BGM (YMOのアルバム)

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テンプレート:出典の明記 テンプレート:Infobox BGM(ビー・ジー・エム)は、日本の音楽グループであるイエロー・マジック・オーケストラ (YMO) の5作目のアルバム。

1981年3月21日アルファレコードからリリースされた。

背景

坂本のアルバム『B-2ユニット』に影響されて出来たアルバムである[1]

アルバムのタイトルは細野晴臣が決めた。これは「危険なので距離を置いてBGMのように聴いてくれ」という意図があったという。また、高橋幸宏としては「YMOの曲はまるでMuzak(≒BGM)のようだ」と批評した海外の音楽評論家への意趣返しの意図があったという[1]

坂本龍一は心身ともに不調であったことと細野の進め方に対する反発から、レコーディング日にスタジオに行かないなど、意識的にサボることがあったことをテンプレート:要出典範囲。また、既にシングル用に作ってあった「ハッピー・エンド」をテンプレート:要検証範囲換骨奪胎したようなアレンジにして提供したりした。純粋な新曲は「音楽の計画」わずか1曲の提供だった。

YMO結成当初は覆面バンドとして進めたかったが、前作であまりにも売れすぎ、世間からは個人のキャラクターをさらに求められた。そのため、このアルバム以降、個人の顔と音楽性を前面に出すこととなった[2]

細野はYMOのベストと思われるアルバムとして、古くならない音と歌詞の内容の良さから『BGM』を挙げている[2]

また高橋も、他のアルバムの中で自分たちが言いたいことを初めて歌詞で表現したこと、歌詞に一番こだわったこと、言葉とサウンドがうまく合体していることから『BGM』をベストアルバムと評価している[3]

録音

レコーディング開始は1981年1月15日。リリースが同年3月21日なので非常に短期間かつギリギリまで録音されたため、歌詞が印刷に間に合わなかった。初めて歌詞が明らかになったのは写真集「OMIYAGE」で、アルファによるCD化の際にも歌詞は省略されていた。

  • このアルバムにはミックスダウンは1曲1時間半というルールがあった[4]
  • シーケンサーMC-8からMC-4に変更された。
  • シンセサイザはプロフェット5が主役となった。坂本龍一はプロフェット5が秘めている可能性を探るべく、相当使いこなした[4]
  • レコーディングではTR-808で延々とループを回し、それを聞きながらの作業を行っていた[4]
  • その他の使用機材は、ミニモーグ、アープ・オデッセィ、ローランドジュピター8などが挙げられる。
  • 生楽器がほとんど使われていないのもこのアルバムの特色である。

デジタルMTR

  • レコーディングには当時開発されたばかりで日本に2台(アルファレコード Studio"A"と音響ハウススタジオに各1台)しかなかった3MのデジタルマルチトラックレコーダーDMSが使用された。しかし、あまりにもクリアな音に細野が納得せず、一旦リズムパートをティアックのアナログMTR(TASCAM 80-8)に録音し、それをデジタルMTRにコピーするという特殊な録音方法が取られている。これは民生用MTRの狭いダイナミックレンジにより音量のピークで音色が変わるとともに全体の音圧が上がる、のちに”テープコンプレッション”と名づけられる手法であるが、それを意識的に取り入れた最初期のレコーディングとされている。
  • しかし坂本は、「当時の自分は、立派なアルファレコードのスタジオで、まるで貧乏アーティストがやるような方法には気乗りしなかった」と回想している[4]
  • 当時のデジタルMTRではアナログオープンリールテープの様なテープにハサミを入れて編集(手切り編集)することが出来ず、しかも記録・再生時共にエラーがしばしば発生するため、信頼性に乏しく当時のエンジニアに不評であった。
  • 使用されたデジタルレコーダーの録音方式は各社が統一規格を決める前の3M独自の規格であり、そのレコーダーでしか再生できない。その上現在、使用されたデジタルレコーダーそのものや再生可能機器が国内に現存しないため、また海外でかろうじて稼働する個体があったとしても使用料が法外に高額になるため、マルチトラックマスターテープを使用することは事実上不可能となっている。

音楽性

初期の『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』などに比較すると、収録曲全体がおとなしく暗めのイメージを持つため、爆発的セールスこそなかったが、リーダーの細野晴臣をして「たくさん売れた後だからこそやりたいことができたアルバム」と言わしめた作品[4]

10曲中、8曲が約4分30秒、残り2曲が5分20秒と、演奏時間が統一されている。この演奏時間はジョン・ケージの有名な4分33秒と符合するが、細野自身は「すべて無意識でやっていた」と発言している[1]

前作まで歌詞はクリス・モスデルによるものであったが、このアルバムからは各メンバーが作詞するようになった。ピーター・バラカンが翻訳するようになり、YMO散開(解散)まで協力することとなる。なお、発音指導もバラカンが担当し、3人共かなりしごかれたと回想している。ピーター曰く、高橋が発音、作詞共に最も優れていたとのこと。また、 歌詞を英語にしたのは、日本語だと内容がストレートすぎるため、英語でワンクッション置きたかったためである[2]。 このアルバムには歌詞カードが付属しておらず、代わりにアルバム発売前に出版された「YMO写真集/YMO BOOK OMIYAGE」(小学館:雑誌「GORO」特別編集)に英語詩と訳詩が掲載された。

プロモーション

このアルバムのために制作費500万円でテレビCMが作成された。細野が老人、高橋が警察官、坂本が看護師の姿で、ニュースキャスターとしてスネークマンショー伊武雅刀が出演している。放送当時、音楽アルバムのためにテレビCMが作成されることは非常に珍しいことであった[5]。特典ポスターもこのCMと同様の扮装で撮影されている。

アートワーク

ジャケットデザインは奥村靫正である。裏ジャケットは1980年のワールドツアーにおける機材リストである(手書きで「'80 World Tour」と書かれている)。

このアルバムから「YMO」の文字を温泉の地図記号風にかたどった、通称「温泉マーク」が使用されている。これはアルバム作成の前に行われたワールドツアーで、メンバーが疲れきり、「帰って温泉に行きたい」と思っていたことからきたマークである[5]

ツアー

本作リリース後にはツアーは行われず、次作『テクノデリック』リリース後に『YMO-WINTER-LIVE-1981』が行われる事となる。

収録曲

テンプレート:Tracklist テンプレート:Tracklist

曲解説

A面

  1. BALLET/バレエ
    このアルバムの方向性を示した曲で、暗い中にも甘い雰囲気を醸し出している。イントロのピアノは坂本による演奏。歌詞はタマラ・ド・レンピッカについて霧の中にあるワルシャワの雰囲気を高橋が表現。SE的な音色は細野による機関車をイメージしたもの。フランス語のヴォイスは布井智子。また、ノンクレジットだが、フォークデュオバズ」(BUZZ)の東郷昌和が、高橋の要望により「ジョン・レノンぽく」歌っている箇所があるとのこと。矢野顕子はYMOの中で一番お気に入りの曲としてこの曲を挙げている。
  2. MUSIC PLANS/音楽の計画
    ヴォーカルは坂本。このアルバム時にややスランプだった坂本の苛立ちをぶつけるような激しい詞が特徴。3分30秒辺りで「パチッ」というノイズが聞こえるが、これはデジタルレコーダーのデータエラーに起因するジッターノイズである。
  3. RAP PHENOMENA/ラップ現象
    ぼそぼそと「ラップ現象」についてラップ風に語りつづける、というちょっとした洒落をきかせている。日本人としては最も初期のラップ曲に属するが、海外ウェブレビュー(All Music Guide)では「恥ずかしいほど退屈」と酷評されている。歌っているのは細野だが、彼は自分の声が気に入らないらしく、特徴的な声の低音部分を完全にカットしている。間奏のヴォイスの反復はサンプリングではなく、テープ・ループを使用している(デジタル・ディレイのホールドモードを使用したとの説もある)。
  4. HAPPY END/ハッピー・エンド
    坂本のソロシングル「フロントライン」のB面に収められていた曲をダブミックス。ただしメロディーが省略され、ダブ的に破壊する手法を大胆に取り入れたため、一聴するとわけがわからない。1981年のウインターライブでは原曲に近いアレンジで演奏している。2005年9月28日に発売の坂本のアルバム『/05』にはピアノ4重奏で収録。
  5. 1000 KNIVES/千のナイフ
    坂本のファーストアルバム『千のナイフ』の収録曲をセルフカヴァー。締め切りに曲が間に合わなかったために、急遽収録されたらしい。YMOのコンサートでも頻繁に演奏されていたが、このテイクでは、より乾いた感じのアレンジとなっている。曲の最後で片方のチャンネルだけ「ビヨョョョ~」と鳴っているのはエンジニアの松武秀樹がプログラミングを誤ったため。しかし坂本が「こっちの方がかっこいい」とそのまま採用された。間奏はギター・ソロの雰囲気をキーボードで実現しており、坂本自身が気に入っている。高音から低音に落ちてくる部分はプロフェット5のポリモード→モノモード切替を使って実現している。

B面

  1. CUE/キュー
    のちにシングルカットされた。詳細は「キュー」を参照。
  2. U・T/ユーティー
    シングル「キュー」のB面にも収録されている。詳細は「キュー」を参照。
  3. CAMOUFLAGE/カムフラージュ
    シングル「マス」のB面にも収録されている。詳細は「マス」を参照。
  4. MASS/マス
    のちにシングルカットされた。詳細は「マス」を参照。
  5. LOOM/来たるべきもの
    無限音階は松武秀樹がE-muのモジュラーシステム(通称タンス。moogIII-Cをタンスということも多いが、本来はこちらをさす)を使って実現。上昇音と下降音が同時に響いている。上下6オクターブずつを時間的にずらし、延々音が上昇して聞こえるような聴感上の錯覚を利用している。松武のソロシングル「謎の無限音階」でも使用されていたものではあるが、松武がスタジオで無限音階を流していたところをYMOメンバーが聞いて採用された。後半の人間の呼吸に合わせて音が左右に飛んだり、大きくなったり小さくなったりする部分も松武のアイディアによるもの。水滴の垂れる音はメンバー3人の脈拍の平均値を割り出して作られた。

スタッフ・クレジット

参加ミュージシャン

スタッフ

  • 小池光夫 - レコーディング、ミックス・エンジニア
  • 飯尾芳史 - レコーディング・エンジニア
  • YMO - ミックス・エンジニア
  • 藤井丈司 - エキプメント・コーディネーション
  • 永田ドン - エキプメント・コーディネーション
  • 宮寺トモキ - エキプメント・コーディネーション
  • Plan-New Werk & ツクイトシナオ - クリエイティブ・サービス
  • 三浦憲治 - 写真撮影
  • 小尾一介 - A & Rコーディネーター
  • 川添象郎 - エグゼクティブ・プロデューサー
  • 村井邦彦 - エグゼクティブ・プロデューサー

リリース履歴

No. 日付 国名 レーベル 規格 規格品番 最高順位 備考
1 1981年3月21日 日本 アルファレコード LPCT ALR-28015 (LP)・ALC-28014 (CT) 2位
2 1981年 オーストラリア Festival Records LP L 37606 -
3 1981年 スペインアメリカ合衆国オランダ A&Mレコード LP AMLH 64853 (SP)・SP-4853 (US)・AMLH 64853 (NL) -
4 1984年7月25日 日本 アルファレコード CD 38XA-16 -
5 1985年 オランダ Pick Up Records LP LPU 0020 -
6 1987年3月25日 日本 アルファレコード CD 32XA-141 -
7 1991年 オーストラリア Festival Records CD D 30581 -
8 1992年3月21日 日本 アルファレコード CD ALCA-291 -
9 1992年 ヨーロッパ Restless Records CD LS 9154 2 -
10 1994年6月29日 日本 アルファレコード CD ALCA-9043 -
11 1998年1月15日 日本 アルファレコード CD ALCA-5220 -
12 1999年 ヨーロッパ エピック・レコード CD EPC 513449 2 -
13 1999年9月22日 日本 東芝EMI CD TOCT-24238 - 細野晴臣監修、リマスタリング盤、ライナーノーツ:ケン・イシイ
14 2003年1月22日 日本 ソニー・ミュージックハウス CD MHCL 208 54位 坂本龍一監修、紙ジャケット仕様
15 2004年 カナダ エピック・レコード CD EK 91843 -
16 2010年9月29日 日本 ソニー・ミュージックダイレクト ブルースペックCD MHCL-20106 176位 1999年リマスタリング音源、紙ジャケット仕様、スーパーピクチャーCD

脚注

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外部リンク

テンプレート:イエロー・マジック・オーケストラ

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  1. 1.0 1.1 1.2 ソニー・ミュージックハウス版ブックレットより
  2. 2.0 2.1 2.2 テクノ・バイブル』ブックレットより
  3. 「コンパクトYMO」より。
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 アスペクト刊「Yellow Magic Orchestra」より。
  5. 5.0 5.1 「NICE AGE YMOとその時代」より。