野村忠宏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:柔道家

野村 忠宏(のむら ただひろ、1974年12月10日 - )は、奈良県北葛城郡広陵町生まれの男性柔道家。2009年4月より弘前大学大学院医学研究科博士課程所属。天理高校 - 天理大学 - 奈良教育大学大学院修了。ミキハウス所属。柔道五段。得意技は背負投。身長164cm、体重62kg。

人物

祖父は地元・奈良で道場「豊徳館野村道場」を開く柔道師範野村彦忠、父はロサンゼルスオリンピック金メダリストの細川伸二ら名選手を育てた元天理高校柔道部監督野村基次、叔父はミュンヘンオリンピック金メダリストの野村豊和、兄野村忠寿も豊徳館野村道場のコーチ[1]という柔道一家。

小柄な体から繰り出される多彩な技や、抜群の切れ、スピード、天性の守りのカンが天才的と称される。コーラが大好き。相手を事前に研究しないことや、試合前後の誰も寄せつけない集中ぶりから天才肌だと言われている。その他、小柄さから「小さな巨人」、得意技が背負投であることから「平成の三四郎」との異名もある。

男子柔道60kg以下級の選手として、アトランタオリンピックで優勝。シドニーオリンピックにて柔道軽量級で初の2連覇。アテネオリンピックにおいて柔道史上初、全競技通してはアジア人初となる3連覇を達成。さらに夏のオリンピックでの金メダルは日本人通算100個目というメモリアルになった。

近代オリンピック史上2人しかいない個人種目4連覇[2]を目指すも、2008年4月の全日本選抜体重別選手権準決勝で浅野大輔に敗戦し北京オリンピック代表を逃した(代表に選ばれたのは平岡拓晃)。

年譜

エピソード

オリンピックで金メダルを3度獲得しているが、3度とも翌日の有名スポーツ新聞の1面に載らず、谷亮子(田村亮子)が全て1面を飾っている。これはオリンピックで野村の男子60kg級と谷の女子48kg級が同じ日に行われるため、マスコミの注目度の高い谷の試合結果が優先的に記事にされてしまうからである[4]。野村曰く、アトランタオリンピックを取材したスポーツ新聞の記事に『田村亮子、まさかの銀メダル! 野村忠宏、まさかの金メダル』と書かれた、と自虐的に語っている。[5]

戦績

脚注

テンプレート:Reflist

参考文献

  • 佐藤倫朗 野村忠宏 十番勝負 三起商行、2004年 ISBN 4-89588-809-6

関連項目

外部リンク

テンプレート:日本スポーツ賞大賞 テンプレート:柔道競技オリンピック金メダリスト男子超軽量級 テンプレート:Championshiptitle2 テンプレート:Championshiptitle2 テンプレート:Championshiptitle2 テンプレート:Championshiptitle2 テンプレート:Championshiptitle2 テンプレート:Championshiptitle2

テンプレート:Championshiptitle2
  1. http://www.judo-ch.jp/team/dojo/002/
  2. 円盤投げアル・オーターと、走幅跳カール・ルイスのみ(いずれもアメリカ合衆国)。
  3. これは後々まで野村の苦労話のネタとなっている。
  4. つまり谷は金メダルを逃しても先んじて記事にされてしまうということである。
  5. テレビ番組『さんまのまんま』での発言より。