F-101 (戦闘機)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox 航空機

F-101 ヴードゥー (Voodoo) はアメリカ合衆国マクドネル社が開発した、双発の超音速戦闘機。初期設計では爆撃機の護衛用であったが、その後、迎撃任務や写真偵察にも転用された。アメリカ空軍の他にカナダ空軍が広く採用し、台湾空軍も偵察機型を少数機導入した。当初の計画とは異なり核攻撃任務兼任の偵察機および大型要撃機として実用化され、1954年の初飛行の後、偵察機型は1960年代からベトナム戦争にも投入され、アメリカ空軍・カナダ空軍の迎撃機型は北アメリカ大陸の防空にあたった。1985年までに全機が退役している。

概要

アメリカ空軍戦略航空軍団 (SAC) は1951年1月に長距離戦闘機の開発要求を各社に出した[1]。マクドネル社は開発中止となった長距離戦闘機の試作機 XF-881948年10月20日初飛行)を大幅に改良した案を提出し、それが受け入れられてF-101の開発が開始された[1]。なお、F-101の名称が付けられたのは1951年11月のことである。試作機YF-101Aは1954年9月29日エドワーズ空軍基地で初飛行した。初飛行で音速突破を記録している[1]

初飛行の日に戦略航空軍団の長距離護衛戦闘機計画は中止となっている[1]。しかし「核爆弾1発を搭載して敵地深くに高速で侵入する」という当時の戦術航空軍団 (TAC) の戦闘爆撃機の構想に合致した機体だった事、またF-102戦闘機の低性能に失望していた[2]防空軍団 (ADC) より長距離要撃機として関心が示されたため、設計を変更し引き続き開発は続行された。

武装としては内蔵機関砲のほか、空対空ミサイルを4発搭載可能である。本機のミサイル搭載方式は変わったもので、弾薬倉の扉の外側にミサイルを2発搭載し、もう2発を内側に搭載している。外部搭載ミサイルを撃ち尽くすと、弾薬倉の扉が回転し、内側に搭載したミサイルが露出する。この弾薬倉を爆弾倉に転用する事で、戦闘爆撃機としても使用可能であった。

低翼配置の後退翼の機体で、テールに尾翼があるというのはXF-88と同じであるが、胴体は3.2m延長され尾翼面積も拡大している[1]。水平尾翼の位置も垂直尾翼基部から垂直尾翼上部に移されている。その一方、主翼面積はXF-88とさほど変わらず、翼面荷重は高くなり後述する通り本機の欠点となった。機関はジェットエンジンの双発であり、インテークは主翼付け根に、ノズルは胴体後部(テールの付け根)にある。

本機は登場した当初はマッハ1.7を誇り当時の最高速の戦闘機であったが、程なくしてマッハ2級の戦闘機が続々と登場して一転して速度性能では平凡な機体になってしまった。ただ本機の最高速度がマッハ2に達しなかったのはインテークの形状が固定式であるためであり、J57エンジン双発のパワーは決して後に登場したマッハ2級機に劣るものではない。そもそも超音速機と言えどそうそう超音速が出せるものではなく(アフターバーナーを使用する事によりたちまち燃料を消費してしまう)、マッハ2以上の最高速度に大した意味がある訳ではない。本機がマッハ1級でありながら高速偵察機としてベトナム戦争で活躍した実績がその事実を如実に物語っている。1980年代以降はむしろ戦闘機の最高速度は重要課題でなくなったため頭打ちになり、低下していると言える状況である。

一方で、水平尾翼をT字配置として垂直尾翼の上に持ってきた設計は大失敗であったと言える。迎角を大きく取ると主翼の後流が水平尾翼の効果を無くし、急激な機体の頭上げ(ピッチアップ)を生じる事となった。そのためピッチ・コントロール・システムが付加され、機体の運動を制限して対処している。そのため高翼面荷重の設計と相まって本機の運動性能はあまりよくない。要撃機や偵察機としてはともかく、本来の開発目的であった戦略航空軍団の長距離戦闘機(爆撃機護衛あるいは爆撃機の安全のための敵国上空の制空権確保が任務であり、格闘戦能力は必須である)には全く向いていなかったと言える。

防空軍団では、同じくF-102の失敗を受けての改良発展型であるF-106と並んで、要撃機の主力となった。完全自動要撃戦闘システムを採用したF-106に対し、本機はパイロットのマニュアル操縦を重視した要撃機として位置づけられていた。F-89戦闘機の後継機として主にアラスカの部隊で使用された。広大な北極海をパトロールするには長い航続距離が必要で、また半自動式防空管制組織 (SAGE) の十分な支援を受けられない環境であったので本機のような戦闘機がF-106とは別に必要であった。要撃機型が全て複座なのも、よりパイロットの能力を重視した結果である。但し、以上の説明は要撃機の本命と言うべきF-106の採用の妨げにならないための空軍による理論武装でもある。

戦術航空軍団では戦闘爆撃機として当初採用されたが、戦術航空軍団の構想に基づく戦闘爆撃機としては当初から開発された”本命”の機体であるF-105の配備が迫っていた事から、それまでのつなぎとして少数が生産さえただけに終わった。あるいは空軍州兵(ANG)向けに生産されたものの、こちらも少数にとどまった。そのため高速性能を活かした偵察機として活用され、ベトナム戦争前半の主力偵察機として運用された。なお偵察機型は固定武装は有さないが、後の改装で核爆弾投下能力は有するようになっていた。強行偵察という任務の過酷さゆえに損耗は激しく、F-105と並んでベトナム戦争で使い尽くされた機体となった。空軍州兵の機体まで動員されてベトナム戦争に送られたため、穴埋めとして戦術航空軍団で第一線を退いた戦闘爆撃機型が偵察機型に改修されて空軍州兵に配属された。

アメリカ以外で運用された機体は少なく、台湾空軍カナダ空軍のみである。台湾空軍では偵察機型の供与を受け、主に中国本土への偵察任務に用いられた。カナダ空軍では野心的な自国開発戦闘機:アブロ・カナダ CF-105をキャンセルした後、代替機として要撃機型が採用され、北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)の指揮下でアメリカ空軍とともに北アメリカ大陸の防空任務に就いた。カナダ空軍はF-101を最も長く運用し、1985年までには全機が退役した。

各型

YF-101A
試作機。29機製造。
F-101A
初期生産型。戦略航空軍団の長距離護衛戦闘機として計画されたが、戦術航空軍団の単座戦闘爆撃機 (WS-105) として実用化が図られた。J57-P-13エンジン装備。M39 20mm機関砲4門を機首に装備し、Mark 28B43などの核爆弾1発のほか、AIM-4ファルコン空対空ミサイルを搭載する。空中給油装置はプローブ式、ブーム式の双方に対応する。48機製造。1957年部隊配備開始。
NF-101A
GEJ79ジェットエンジンテスト機(1機改装)
RF-101A
戦術航空軍団向けの偵察機 (WS-105L)。試作機YRF-101A1956年5月10日初飛行。機首および胴体部に複数の偵察カメラを装備。35機製造。1957年部隊配備開始、1971年退役。台湾空軍にも1959年から供与され、1960年代に中国大陸本土の偵察飛行を実施し、被撃墜も記録している。台湾の機体は1973年に退役した。
ファイル:CF-101B- WCAM.jpg
カナダ西部航空博物館で展示されるCF-101B
F-101B/CF-101B
防空軍団およびカナダ空軍向けの長距離要撃機である。当初F-109の名称を提案した。A型と異なりウエポンシステムはWS-217Aの名称があてられた。1957年3月27日初飛行。電子装備はF-106戦闘機より簡略化されているが、代わりに後席にレーダー要員が搭乗する。空中給油受油装置は装備しない。武装は機銃は無く、胴体前部のミサイル倉に空対空ミサイル4発を搭載する。このミサイル倉は回転式であり、2発は機外装備、もう2発は機内装備となっている。ミサイルベイが反転し、残りの2発を機外に出す構造である。搭載ミサイルはAIM-4ファルコン2発およびAIR-2ジニー2発。エンジンはJ57-P-53またはP-55を装備。防空軍団での運用は1959年から1972年、その後、空軍州兵で1982年まで用いられた。生産機数480機。カナダ空軍はCF-101Bの名称で採用した。1961年から1984年まで運用、生産機数132機。66機が1960年代と1970年代の2回に渡り、機材更新の形で供与された。
EF-101B
カナダ空軍で用いられた電子戦機。演習時にカナダ領空を侵犯する模擬敵機をつとめた。1機改装。
TF-101B/TF-101F/F-101F/CF-101F
複座練習機型。後にF型に名称統一。79機製造。このほか152機が複操縦装置を装備した。CF-101Fとしてカナダ空軍で運用された。これはCF-101Bと同じく10機が1960年代と1970年代の2回に渡り、機材更新の形で供与された。
RF-101B
戦術航空軍団で運用された偵察機型。1機がF-101Bから、22機がカナダ空軍より返還されたCF-101Bより改装された。これは1970年代初期に改装され、1975年まで空軍州兵で運用された。
F-101C
戦術航空軍団向けの単座戦闘爆撃機型である。1957年8月21日初飛行。F-101Aより機体構造の強化し荷重制限が緩和されているほか、エンジン改良などが行なわれているが、ほぼA型と同等の機体である。94機が発注されるも47機の製造に終わり、残発注はRF-101Cに切り替えられた。1958年部隊配備開始。
RF-101C
戦術航空軍団向けの単座偵察機型である。1957年7月12日初飛行。RF-101Aの改良型であり、固定武装は無く、6台の偵察カメラを機首と胴体部に有する。166機製造、1957年部隊配備開始。1962年キューバ危機で偵察活動を行ったほか、1961年からベトナム共和国(南ベトナム)やタイに派遣されており、ベトナム戦争に投入された。主に対空砲火により31機が戦闘損失となっている。
F-101D/E
GE社エンジン計画機。
RF-101G/H
F-101A/Cを空軍州兵向けの偵察機に改装した型。空軍州兵における旧式化した偵察機戦力を更新・増強するものであった。1966年以降改装開始、1979年までに退役。

仕様

テンプレート:航空機スペック

登場作品

  • 世界大戦争』 - 連邦軍側の航空戦力として登場。北極海上で同盟軍のモグ戦闘機(外見はMiG-21がベース)とAIR-2空対空核ロケットを交えた空中戦を展開。
  • 旭日の艦隊』・『紺碧の艦隊 』- 日本海軍の主力艦上攻撃機「光武改」としてOVAに登場
  • エリア88』 - エリア88所属機として登場。復旧した元祖エリア88基地の状況確認のためにサキ司令が後席に搭乗した。なおそれ以降の登場はなし。

脚注

テンプレート:Reflist

参考文献

  • 世界の傑作機 (No.101) 「F-101 ヴードゥー」 文林堂 2003年 ISBN 9784893191038

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:Mil-aviation-stub

テンプレート:アメリカ空軍の戦闘機
  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 ミリタリーエアクラフト 1994年1月号 「アメリカ空軍戦闘機 1945-1993」 P.102-111 デルタ出版
  2. F-102戦闘機は、当初は設計上の問題から音速を突破できず、エリアルールを適用するなど大幅に設計を改めたした機体が1954年12月になって音速を僅かに突破し、余裕で音速を突破したF-101との性能差は大きかった。