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(むらさき)は、純色の一種。の間色であり、典型的な紫はよりやや赤寄り。紫色(シショク、むらさきいろ)は同義語英語ではパープル (テンプレート:En) といい、菫色(すみれいろ、きんしょく)、バイオレット (テンプレート:En) を紫に含む場合もある。古英語ではパーピュア (テンプレート:En) といい、紋章学で用いる。七色橙橙・紫)のうち、光の波長が最も短い(380〜430nm)。これより波長が短いものを紫外線という。

名前の由来

「紫」の原義は色の「むらさき」、あるいは一説に、紫色に染めただという[1]

この漢字で草本の「むらさき」を意味するのは国訓であり、本来は「紫草」の形でしかその意味はない。なお漢籍に書かれた「紫草」は別種だという説もあるが、現代中国語では「むらさき」と同種である[2]

ムラサキ

「ムラサキ」はもともと紫草という植物の和名であり、この植物の根(紫根)を染料にしたことから、これにより染色された色も「ムラサキ」と呼ぶようになった。この名称自体は、ムラサキが群生する植物であるため、『群(むら)』+『咲き』と呼ばれるようになったとされる[3]。古来この色は気品の高く神秘的な色と見られた。また紫草の栽培が当時の技術では困難だったために珍重され、古代中国(代以降 - 時代が下ると黄色に変った)、律令時代の日本などでは、紫は高位を表す色とされ、主に皇族やそれに連なる者にしか使用を許されなかった。

枕草子』の冒頭、「少し明りてむらさきだちたる雲の細くたなびきたる」という箇所は『紫色の雲』という意味と、『群がって咲く(ムラサキの)花のような』という両方の意味があるともされる。なお、ムラサキの花は白色である。

パープル (purple)

「紫色」の英語に相当する語句が"purple"である。もともとこの単語は、巻貝の一種"purpura"(ラテン語、プールプラ)に由来する。この巻貝の出す分泌液が染色の原料とされ、結果としてできた色もpurpuraと呼ばれた。この染色法を発明したのは現代のイスラエルレバノンの地域に住んでいた古代のカナーン人であるといわれる。巻貝1個から出る分泌液はわずかであったため、この染色布が貴重なものであり、ローマ帝国の頃より西洋では高貴な身分の者が身に着けていた。この染色によって彩られた紫は若干赤みがかっていたようである。詳しくは貝紫色を参照。

また、英語の"purple"は、紅みがかった紫を指す語で、日本で言う所の京紫である。また、"purple"は、紫と紅の両義を含める場合がある。例えば、怒って顔を紅くする様相を、英語では"turn purple with rage"と表現する。細菌学においても、 "purple" は「紫」ではなく "red"(紅)を指す。紅色細菌 (purple bacteria) などの例がある。

バイオレット (violet)

「紫色」を指すことがあり、しばしばパープル (purple) に代わって、基本色としての紫を指す単語として使われる。なお、アイザック・ニュートンの定義によるの7色のうち、最も短波長側の色である紫は英語では"violet"であり、"purple"ではない。この"violet"は本来スミレを意味する単語であり、菫色(すみれいろ)と訳すのが正確である。パープルは赤味の強い紫(マゼンタ)なのに対し、バイオレットは青味の強い紫であり、日本語江戸紫に似ている。

派生色

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  • マゼンタ(赤紫) - 紅と紫の中間色。
  • 青紫
  • 深紫 - 黒っぽい紫。 日本の律令制で規定。
  • 浅紫 - 赤みをおびた薄い紫。日本の律令制で規定。
  • 本紫
  • 偽紫
  • 京紫 - 赤味を帯びた紫
  • 江戸紫 - 青味を帯びた紫
  • 貝紫 - 螺などの貝から取った染料で染めた紫
  • 藍紫 - 青味を帯びた暗い紫

光の色としての紫

テンプレート:Infobox webcolor テンプレート:Infobox webcolor テンプレート:Infobox webcolor テンプレート:Infobox webcolor テンプレート:Infobox webcolor テンプレート:Infobox webcolor 紫は一般に可視光波長のうち最小波長である、およそ380〜430nmの波長の色として知覚される。

ウェブカラーでは基本16色として"purple"が定義されており、色を指定する際にpurpleと入力すると16進数表記にして#800080の色(濃い紫)が表示される(右図)。

派生色としては"violet"やマゼンタ"magenta"などが定義されている。これらは、フクシャ"fuchsia"を除けば基本16色として定義されておらず、すべてのブラウザで正しく発色される保証はされていない。"magenta"と"fuchsia"は同色として定義されてはいるが、"magenta"は基本16色ではない。

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物体色としての紫

テンプレート:Infobox jiscolor テンプレート:Infobox jiscolor テンプレート:Infobox jiscolor テンプレート:Infobox jiscolor テンプレート:Infobox jiscolor 紫は代表的な色ではあるが、赤と青の絵具を混ぜ合わせてもつくることができる(その場合は、やや黒っぽい色調になる)。

JISでは、紫とパープルが慣用色名として右表のように、両者が同色として定義されている。またそれとは別個に、菫色やバイオレットが同色として定義されていることがある。

また、JIS慣用色名では、赤紫や青紫の色が次のように定義されている。 テンプレート:Infobox jiscolor テンプレート:Infobox jiscolor

ほかにも近似色はいろいろ定義されている。詳しくはJIS慣用色名を参照。

紫の色料

顔料

無機顔料

酸化鉄紫 mars violet
黄味の乏しい暗種の酸化鉄赤のこと。天然にも存在し、日本では紫土(シド)として産する。近年では、1975年昭和50年)の法輪寺の三重塔再建に際し、彩色に用いられた。
紫群青 ultramarine violet
赤味の強い色目の合成ウルトラマリンのことである。
マンガン紫 manganese violet
1868年ニュルンベルクで初めて製造された。極めて堅牢な顔料であり、水分にさらされない環境下での保存においては信頼性が高い。さまざまな異名がある。
コバルト紫 cobalt violet
砒酸コバルト、燐酸コバルト、コバルト-リチウム-燐 酸化物固熔体、含水燐酸アンモニウムコバルト、ホウ酸コバルトなどがある。いずれも粗粒で着色力に乏しい。また色がやや淡い。極めて高価な顔料である。また、一部では燐酸コバルト八水和物も顔料として使用されるが、安定性を欠くため好ましくない。

有機顔料

インジゴイド系紫
キナクリドン系紫
オキサジン系紫
アントラキノン系紫
カルボニウム系紫
キサンテン系紫

染料

天然染料

紫色およびその類縁色(特に赤紫)の色素を持つ天然の色材の中には、染料や食品の着色料などに利用されるものに以下のものがある。これらの中には、溶液のpHによって大きく変色する性質があるために、pH指示薬として利用されているものもある。

紫草の根

ムラサキの根は紫根(しこん)と呼ばれ、これを乾燥して粉末状にした上で湯に溶かして色素を抽出し、生地に灰汁による媒染を数十回施してようやく染物が完成する。紫根の持つ紫色の色素は、この植物から名を取ってシコニン (Shikonin) と命名されている。もともとムラサキが栽培困難なうえ、染色に手間暇がかかるため、紫根による染物は高価である。

なお、紫根は傷の殺菌作用などを持つために、漢方では生薬としても利用されている。

紫貝(パープル)

前述のとおり、巻貝の鰓下腺から出た分泌液が染料の原料とされた。この分泌物は、巻貝が外敵を退けるときに分泌する、強烈な臭いを持つ粘液であるが、この粘液が酸化されると鮮やかな紫色を発色することにより、染料として使われるようになった。なお、この色素は現在、臭化化合物の6,6'-ジブロモインディゴであることが分かっている(インディゴを参照)。

巻貝1個から採取できる粘液は微量であるため、服1着の染色には巻貝数千から数万個を必要とした。中世地中海では染色目的による巻貝の乱獲が進み、大航海時代に入る頃には巻貝が激減し、貝による紫染色は廃れていった。

一方、マヤ文明のあったユカタン半島地方の西、現在のメキシコ南部のオアハカ地方でも、別種の巻貝の分泌液を染料とする同様の染色が伝統的に行われている。ここでは巻貝から分泌液を採取した後巻貝を海に戻したため、巻貝の個体数はあまり減っておらず、現在でもこの染色法は行われている。

紫キャベツ(赤キャベツ)

紫キャベツ(赤キャベツ)の持つ紫色の色素はアントシアニン (anthocyanin) である("cyan" とあるが、シアン化物ではない)。この色素の水溶液は、強酸性下でマゼンタに近い鮮やかな赤紫色、弱酸性下で薄赤紫色、中性下で紫〜青紫色、弱塩基性下で青緑色、強塩基性下で黄色を示す。このように水溶液の色が変化するため、pH指示薬として利用できる。また、酸性下で鮮やかな赤紫色を発色するため、食品への着色料として用いられることが多い。食品の原材料名には「紫キャベツ色素」「アントシアニン色素」などさまざまな呼称で明記されている。

アントシアニンは紫キャベツの葉のみならず、黒豆ブルーベリーアサガオ花弁など多くの植物に含まれている。アジサイの花弁にも含まれており、土壌のpHやアルミニウムイオン濃度などによって花弁の色は異なる。

この色素の溶液は、紫キャベツの葉やアサガオの花弁などを60℃程度の蒸留水または無水アルコールに30分ほど浸すと得られる。そしてこの溶液はそのままpH指示薬として利用できる。

コチニール

北米大陸、メキシコの古代アステカ文明のあったあたりでは、コチニールカイガラムシと呼ばれる、ウチワサボテンに寄生する虫から色素を抽出して、赤紫色に染色することが伝統的に行われている。コチニールカイガラムシはエンジムシとも呼ばれており、この虫のメスを乾燥して抽出した色素はコチニール色素と呼ばれる(虫の生態についてはカイガラムシを参照のこと)。

コチニール色素の実態はカルミン酸であり、この物質の水溶液は、酸性下で黄〜橙、中性で紅赤色、弱塩基性で赤紫、強塩基性で紫に変色する。そのためpH指示薬として利用できる。この色素は、化粧品や食品、医薬品の着色料として利用されている。カンパリの色素でもある。赤色顔料として絵具などにも使われている。

ただ、カイガラムシによる染色はアメリカ大陸のみで行われていたわけではなく、カイガラムシの別種 "en:Kermes vermilio" による紅色の染色が地中海一帯やアナトリアにて古くから行われており、ヨーロッパやイスラム世界に広まっていた。このカイガラムシは樫の木の一種ケルメス・オーク (Kermes oak) に寄生する虫であり、この虫から採取された色素の色は Kermes にちなんでクリムソンカーミン(カーマイン、カルミン)と呼ばれ(これに相当する日本語の色名としてえんじ色がある)、色素の物質名(カルミン酸)にもなった。西洋世界では紫色よりもむしろ紅色系の染色として使用されてきた。今日では、アカネ色素の研究により発明された合成染料アリザリンや、Kermes vermilio よりも効率の良いコチニールの生産方法の存在により、かつてほどには使用されていない。

なお、細胞核や染色体を染色するための薬品として、この色素を利用した酢酸カーミン溶液がある。

人工染料

モーブ mauve

1856年に発明された、世界初の合成染料である。これはアニリン染料の一種であり、この色素はモーベイン (Mauveine) と命名された。「モーブ」(mauve) はフランス語、特にゼニアオイ (en:Malva) を意味する。

この発明は、特にイギリスではニュースとなった。パープル貝の分泌液などきわめて高価な天然染料しかなかった発明当時、高級な色とされたものをより安価で染色できるようになったからである。間もなく別の赤紫系合成染料フクシン(後述)が発明されたため、合成染色市場を独占するほどには至らなかったが、この色の服は流行し、合成染色事業は大成功を収めた。

現在では染料としては他の合成染料が用いられていることが多く、この名は色名として用いられる(モーブ (色)を参照)。

フクシン (fuchsin, fuchsine)

モーブに続いて、1859年に発明・発表されたた色素である。フランスの実業家ルナール・フレール (Renard Frères) の専属化学者ヴェルガンにより発明された。このアニリン系色素は固形では緑色をしているが、熱湯やエタノールに溶解させると赤紫色に変化する。さらに少量のアルデヒドを加えると紫色になる。マゼンタの染料・顔料に使われる。

現在ではこの色素による赤紫や紫色の染色が行われるほか、印刷インクや、実験観察のための細胞の染色やアルデヒドなどの分析試薬にも用いられる。

この鮮やかな赤紫色を発色する色素は、フクシアの花の鮮やかな赤紫色に見立ててフクシンと名づけられた。これは、フクシアの命名のもととなったドイツ植物学者フックス (en:Leonhart Fuchs) の単語の意味がドイツ語で「キツネ」 (Fuchs) であることと、実業家ルナールのフランス語での意味もまたキツネ (renard) であることをなぞらえた命名でもある。

フクシンによって発色される色はフクシャとも、マゼンタとも呼ばれる。この色素による染色が発売された1859年、イタリアとフランスの連合軍がオーストリア=ハンガリー帝国軍を破る戦争が起きていた(マジェンタの戦い)。色名は、この戦いの最後の戦勝地マジェンタ (Magenta) を記念して名づけられたものである。

なお、この年とほぼ同じく、イギリスでドイツの化学者ホフマンにより同系統のアニリン赤色素・ローズアニリン (rosaniline) が発明されている。この色素も、マゼンタ色として使用される。

紫に関する事項

テンプレート:雑多な内容の箇条書き

紫の文化

東アジアの思想と制度

古代中国の五行思想では正色(青、赤、黄、白、黒)を最上とし、中間色である紫はそれより下位の五間色に位置づけた。『論語』にある儒教の開祖孔子の言葉に「紫の朱を奪うを悪(にく)む」というものがある[4]

紫を尊んだのは道教で、天にあって天帝の住まうところを紫宮・紫微垣などと呼んだ。南北朝時代に紫の地位は上昇し、五色の上に立つ高貴な色とされた。大業元年(605年)に服色に身分差を設けたとき、五品以上の高官に朱か紫の服を着せ[5]、6年(610年)には五品以上を紫だけにした[6]。高官だけでなく、道教の道士仏教僧侶の中の高徳者にも紫衣を許し、これが代にも継承された。

日本では推古天皇16年(608年)に隋使裴世清を朝庭に迎えたとき、皇子・諸王・諸臣の衣服が「錦・紫・繍・織と五色の綾羅」であった、とするのが紫の初見である[7]。これより先、推古天皇11年(604年)制定の冠位十二階の最上位(大徳小徳)の冠が紫だったとする学説があるが、史料には記されず、確証はない[8]皇極天皇2年(643年)に蘇我蝦夷が私的に紫冠を子の入鹿に授けたことから、大臣の冠が紫であったことが知られる[9]大化3年(647年)の七色十三階冠以降の服色規定では、紫を深紫(または黒紫)と浅紫(または赤紫)の2色に分け、深紫(黒紫)をより高貴な色とした[10]。道教が正式に受容されなかった日本では、高徳の僧侶に対して紫衣が許された(紫衣事件を参照。)。

その他文化に関する事柄

  • 古代では繊維を紫色に染色する事は困難で、貴重な色とされてきた。紫がや最上位を表すようになったのは、ローマ帝国皇帝が、ティルス紫で染めた礼服を使ったことに始まる。以来、ほとんどの国で、王位や最上位を表す色に紫を使うようになり、ローマ皇帝はその着衣に紫をまとった。なお、貴族や第2位を表す色にはが使われた。
  • こうした歴史の経緯により、紫は「王位」、「高級」の連想色となった。(⇔藍色
  • 「ユダヤの王」といわれたイエス・キリストはその死に際して、紫の衣をまとわされたと伝えられる。これに準じてカトリック教会では四旬節司祭が紫の帯をまとい、受難の日にはイエス像を紫の布で覆い隠す。
  • 江戸時代には江戸紫といわれる色が流行した。歌舞伎助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』で花川戸の助六が鉢巻にしているのがこの江戸紫である。それまでは、紫を染める草(紫根)が薬草であったため、武家などが病気の時に締るものとされていた。直情径行、頭に血が上り易い助六の熱さましとして巻かれた紫の鉢巻を、この芝居が大当りして以降、真似をして巻く者が現れたという。
  • イタリアでは不吉な色とされ、オペラ鑑賞にはあまり好ましくないとされた。
  • 西洋の紋章学において、紫色はパーピュアと呼ばれる。古フランス語。ペトラ・サンクタの方法では向かって右上から左下方向の45度の斜線で表現する。
  • 熨斗袋を包む袱紗の色のうち、紫色は慶弔を問わず使用可能である。
  • ゆかりの色」とも言う。これは、『古今和歌集』の「紫の 一本ゆゑに 武蔵野の 草は皆がら あはれとぞ見る」という歌に由来している。
  • 俗に「紫」の字を分解すると「此」と「糸」になるところから、「此(こ)の糸」と呼ばれることがある。また、これは紫式部を指す語でもある。
  • 東京の地下鉄半蔵門線大阪市営地下鉄谷町線名古屋市営地下鉄名城線のラインカラーである。

企業・団体に関する紫

参考文献

テンプレート:参照方法 テンプレート:Sisterlinks

  • 竹内淳子『紫』法政大学出版局<ものと人間の文化史148>、2009年 ISBN 9784588214813
  • 小島憲之直木孝次郎西宮一民蔵中進毛利正守校訂・訳『日本書紀』2、小学館(新編日本古典文学全集 3)、1996年。
  • 小島憲之・直木孝次郎・西宮一民・蔵中進・毛利正守校訂・訳『日本書紀』3、小学館(新編日本古典文学全集 4)、1998年。

脚注

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関連項目

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  1. 角川大字源』「紫」
  2. 藥用植物圖像數據庫 - 記錄頁面
  3. 小松英雄『日本語の歴史』 ISBN 4305702347
  4. 『論語』陽貨第十七。ウィキソース論語/陽貨第十七
  5. 『旧唐書』巻45・与服志。ウィキソース舊唐書/卷45
  6. 『隋書』巻12・礼儀志7。ウィキソース『隋書』/卷12
  7. 『日本書紀』巻第22、推古天皇16年8月壬子条。新編日本古典文学全集『日本書紀』2の558-559頁。
  8. 冠位十二階については『日本書紀』巻第22、推古天皇11年12月壬申(5日)条。新編日本古典文学全集『日本書紀』2の540-543頁。紫とする学説をめぐっては、「冠位十二階#色」と、その脚注に記した文献を参照。
  9. 『日本書紀』巻第24、皇極天皇2年10月壬子条。新編日本古典文学全集『日本書紀』3の76-77頁。
  10. 『日本書紀』巻第25、大化3年是歳条。新編日本古典文学全集『日本書紀』3の166-167頁。これ以後、養老律令に至る位階と紫色の関係については、深紫浅紫の両記事を参照。