高田市

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テンプレート:Infobox 高田市(たかだし)は、かつて新潟県西部(上越地方)に存在した1971年4月に直江津市と合併され、上越市となった。現在の上越市南部。市制施行前は中頚城郡に属していた。

概略

関ヶ原以前は上杉氏の領土であった。江戸時代には松平忠輝高田城を築いて以来、高田藩城下町として栄えた。明治の廃藩置県当初は、現在の上越地方(頚城地方)を範囲とする高田県の県庁所在地であった。

令制国名を頭に付けて「○○高田」と称する地名が全国に複数存在するが、これは単に「高田」といえば当地を指すことと区別するためのものである。マスコミなどで時折「越後高田」と紹介される場合があるが、これは例えば「播州赤穂」と同じように一般に言い習わされた通称であり、地名とするのは誤りである。

豪雪地帯として知られ、1945年2月26日には377cmの深雪を記録し、一部の教科書にも日本一として記載されていた。このため、雁木と呼ばれるアーケード状の軒先など、独特の町並が残る。雪の上に「この下に高田あり」と立て札が立てられたという逸話もある。しかし、近年は旧高田市域(現上越市南部)は温暖化異常気象の影響を受け小雪傾向が続いている。

地理

隣接していた自治体

歴史

沿革

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い旧高田城下町人町の中頸城郡高田下紺屋町、高田下小町、高田寄大工町、高田大鋸町、高田本杉鍛冶町、高田新本杉鍛冶町、高田元府古町、高田本大工町、高田中寺町、高田下寺町、高田刃物鍛冶町、高田土橋町、高田陀羅尼町、高田新田町、高田下職人町、高田善光寺町、高田長門町、高田中屋敷町、高田本誓寺町、高田直江町、高田稲田鍛冶町、高田鍋屋町、高田西村町、高田伊勢町、高田出雲町、高田関町、高田横春日町、高田竪春日町、高田府古町、高田上紺屋町、高田上蔵番町、高田新蔵番町、高田上寺町、高田横町、高田呉服町、高田上小町、高田中小町、高田上職人町、高田桶屋町、高田杉森町、高田下田端町、高田檜物屋町、高田上田端町、高田両替町、高田須賀町、高田新須賀町、高田新職人町と、中頸城郡高士村(一部)、高田藪野新田村、高田陀羅尼新田、高田陀羅尼新々田、高田川原町新田が合併し、高田町が発足。
  • 1908年(明治41年)11月1日 - 中頸城郡高城村と合併し、高田町を新設。
  • 1911年(明治44年)9月1日 - 高田町から市制施行して高田市となり中頸城郡から離脱。
  • 1954年昭和29年)4月1日 - 中頸城郡新道村金谷村を編入。
  • 1955年(昭和30年)
    • 2月1日 - 中頸城郡春日村諏訪村津有村三郷村和田村(一部)を編入。
    • 4月1日 - 大字愛宕国分・五智国分・毘沙門国分寺・善光寺浜・居多・居田・大場・国分寺・虫生岩戸を分離し直江津市に編入。
    • 6月1日 - 新井市の一部を編入。
  • 1958年(昭和33年)4月1日 - 大字三交(一部)・木田(一部)・中門前(一部)・薄袋(一部)・寺分(一部)を分離し直江津市に編入。
  • 1959年(昭和34年)11月1日 - 中頸城郡高士村を編入。
  • 1963年(昭和38年)8月1日 - 直江津市と境界の一部を変更。
  • 1970年(昭和45年)2月1日 - 直江津市と境界の一部を変更。
  • 1971年(昭和46年)

交通

鉄道
信越本線高田駅
道路
国道18号

参考文献

  • 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。

関連項目