関西大学第一中学校・高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:日本の高等学校

関西大学第一中学校・高等学校(かんさいだいがくだいいちちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、大阪府吹田市山手町三丁目にある私立中学校高等学校

関西大学併設の中高一貫校全日制普通科男女共学

概要

関西大学併設の実業学校として、1913年大阪市北区(現在の福島区上福島に創立された「関西甲種商業学校」が起源。

校名の「第一」は、戦前に夜間部の第二商業学校を併設していたことに由来する。ただし第二商業学校は戦時中に廃校となったため、同校の後身校は存在しない。

開校以来男子校であったが、1995年4月の中学校共学化に伴い、1998年4月から高等学校も共学となった。高等学校でも生徒募集があり、定員は中学校250名、高校は450名(10クラス、うち男子のみのクラスが2クラス存在したが、男子クラスは廃止された)である。

大学併設校の利点を生かした高大連携プログラムが実施されている。

最寄駅は阪急電鉄千里線関大前駅。南改札を出て南にある校門まで徒歩1分。

校舎設備

2007年6月に、高等学校の2階入り口に大きなオルゴールが設置され、始業前や昼休みに鳴らしている。価格はおよそ300万円。収録曲は「ノクターン第二番」「美しく青きドナウ」「みかんの花咲く丘」「」「乾杯の歌(椿姫)」「浜辺の歌」「春(四季)」などである。

高等学校運動場は2007年初頭に人工芝化された。

中学校

システム

毎学年末には各教科の成績が5段階評価で出される。その評価の3年分の平均値が1.8未満だと高校へ進学することはできない。その規則により、毎年数名が他の高校への進学を余儀なくされている。

高等学校

各学年10クラス編成。毎年クラス替えがある。

高等学校では2年から「文Iコース」「文IIコース」「理コース」に分かれる。文IIコースは共学1クラスで、理コースが3ないし2クラス、文Iクラスが6ないし7クラスとなる。理コースと文IIコースの選抜に漏れた場合は文Iコースとなる。3年への進級時にコース変更はできない。

理コース志望の生徒が学年全体の30%に満たない場合は2クラス編成となるが、関西大学へ理科系として進学する生徒が少なく、関大側が理科系の生徒を欲しがっているため、許容範囲であれば少々無理にでも理コースを3クラス編成にしようとしているのが実情ではある。

1年生では、入学直後に広島県福山市沼隈町みろくの里へ宿泊研修で行くことになっている。1年間の成績で、1単位以上16単位以下落とすと教科ごとに追認定課題を渡される。この課題を規定時間内(およそ4日)にこなせない、もしくは不備・欠如があった場合、あるいは誰かの協力を得たことが発覚した場合は留年(この学校では「留級」と呼称されている)となる。また、17単位以上落とすと無条件で留年となる。

修学旅行は2年の3月上旬ごろ、北海道の星野リゾート トマムへ行くことになっている(スキー学舎と呼ばれている)。

関西大学への進学率は毎年およそ95%の高率となっている。ちなみにこれは3年生全生徒のうち、内部推薦入試を受けた生徒の進学率である。

沿革

  • 1913年 - 大阪市北区上福島に私立関西甲種商業学校が開校。
  • 1924年 - 関西大学第二商業学校開校により、関西大学第一商業学校に校名変更。
  • 1944年 - 第二商業学校廃校。
  • 1947年 - 学制改革により、新制の関西大学第一中学校が設置される。
  • 1948年 - 学制改革により、新制の関西大学附属第一高等学校が設置される。
  • 1952年 - 関西大学第一高等学校に改称。
  • 1953年 - 天六学舎から現在地に移転。
  • 1995年 - 関西大学第一中学校、共学化。
  • 1998年 - 関西大学第一高等学校、共学化。

著名な卒業生

クラブ活動


1998年硬式野球部の第70回選抜高等学校野球大会での準優勝[1]、アメリカンフットボール部全国二連覇(1997年、1998年)をはじめ、日本拳法部の全国高等学校日本拳法選手権大会優勝11回、サッカー部の全国高校選手権ベスト4(2009年度)・インターハイベスト16(2004年、2006年)、水泳部の全国大会出場など、全国大会で活躍するクラブが多数ある。フェンシング、ヨット、アイスホッケーといった珍しいクラブも存在する。

関連項目

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:学校法人関西大学

テンプレート:Asbox
  1. 関西甲種商業学校時代に第6回選抜中等学校野球大会に出場して以来69年ぶりの出場であった。