高松港

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ハーバープロムナードから2万トン級岸壁を望む
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高松コリドー。奥にフェリーふ頭
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宇高国道フェリーと四国フェリーがネオンを競う宇高航路乗船場
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高松東港(接岸するこんぴら2

高松港(たかまつこう)は、香川県高松市にある港湾。港湾管理者は香川県。港湾法上の重要港湾港則法上の特定港に指定されている。

概要

備讃瀬戸東部の中央部に位置しており、本州小豆島直島諸島などの離島と四国を結ぶ海上交通の要衝で、入港船舶隻数、フェリー旅客数およびフェリー貨物トン数が全国第2位(2004年度)という日本屈指の旅客港である。特に宇高航路の旅客及びトラック輸送が利用客の大部分を占める。

港湾区域は高松市屋島西町の長崎の鼻から女木島の帆槌の鼻、生島町紅峰東北端までに至る地域(高松漁港及び浦生漁港を除く)[1]で、東から屋島、朝日、玉藻、西浜、弦打、香西、神在、生島の各地区から構成されている。

歴史

  • 高松港がある場所はかつて野原郷と呼ばれていた。11世紀ごろまでにこの地に港町が開かれ、交易によって繁栄していた。
  • 1588年天正16年)、豊臣政権下で讃岐一国の領主に封じられた生駒親正が、野原郷を高松と改称して高松城(玉藻城)の築城と城下町の整備をするとともに、内町港を築造する。1642年寛政19年)、生駒騒動後に水戸徳川家から讃岐高松に入封した松平頼重は、矢野部伝六を起用し西浜港(現瀬戸内町、高松漁港)、堀川港(現浜ノ町)、東浜港(現城東町)等の港を改修。御用船、商船、漁船、金毘羅船などが入港して賑わった。
  • 1897年明治30年)から1908年(明治41年)にかけて高松市の近代港湾整備計画により、第一次から第四次に渡る築港建設工事が行われ、近代港湾として整備された。(この時の事業で高松城周辺の玉藻浦、堀川などが埋め立てられている。)また、山陽鉄道において鉄道丸亀より高松港までの延伸と高松駅の整備などが行われた(現在の予讃線)。その後1910年(明治43年)、岡山県国鉄岡山駅-宇野駅が開通したのに伴い、宇野 - 高松間に連絡船が就航した。
  • 1923年大正11年)、高松市から香川県に移管され、1927年昭和2年)に県営桟橋事務所が完成。1928年(昭和3年)、内務省直轄施工による拡張修築工事が完成し、市主催の築港完成記念全国産業博覧会が開催された。
  • 1951年(昭和26年)重要港湾の指定を受ける。工業用地、貨物置場の埋立、中央埠頭の整備などが続けられる。
  • 1963年(昭和38年)には港湾区域が変更され、弦打、神在、香西、生島の各港が高松港に含まれる。
  • 1998年(平成10年)より再開発事業が開始される。詳細はサンポート高松を参照。

サンポート高松

玉藻地区東部は、瀬戸大橋が開通するまでは高松駅と一体となり国鉄JR四国宇高連絡船が就航し、四国の玄関口として賑わった。現在もウォーターフロント再開発により誕生したサンポート高松を中心に旅客と観光客とで賑わう。

小豆島航路

直島諸島航路

宇高航路

宇高航路も参照。乗り場はサンポートから東側に離れて会社別に設置。

高松東港

関西航路

イベント

関連項目

参考文献

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外部リンク

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  1. 港湾区域高松港ホームページ