前川清成

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テンプレート:日本の国会議員 前川 清成(まえかわ きよしげ、1962年12月22日 ‐ )は、日本政治家弁護士民主党所属の参議院議員(2期)、民主党奈良県連代表。

来歴

奈良県橿原市生まれ。父は大阪ガス勤務、母は学校給食調理員関西大学第一高等学校関西大学法学部卒業。関西大学法学部在学中、母の死去をきっかけに弁護士を志し、1987年司法試験に合格。司法修習第42期を修了し、1990年大阪弁護士会弁護士登録。以後、経済産業省近畿経済局顧問弁護士(消費者相談担当)や大阪弁護士連合会消費者保護委員会副委員長、日本弁護士連合会評議員等を歴任し、主に消費者問題を手掛けた。

2004年第20回参議院議員通常選挙民主党公認で奈良県選挙区から出馬し、31万1990票を獲得して自由民主党現職の服部三男雄を破り初当選。

2007年9月、民主党副幹事長に就任し、鳩山由紀夫岡田克也の両幹事長を支える。2010年第22回参議院議員通常選挙では一人区で民主党が8勝21敗と苦戦する中、30万8440票を獲得して再選。2011年、参議院経済産業委員長に就任。

2011年民主党代表選挙では、同じ奈良県選出の馬渕澄夫を支持し、馬淵の推薦人に名を連ねる(当選者は野田佳彦)。2012年9月民主党代表選挙では、野田の再選を支持。野田の推薦人に名を連ねた。

2012年内閣府副大臣に就任して、金融庁消費者庁男女共同参画少子化対策・障がい者政策・「新しい公共」などを担当。 併せて、復興副大臣を兼務して、被災地の「二重ローン」問題を担当。

民主党の下野後、民主党次の内閣「ネクスト法務大臣」、同憲法調査会事務局長に就任。

2013年、議院運営委員会筆頭理事に就任。同年10月開会の第185回国会において、議院運営委員会委員長の岩城光英自民党)に対する解任決議案を提出。同年12月5日の参議院本会議において、「良識の府という言葉は私たち参議院議員自らが声高に叫ぶゆえに冠される訳ではありません。あたかも審議時間を積み重ねれば足りるかのごとき審議だけで、衆議院から送付された法案を丸のみしていたならば、参議院なんか要らないとの声が国民の間に沸き起こることは必至です」と決議案の趣旨説明を行った[1]

政策・主張

多重債務対策

弁護士として15年間、消費者問題、特に多重債務問題に取り組んだ経験を踏まえ、「サラ金金利を引き下げたい」との思いで、2004年の参議院選挙に立候補し、政治の世界へ飛び込む。当選直後から、当時の29.2%のサラ金の金利を引き下げてグレーゾーンを無くさない限り、消費者被害は根絶できないと主張して、改正貸金業法成立に尽力し、サラ金の金利引下げを実現した。さらに、内閣府副大臣(金融担当副大臣)として多重債務問題対策を担当する。また、復興副大臣として、被災地の二重ローンの問題に取り組んだ。

選択的夫婦別姓制度

選択的夫婦別姓制度導入に賛同しているが、2013年4月26日、非嫡出子の法定相続分差別廃止を盛り込んだ民法改正案を、選択的夫婦別姓制度と切り離して参議院に提出した。これは選択的夫婦別姓制度に関しては自民党が明確に反対を示しており、これを含めたならば国会審議に応じる見込みが立たないことから、先ずは非嫡出子の法定相続分差別廃止の廃止のみを切り離して、早期の成立を目指したことによる[2][3]

婚外子差別撤廃

婚外子差別の撤廃に賛成する。2013年11月21日に、出生届への記載事項から嫡出・非嫡出の別を削除する旨の戸籍法改正案を野党共同で参議院に提出している[4]。「『嫡』という字は辞書を引くと『正しい』とか『正統』という意味だが、自分が生まれたことについて何ら責任を負わない非嫡出子に対して『正統ではない子』というレッテルを貼ることが本当に許されるのか」と述べている。

冤罪

冤罪という最大の人権侵害を撲滅するために、その温床となる密室での取り調べにメスを入れなければならない」と発言し、2007年12月と2009年4月に取り調べ可視化法案(刑事訴訟法の一部を改正する法律案)を議員立法として参議院へ提出した。そして、2008年6月と2009年4月、参議院法務委員会で法案発議者として答弁している。

東日本大震災支援金等差押禁止法案

2011年3月11日の東日本大震災以降、民主党復興ビジョン検討チーム設立当初からチーム主査として、「二重ローン」対策の対応に取り組んでいる。8月3日、自身が震災後取り組んできた、「東日本大震災関連義援金に係る差押禁止等に関する法律案」を筆頭発議者として参議院へ提出し、参議院では8月10日に全会一致で可決、衆議院では8月23日に全会一致で可決成立した[5]

民法改正(第三者保証の禁止)を参議院で可決

2013年5月、筆頭発議者として、議員立法の民法改正(第三者保証の禁止)を参議院へ提出した。  提出理由として「保証契約に先立って、主債務者保証人に対して「決して迷惑はかけないから。」、「名前だけだから。」と説明することが大半であり、したがって、保証人は自らは何らの債務も負担しないと軽信したり、自ら負担する債務額を知らされていなかったり、保証契約の効果、つまりその全資産が責任財産になってしまうことの認識を欠いている場合も多い。このため、主債務者の債務不履行によって、保証人は予期していなかった債務の履行を求められ、保証人にとって極めて過酷になることも多いから」を挙げている[6]。 法案は、2013年6月4日参議院法務委員会で趣旨説明、同月10日参考人質疑、同月11日、前川本人が答弁者となり、各党からの質疑を経て、賛成多数で可決された。同月12日、参議院本会議で賛成多数で可決された。  その後、衆議院では与党が審議に応じず、継続審査となったが、次の国会会期末とともに廃案となった。  また、「本人保証の制限」に関しても、金融担当副大臣時代の2012年11月15日、日本金融通信社の講演において、「人口減少や新興国が台頭する中で日本が豊かさを保っていくには世界でオンリーワンの製品技術を生み出していく必要がある。だが、そうした挑戦は失敗の確率も高い。そのため再チャレンジの元手さえ失うような過度な保証債務は経済成長の足を引っ張ることになる。個人的には、モラルハザードを防ぎながら経営者本人保証も制限していくことも必要だと考えている」と述べ、本人保証についても制限をすべきとの立場を明確にしている。

議員立法を起案、提出

民主党の法務担当責任者として、2013年通常国会において、民法改正(非嫡出子の法定相続分差別の廃止)や司法試験法改正、取り調べの可視化法案等など、議員立法の起案に携わった。  また、オリンパス事件などが起こり、日本企業会計が不明朗だと世界市場での信頼を失ったとして、2014年4月に、上場会社では社外取締役の選任を義務付ける、会社法改正案を参議院へ提出した。同年5月の参議院法務委員会で法案発議者として答弁した[7]

 憲法96条改正について 

 民主党の機関誌「プレス民主」(以下概要)において、憲法96条の先行改正に反対を表明しています。

憲法もまた時代や社会の変化に応じて、足らざる点がないのかを見直し、改めるべき点があるのならば改めることは、いわば当然のことです。憲法だけがいつまで経ってもすり減らない、「不磨の大典」ではないはずです。 ただ、憲法改正を議論するに際して肝要なことは、国家権力による人権侵害を抑止し、国民の自由や平等を保障するために「憲法」という「法」が存在します。 憲法が国家権力を制限することによって国民の自由や平等を保障しようとする以上、その改正は法律よりも厳格な手続に由らなければならないことは論理的な帰結です。何故なら、法律と同じ要件で改正できてしまったならば、法律を制定する国家権力=国会を制限することにはならないからです。  過半数で発議が可能とするなら政府・与党は憲法改正を発議することが可能になります。つまり、政権交代の度に「我党の憲法」を発議することが可能です。これでは憲法は国家権力を制限するための法でありながら、政府・与党は憲法による制限に恣意的な「手心」を加えることが可能になってしまい、憲法の国家権力を制限する「力」が弱くなり、立憲主義が空洞化します。 戦後、日本ではただの1度も憲法が改正されなかったのは、憲法96条が理由ではありません。憲法が改正されなかったのは、衆参両院の3分の2に達する広範な合意が成立しなかったからです。  改正の中身を議論することなく、まずは憲法96条を先行して改正しようとする主張は、試験の前に「数学は苦手で合格しそうにないから、試験科目は国語と英語だけにしてくれ」と言っているようなもので、中身の議論の前にルールを変更してしまうことは乱暴過ぎます。


発言

「民主党が目指して来た3年間は絶対に正しかったはずです」(2012年11月9日、自身のツイッター)[8]

脚注

  1. 第185回国会 議院運営委員会 第14号
  2. 第183回国会 法務委員会 第2号 平成二十五年三月二十一日
  3. 婚外子相続差別規定を削除する民法改正案を3党共同で参院に提出
  4. 戸籍法改正案を参院に提出 出生届への記載事項から嫡出・非嫡出の別を削除
  5. テンプレート:Cite web
  6. 金融機関の貸し付けで第三者保証を禁止する民法改正案を3党共同で参院に提出
  7. 民主党など野党4党で、会社法の改正案を参院に提出
  8. [1]

外部リンク

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テンプレート:S-par |-style="text-align:center" |style="width:30%"|先代:
柳澤光美 |style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 参議院経済産業委員長
2011年 - 2012年 |style="width:30%"|次代:
増子輝彦 テンプレート:S-off |-style="text-align:center" |style="width:30%"|先代:
末松義規中塚一宏吉田泉 |style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 復興副大臣
今野東黄川田徹と共同

2012年 |style="width:30%"|次代:
谷公一浜田昌良寺田稔 テンプレート:S-off |-style="text-align:center" |style="width:30%"|先代:
石田勝之後藤斎吉田泉末松義規中塚一宏 |style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 内閣府副大臣
白眞勲松宮勲今野東大島敦藤本祐司園田康博と共同

2012年 |style="width:30%"|次代:
西村康稔伊達忠一寺田稔坂本哲志赤羽一嘉井上信治

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