平間寺

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テンプレート:出典の明記 テンプレート:日本の寺院 平間寺(へいけんじ)は神奈川県川崎市川崎区にある真言宗智山派大本山である。川崎大師(かわさきだいし)の通称で知られる。山号は金剛山。院号は金乗院(きんじょういん)。高尾山薬王院成田山新勝寺とともに関東三本山のひとつである。尊賢(そんけん)を開山、平間兼乗(ひらま かねのり)を開基とする。2008年(平成20年)時点の貫首は第45世・中興第2世藤田隆乗が務める。

1813年(文化10年)に徳川幕府第11代将軍、家斉が厄除に訪れた事から厄除け大師として広まるテンプレート:要出典 [1]

毎年の正月には初詣の参拝客で大変な賑わいとなる。2012年初詣客は296万人となり、全国3位[2]、神奈川県1位を記録した。

当寺への参詣客を輸送する目的で1899年1月21日(初大師の縁日)に開業した大師電気鉄道は、現在の京浜急行電鉄の基となった。

諸堂・伽藍

本堂
1964年(昭和39年)5月落慶。本尊厄除弘法大師を祭る。堂内には稚児大師救世観音像、不動明王愛染明王金剛界曼荼羅胎蔵界曼荼羅を奉安。毎日、晨朝護摩供から始まり日中も護摩が行われ諸願成就が祈願される。また、勅願寺として大本堂大棟には菊花の紋章が許されている。
山門
1977年(昭和52年)11月落慶。開創850年記念事業。京都東寺四天王像を模刻安置。上層部分は経庫になっており、同寺で行われる「写経会」で写経された経文や、奉納された写経が収められている。上層部分に安置されていた薬師如来像は、薬師殿落慶にともない、遷座された。(上層部分は非公開)
不動堂
1890年(明治23年)創建。現在の建物は1964年(昭和39年)に再建されたもの。本尊の不動明王は成田山新勝寺の本尊を勧請。関東三十六不動霊場第7番、武相不動霊場第1番札所。
不動門
戦後、第43世隆超和上により福島県の有縁の地より山門として移設された。現在の大山門建立に伴い不動門として移設。
薬師殿(旧 自動車交通安全祈祷殿)
1963年(昭和38年)12月創建。1970年(昭和45年)11月、現在のインド風の堂宇になる。祈祷殿の中央大塔には法輪が掲げられている。弘法大師、不動明王、般若守護十六善神が奉安されていた。2006年4月29日、大師河原に新祈祷殿が完成移転し、2008年11月「薬師殿」として落慶。
中興塔(八角五重塔
1984年(昭和59年)、弘法大師1150年御遠忌・大開帳記念として落慶。八角形が特徴の堂宇。毎月第一日曜日と21日の縁日に限り内部が拝観できる。二層に恵果和上像、弘法大師像、興教大師像、両界曼荼羅を安置。初層に真言八祖の図像、金剛界五智如来像、地下の大師地区慰霊堂には釈迦如来が奉安されている。
経蔵
2004年(平成16年)5月1日落慶。中国最後の木版代大蔵経といわれる、「乾隆版大蔵経」を収蔵、本尊は釈迦如来。天井には韓国人間国宝・李萬奉による「双龍」、仏画家・染川英輔による「飛天」図が荘厳されている。また釈迦如来像正面には巨大な五鈷杵が安置されている。天井画は京浜急行電鉄、扁額と賽銭箱は川崎信用金庫が奉納した。
経蔵の落慶により、川崎大師には七堂伽藍が整い、戦後復興が完了したとされている。
福徳稲荷堂
大本堂と不動堂の間に位置する。境内諸堂で唯一、太平洋戦争を潜り抜け残った堂宇。
聖徳太子堂
聖徳太子を祭る。
清瀧権現堂
京都・醍醐寺より勧請した清瀧権現をまつる。
鐘楼堂
大晦日の除夜法楽のほか、6月10日の時の記念日、8月6日の広島原爆忌、8月9日の長崎原爆忌、8月15日の終戦の日梵鐘が打たれる。
大本坊
主に職員や僧侶が所属する寺務所が存在する。廊下の途中には稚児大師が祀られており、一般信徒でも観ることができる。また、若い僧侶のための柏寮という寮も存在する。
信徒会館
一階ロビーは涅槃図成道図などのステンドグラス噴水が設置されている。通称「ステンドホール」と呼ばれる。
地下「大講堂」。300名収容のホール。大日如来像を奉安。
二階、三階は主に信徒接待等に利用される。また、3階には「吉祥殿」という結婚式場がある。
中書院
1966年(昭和41年)5月落慶。南側「光聚庵」(崇仁親王妃百合子命名)と北側「心月庵」(茶道裏千家家元汎叟宗室(鵬雲斎)命名)、「静嘉軒」(立礼席)からなる。正月期間中などは、信徒接待にも使用される。
金剛閣
一階は正月期間中などに、護摩札渡し所となる。二階、三階は主に坊入・信徒接待に使用。
護持志納金受付所・お護摩受付所
一階ピロティ部分は、護摩札の申し込み受付、志納受付所。二階は篤信信徒接待等の応接に利用される。
清浄光院
檀徒菩提所。一般の信徒は立ち入りができない箇所となっている。
遍路大師像
弘法大師の立像。菅笠・錫杖という遊行・遍路姿をとる像の周囲に新四国八十八ヶ所札所の石柱が立ち、貫首が四国遍路をした際の砂が埋設されている。
降魔成道釈迦如来像
釈迦如来の坐像。鶴の池に隣接する形でまつられ、浮御堂から参拝する形式となる。降魔印という印相を結んでいる。胎内には印度大菩提会を通じて請来された「真身仏舎利」が奉安されている。
「祈りと平和」の像
像全体は金色。中央は富士山の上に光臨した観音をモチーフとした女神、周囲は鹿野苑で楽器を奏でる天女。中央の女神が「祈り」、周囲の天女が「平和」を表している。文化勲章受章者の円鍔勝三の作品。

主な年中行事

ファイル:川崎大師境内.jpg
大本堂から境内を撮影
1月
1日 - 元朝大護摩供
第二月曜日-成人式法楽(公式HPには載せていない)
21日 - 初大師
2月
3日 - 節分会・豆まき式、星祭り
3月
18日~24日 - 御影供まつり
21日 - 正御影供
4月
21日- 大般若経転読会
5月
10年に1度、5月は大開帳奉修が行われ、赤札が授与される。2014年(平成26年)に行われ、次は2024年の予定。
7月
中旬- 風鈴
8月
20日21日22日-夏期講座(信徒・著名人・教学研究所教授らが講師)
12月
8日 - 成道会
21日 - 納めの大師
大晦日 - 除夜法楽

所在地

〒210-8521 神奈川県川崎市川崎区大師町4番48号

交通

別院

施設

川崎大師教学研究所
川崎市川崎区東門前1-9-9
自動車交通安全祈祷殿
2005年4月29日落慶。本尊弘法大師像は前日に遷座された。同様に不動明王、般若守護十六善神も遷座された。新たに金剛界胎蔵界の両部曼荼羅が奉安された。国道409号線沿いにあり、駐車場が併設されている。建物の意匠は旧来のものを踏襲。大きさは約2.7倍。
住所 川崎市川崎区大師河原1-1-1
大師幼稚園
川崎市川崎区東門前1-4-9

歴世貫首

貫首 在位
開山 尊賢 1128年大治3年) -    年(   年)
第2世 賢忍    年(   年) -    年(   年)
第3世 尊賀    年(   年) -    年(   年)
第4世 尊祐    年(   年) -    年(   年)
第5世 祐賢    年(   年) -    年(   年)
第6世 賢眞    年(   年) -    年(   年)
第7世 實賢    年(   年) -    年(   年)
第8世 尊順    年(   年) -    年(   年)
第9世 賢順    年(   年) -    年(   年)
第10世 尊如    年(   年) -    年(   年)
第11世 賢如    年(   年) -    年(   年)
第12世 順俊    年(   年) -    年(   年)
第13世 俊如    年(   年) -    年(   年)
第14世 俊賢    年(   年) -    年(   年)
第15世 賢空    年(   年) -    年(   年)
第16世 空保    年(   年) -    年(   年)
第17世 空尊    年(   年) -    年(   年)
第18世 尊慶    年(   年) -    年(   年)
第19世 尊乗    年(   年) -    年(   年)
第20世 尊榮    年(   年) -    年(   年)
第21世 尊知    年(   年) -    年(   年)
第22世 尊喜    年(   年) -    年(   年)
第23世 尊秀    年(   年) -    年(   年)
第24世 秀賢    年(   年) -    年(   年)
第25世 乗印    年(   年) -    年(   年)
第26世 乗榮    年(   年) -    年(   年)
第27世 乗順    年(   年) -    年(   年)
第28世 乗賢    年(   年) -    年(   年)
第29世 如實    年(   年) -    年(   年)
第30世 實嚴    年(   年) -    年(   年)
第31世 普照    年(   年) -    年(   年)
第32世 辨隆    年(   年) -    年(   年)
第33世 隆範    年(   年) -    年(   年)
第34世 隆圓    年(   年) - 1813年文化10年)
第35世 鳥養隆盛 1813年(文化10年) - 1844年天保15年)
第36世 隆純 1844年(天保15年) -    年(   年)
第37世 隆珊    年(   年) - 1873年(明治6年)
第38世・総本山44世 佐伯隆基    1873年(明治6年) - 1880年(明治13年)
第39世 深瀬隆健    1880年(明治13年) - 1897年(明治30年)
第40世 佐伯隆範    1897年(明治30年) -    年(   年)
第41世 佐伯隆運      年(   年) - 1923年(大正12年)
第42世 高橋隆中 1923年(大正12年) - 1925年(大正14年)
第43世 高橋隆超 1925年(大正14年) - 1948年(昭和23年)
第44世・中興第1世 髙橋隆天 1948年(昭和23年) - 2006年(平成18年)
第45世・中興第2世 藤田隆乗 2006年(平成18年) -

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. 新編武蔵風土記稿」(昌平坂学問所地理局、1830年)や「平間寺史」(平間寺出版部、1934年)には、(六郷筋への)御成にあたって御膳所(休憩所)となったとのみ記されている。
  2. テンプレート:Cite web

関連項目

  • 厄年
  • 夜光 - 祀られている弘法大師像が発見された場所。

外部リンク

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