月末 - 川崎店の外商を廃止[22]
    • 5月 - 川崎店に洋服のサカゼンを導入[20]。横須賀店の外商を大幅に縮小[23]
    • 5月11日 - 横須賀店大通り館を閉鎖して[18]新館に売場を集約[19]
    • 6月 - 川崎店(1日)と横須賀店(9日)にコンシェルジェが対応する外商顧客向けのサロンを開設[22][23]
    • 10月1日 - 京浜急行電鉄の子会社京急百貨店とオリジナル商品を相互供給を開始[30]
  • 2011年(平成23年)
    • 5月 - 小川町別館を売却、川崎店内に本社を移す。
    • 6月15日 - スマイルシニアデーお買い物券を発売[31]

脚注

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関連項目

外部リンク

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  2. 2.0 2.1 テンプレート:Cite report
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  36. “さいか屋川崎が来年5月に閉店 60年の歴史に幕”. 神奈川新聞(神奈川新聞社). (2014年4月11日)
  37. 37.0 37.1 37.2 “常連客「さみしい」従業員「寝耳に水」 さいか屋川崎閉店で”. 神奈川新聞(神奈川新聞社). (2014年4月11日)
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