近江商人

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近江商人(おうみしょうにん、おうみあきんど)または江州商人(ごうしゅうしょうにん)、江商(ごうしょう)は、主に鎌倉時代から昭和時代(特に戦前期)にかけて活動した近江国滋賀県出身の商人大坂商人伊勢商人と並ぶ日本三大商人の一つである。現在でも俗に、滋賀県出身の企業家を近江商人と呼ぶことがある。通常、近江国外に進出して活動した商人のことを近江商人と言い、活動地域が近江国内に限定される商人は「地商い」と呼ばれて区別された。

概要

愛知郡愛知川枝村)、蒲生郡八幡日野)、神崎郡五箇荘能登川)などの出身者が多数。なかでも得珍保延暦寺荘園)を拠点とした保内商人の活動が近江商人の前駆となっている。初期の頃は京都美濃国伊勢国若狭国などの近隣地域を中心に行商を行っていたが、徐々に活動地域や事業を日本全国に拡大させ、中には朱印船貿易を行う者も現れた。鎖国成立後は、京都・大坂江戸の三都へ進出して大名貸醸造業を営む者や、蝦夷地(現在の北海道)で場所請負人となる者もあった。幕末から明治維新にかけての混乱で没落する商人もあったが、西川産業のように社会の近代化に適応して存続・発展したものも少なくない。今日の大企業の中にも近江商人の系譜を引くものは多い。

その商才を江戸っ子から妬まれ、伊勢商人とともに「近江泥棒伊勢乞食」と蔑まれたが、実際の近江商人は神仏への信仰が篤く、規律道徳を重んずる者が多かった。様々な規律道徳や行動哲学が生み出され、各商家ごとに家訓として代々伝えられた。成功した近江商人が私財を神社仏閣に寄進したり、地域の公共事業投資したりした逸話も数多く残されている。

当時世界最高水準の複式簿記の考案(中井源左衛門・日野商人)[1]や、契約ホテルのはしりとも言える「大当番仲間」制度の創設(日野商人)、現在のチェーン店の考えに近い出店・枝店の積極的な開設など、近江商人の商法は徹底した合理化による流通革命だったと評価されている。

近江商人の思想・行動哲学

  • 三方よし「売り手よし、買い手よし、世間よし」
売り手の都合だけで商いをするのではなく、買い手が心の底から満足し、さらに商いを通じて地域社会の発展や福利の増進に貢献しなければならない。
三方良しの理念が確認できる最古の史料は、1754年に神崎郡石場寺村(現在の東近江市五個荘石馬寺町)の中村治兵衛が書き残した家訓であるとされる。ただし、「三方良し」は戦後の研究者が分かりやすく標語化したものであり、昭和以前に「三方良し」という用語は存在しなかった[2]
  • 始末してきばる
「始末」とは無駄にせず倹約することを表すが、単なるケチではなくたとえ高くつくものであっても本当に良いものであれば長く使い、長期的視点で物事を考えること。また「きばる」とは本気で取り組むこと。
  • 利真於勤
利益はその任務に懸命に努力した結果に対する「おこぼれ」に過ぎないという考え方であり、営利至上主義の諫め。
  • 陰徳善事
人知れず善い行いをすることを言い表したもの。自己顕示や見返りを期待せず人のために尽くすこと。

※近江商人の成り立ちに関し「(松尾)芭蕉の教導訓示によりて出来たもの」と言う勝海舟の談話が残されている。[3]

近江商人の流れを汲むとされる主な企業

書籍

  • 江南良三『近江商人列伝』 サンライズ出版。ISBN 978-4-88325-016-5
  • サンライズ出版編『近江商人に学ぶ』 サンライズ出版。ISBN 978-4-88325-238-1
  • 小倉榮一郎『近江商人の理念―近江商人家訓撰集』 サンライズ出版。ISBN 978-4-88325-232-9
  • 末永國紀『近江商人学入門―CSRの源流「三方よし」』 サンライズ出版。ISBN 978-4-88325-146-9
  • 渕上清二『近江商人ものしり帖』 サンライズ出版。ISBN 978-4-88325-314-2
  • 末永國紀『近江商人―現代を生き抜くビジネスの指針』 中央公論新社。ISBN 978-4121015365

映画

脚注

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関連項目

地域・施設
人物
組織
物品

外部リンク

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  1. 小倉栄一郎『江州中井家帳合の法』
  2. 三方よし研究所 情報誌「三方よし」36号
  3. 講談社学術文庫刊「氷川清話」ISBN4-06-159463-X