高英姫

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テンプレート:Infobox 高 英姫(コ・ヨンヒ、1952年6月26日- 2004年8月13日[1])は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の人物。同国の最高指導者である金正日愛人の一人で、金正日からは日本風に「あゆみ(아유미)」と呼ばれ、最も寵愛を受けていたとされる。金正哲金正恩金汝貞の実母である。在日朝鮮人二世。

経歴

平壌芸術大学卒業後、1971年頃、万寿台芸術団に入り、舞踊家として活動。喜び組の接待役の1人となり、そこで金正日に見初められて、彼の「3番目の妻」となった。1973年の万寿台芸術団訪日時には、芸術団の一員として、柳日淑(リュ・イルスク、류일숙)の芸名で来日している。2番目の妻成蕙琳が精神を病んでモスクワの病院に入った後は、ファーストレディの待遇を受けていた。

以前から重病ではないかという説は囁かれていたが、2004年の夏、フランスパリのジョルジュ・ポンピドゥー欧州病院[2]により死去。遺体は、豪華な棺に入れられて特別機で北朝鮮まで搬送[3]された。高英姫の訃報に接し、夫である金正日は泣き崩れたといわれる。

前歴

すでに2006年に韓国の国家情報院は公式に(高春行説を)否定していたが、高英姫は高太文の娘「高春行」であるという説が、これまで検証されることなく日本では通説とされていた。しかし2011年デイリーNK高英起(東京支局長)が日本の公式記録や北朝鮮の公式資料を基に詳細に調査して週刊文春にスクープ記事を発表すると、この記事をきっかけに日本でも「高春行」説は見直され、「高ヨンジャ」説が有力とされるようになった。さらにその後の高英起による続報によって「高ヨンジャ」説が立証されて現在に至る。[4][5]

高ヨンジャ説

高英姫の日本での登録名は高姫勲(コ・フィフン、テンプレート:Lang-ko-shortKo Hŭihun / Go Huihun)で、後に改名した高ヨンジャであるとする現在の説。

デイリーNKによると彼女は1952年6月26日生まれで、父親は高ギョンテク(1913年生誕〜1999年死亡)で、母親は李氏。高ギョンテクは、1929年に日本に渡り、陸軍管轄の大阪の広田裁縫所[6]に勤務後、密航船を運営していたが逮捕される。その後、強制退去になり北朝鮮に帰国した[7]。北朝鮮では咸鏡北道にあるミョンガン化学工場の労働者として働いていたという。家族には、金策工業大学に通う長男、商業高校を卒業し販売員となった長女、高等中学校を卒業した次男、咸興薬学大学に通う三女ヨンスクがいる。高ヨンジャは次女で、朝鮮では名前をヨンジャに変え、無料で奨学金まで受けながら音楽舞踊大を卒業し、「功勲俳優」となり、「金日成主席の配慮によって国家授勲の栄誉をにない、表彰までされた」という。[8][9][10][11]

妹のヨンスクは、2001年10月アメリカへ亡命した高英淑と符合する。日帝残滓として子の付いた日本風の女性名「ヨンジャ」から「ヨンヒ」に改名したのではないかとされる。[12]

デイリーNKは、「高英姫」のハングル表記が「고용희」であり、「テンプレート:ルビ」の部分が一般的に使用されている「英(:ヨン)」ではない可能性が高いと以前から指摘していたが[13]、2012年6月前後に明らかになった彼女の墓標には「고용희」と記されていることが明らかになり、この説は立証された。なお、当時の北朝鮮では漢字を使用していなかったために漢字名は不明であるが、高英起は「踊る姫」をイメージして「踊姫(용희)」の可能性が高いと主張している。[14][15]

家族構成

  • 父:テンプレート:ルビ(1913年8月14日生)※強制退去により北朝鮮へ帰国
  • 母:李孟仁(1913年8月3日生)※帰国前に梁明女から改名

旧・高春行説

高英姫の本名は高春行(コ・チュネン(チュンヘン)テンプレート:Lang-ko-shortKo Ch'unhaeng / Go Chunhaeng)で、1950年3月11日に生まれ、本貫済州高氏とした説で、日本では従来定説だった。しかし、デイリーNKの高英起は、高春行の生年月日(1950年3月11日)が、高英姫とはまったくちがうことを日本の公式資料から明らかにした。さらに高春行が同じ帰国者男性と結婚して二人の子どもがいる記事が、北朝鮮公式メディアに二度にわたって掲載されていることを突き止めた。これによって、高春行と高英姫は別人であることが明確になった。[17]

高春行は、日本大阪市生野区鶴橋コリア・タウンで生まれた。家は父と母親、兄と2人の弟、妹の7人家族だった。北鶴橋小学校在学中の1961年11歳の時、5月に家族全員とともに北朝鮮に渡った。父の高太文は北朝鮮国内で柔道の指導者となり、同国の柔道の発展に力を尽くした。毎日新聞編集委員の鈴木琢磨は、『金正日と高英姫 』のなかで「高英姫こそ高春行」と主張していたが、高英起の新説が発表されると「特集ワイド:北朝鮮後継者・金正恩氏の母の軌跡朝鮮画報に定説覆す情報」(『毎日新聞』夕刊2011年6月23日号記事)のなかで「高ヨンジャこそ高英姫」だと自説を覆している。

家族構成

父・大同山

高春行の父、高太文(コ・テムン、テンプレート:Lang-ko-shortKo T'aemun / Go Taemun)は、1920年1月10日生まれの柔道家(講道館六段とされる)で、後に大阪でプロレスラーとなった。日本通名で高山州弘、リングネームは大同山又道と言った。日本のプロレス草創期、1956年(昭和31年)2月に新団体「東亜プロレスリング協会」を旗揚げしたことでプロレス史に名を残した。

大同山は当初より朝鮮民族であることを自ら誇っていた[18]。しかし、日本タイトルを賭けて行われた同年10月15日から10月24日のウエート別統一日本選手権大会において芳しい成績を収められなかった[19]。この試合で戦績を残せたのは力道山率いる日本プロレスだけで、敗退した他団体(東亜プロレス含む)は翌年までに活動停止・消滅してしまう。彼は自団体と命運を共にし、プロレスそのものから廃業した。

テンプレート:金正日家系図

その他

  • 高英姫を指す花としてクロフネツツジが使われている。金正恩の母親として偶像化を図る際にも使われている。[20]
  • 藤本健二が北朝鮮から脱出する際、便宜を図ったとされる。2012年6月30日放送のJNN系の報道番組『報道特集』で、高英姫の肉声が流れた際、藤本が涙ながらに証言している。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

参考文献

  • 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』(新潮社、2012年 ISBN 978-4-10-333011-0)
  • 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 (宝島社、2013年 ISBN 978-4800213273)
  • 『3人の高英姫を追って(諸君! 北朝鮮を見よ!文藝春秋2012年2月)』高英起
  • 『金正日と高英姫 ― 平壌と大阪を結ぶ隠された血脈 ― 』鈴木琢磨
  • 『柔道愛国者(高太文の伝記)』コ・チュンヘン著(高英姫本人とは別人)、2006年平壌
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  1. 8月13日というのは、主に韓国メディアが報じた有力な死亡日時であるが、5月か6月に死んだという報道もある。しかし、北朝鮮当局は公式に発表していないため正確な死亡日時は不明である。
  2. Hôpital Européen Georges-Pompidou
  3. 「高英姫はパリのジョルジュ・ポンピドー欧州病院で死去か」『北海道365』2007年7月11日号記事による。
  4. 高英起「金正恩の母「高英姫」は“別人”だった」『週刊文春』(2011年6月2日号)
  5. 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔 』(宝島社新書、2013年)
  6. 日本陸軍の発注を受けて天幕などの軍装品を縫製する軍需工場
  7. 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔 』(宝島社新書、2013年)
  8. 高英起「金正恩の母「高英姫」は”別人”だった」『週刊文春』(2011年6月2日号)
  9. 『コチェビよ、脱北の河を渡れ—中朝国境滞在記—』(新潮社、2012年)
  10. テンプレート:Cite web
  11. 高英起「3人の高英姫を追って」『諸君! 北朝鮮を見よ!』文藝春秋2月臨時増刊(2012年1月31日)
  12. 高英起「明らかになった金正恩の生母・高英姫の実像」『デイリーNK』2011年12月23日号記事による。
  13. 高英起「労働新聞に記されたコ・ヨンヒは金正恩の実母か?」『デイリーNK』2012年2月14日号記事による。
  14. 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔 』(宝島社新書、2013年)
  15. 『コチェビよ、脱北の河を渡れ—中朝国境滞在記—』(新潮社、2012年)
  16. 高英起「労働新聞に記されたコ・ヨンヒは金正恩の実母か?」『デイリーNK』2012年2月14日号記事による。
  17. 高英起「金正恩の母「高英姫」は”別人”だった」『週刊文春』(2011年6月2日号)
  18. 地元大阪府立体育会館で同年7月9日に開催された木村政彦らとの団体対抗戦(敗退)[1]、同所で9月26日に開催されたユセフ・トルコら相手のタッグマッチ(勝利)などが東亜プロレスが主催した大きな試合である。団体対抗戦での木村政彦戦は最後が反則決着となっている。通常なら当然シナリオ通りの決着なのであるが、本戦が単なる八百長なのかそれとも(このころの柔道出のレスラーの何人かがやった試合のように)シナリオの再現に失敗した八百長崩れなのかは検証が必要である。
  19. 大同山本人はジュニアヘビー級で出場して3位。準決勝まで進むも吉村道明に敗れ、3位決定戦で阿部脩(修)(のち大映俳優国際プロレスレフェリー)に勝った[2][3]
  20. 高英起「3人の高英姫を追って」『諸君! 北朝鮮を見よ!』文藝春秋2月臨時増刊(2012年1月31日)