笠信太郎

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笠 信太郎(りゅう しんたろう、1900年12月11日 - 1967年12月4日)は、日本のジャーナリスト朝日新聞論説主幹。

経歴

化粧品店を営む笠与平・峯子の長男として、福岡市上土居町(現・博多区店屋町)に生まれる。幼名は与三郎。福岡県立中学修猷館(現・福岡県立修猷館高等学校)を経て、1925年東京商科大学(現・一橋大学)本科を卒業する。1926年同研究科を退学する。

1928年4月大原社会問題研究所研究助手、1931年同研究員を経て、大内兵衛朝日新聞社主筆で中学・大学の先輩でもある緒方竹虎に推薦して、1936年1月朝日新聞社に入社し、同年9月論説委員となる。同じく朝日新聞社論説委員の佐々弘雄や記者の尾崎秀実らとともに近衛文麿のブレーン組織「昭和研究会」に参加してその中心メンバーの一人となり、近衛を取り巻く朝食会(水曜会)のメンバーともなった。1939年には『日本経済の再編成』(中央公論社)を出版して、資本の営利追求の活動に対して、企業の経営的側面を優先させるべきという「資本と経営の分離」などを唱えた。

1940年10月ヨーロッパ特派員としてドイツ駐在を発令され渡欧するが、戦乱のため帰社の見通しが立たず、東京本社欧米部ヨーロッパ特派員として滞欧を続けることになり、1943年10月スイスへ移動、ベルンに滞在。その地に滞在していたアメリカの情報機関OSS(Office of Strategic Services:アメリカ戦略情報局、CIAの前身)の欧州総局長であったアレン・ダレス(後のCIA長官)を仲介とした、対米和平工作に協力している。

戦後は1948年2月に帰社。同年5月論説委員、同年12月東京本社論説主幹、1949年12月朝日新聞論説主幹、1951年11月取締役・論説主幹、1956年12月常務取締役・論説主幹となり、1962年12月に辞任するまで14年間にわたって論説主幹を務めた。

この時期の朝日新聞社の経営陣は、社主村山長挙1960年6月に社長に復帰するまで社長不在であり(村山は1951年11月から1960年6月まで会長)、代表取締役専務取締役信夫韓一郎、常務取締役・東京本社業務局長の永井大三と笠のトロイカ体制を取っていた。信夫には1949年12月に東京本社編集局長に就任するまで東京での勤務経験がなく、東京の政財界に暗かったため、論説主幹の笠が対外的に朝日を代表する「顔」だった。しかし村山社主家との確執から、まず1960年6月に信夫が、続いて1962年に笠が辞任し(村山長挙の社長復帰翌日付で信夫が代表取締役専務取締役辞任)、1963年12月に村山家が永井を解任したことから村山事件となった。なお、笠の辞任は公式には「健康上の理由」となっている(河谷文夫「記者風伝」)。

1967年12月4日、心筋梗塞のため死去。66歳。

言論・活動

東西冷戦朝鮮戦争となっても全面講和論を主張してGHQの反発を買い、GHQは朝日新聞社に笠の追放を要求したが、長谷部忠社長が激しく拒否した。1960年の第一次安保闘争においては安保条約の改定反対、岸内閣退陣の論陣を張ったが(1960年5月21日付の朝日新聞社説「岸退陣と総選挙を要求す」は1面トップに置かれた)、6月15日に安保反対デモ隊と警官隊の衝突で東大女子学生が死亡すると、一転して「暴力を排し 議会主義を守れ」という7社共同宣言(6月17日付)を発する中心的役割を担い、反対運動に冷水を浴びせた。

その後、岸信介首相が退陣すると、宮沢喜一と極秘に接触し、次の首相に朝日新聞OBの石井光次郎を就任させることを宮沢を介して池田勇人に要求するなど、政治的なフィクサーとしても活動した(2009年9月12日毎日新聞/岩見隆夫「近聞遠見」)。

また、恒久平和の実現を目指して、湯川秀樹らと共に世界連邦運動を提唱し続けており、1958年の元旦と1月16日の朝日新聞には「世界連邦を日本の国是とせよ」という社説を掲げている。

著作

  • シュペングラーの歴史主義的立場 同文館 1928
  • 米穀関税調査 大阪自由通商協会 1930 調査叢書
  • 金・貨幣・紙幣 貨幣問題の批判 大畑書店 1933
  • 通貨信用統制批判 改造社 1934 日本統制経済全集
  • 日本経済の再編成 中央公論社 1939
  • 新しい欧洲 河出書房 1948
  • ものの見方について 西欧になにを学ぶか 河出書房 1950 のち角川文庫、朝日文庫 
  • いかに考えるか みすず書房 1951 教養の書
  • 西洋と日本 朝日新聞社 1953. 朝日常識講座
  • 私たちはどう生きるか (笠信太郎集) ポプラ社 1959
  • お城と勲章 随想集 1962 角川文庫
  • “花見酒”の経済 朝日新聞社 1962年 のち文庫
  • いかにして二十世紀を生きのびるか 文芸春秋新社 1964
  • 日本の姿勢 戦後二十年 南窓社 1965
  • なくてななくせ 暮しの手帖社 1966 のち朝日文庫 
  • 事実を視る 講談社 1968 思想との対話
  • 知識と知恵 その他 文芸春秋 1968 人と思想
  • 笠信太郎全集 全8巻 朝日新聞社 1968-69
  • 資本主義の運命 1976 講談社学術文庫
  • 論理について 1976 講談社学術文庫
  • 笠信太郎 晶文社 1998.12 21世紀の日本人へ

共著編

  • 剰余価値学説略史 森戸辰男共著 経済学全集 改造社 1933
  • 日本の百年 編 社会思想社 1966
  • 一人の生命は全地球よりも重し 坂西志保,中島健蔵共著 南窓社 1967

翻訳

  • 金と物価 一貨弊価値論争 ヴアルガ等 我等社 1927 我等叢書
  • 金融資本と恐慌 カール・カウツキー 叢文閣 1927
  • ヘーゲル論 プレハノフ 同人社書店 1927 のち岩波文庫

参考文献

  • 江幡清編『回想 笠信太郎』(朝日新聞社、1969年)
  • 朝日新聞社百年史編修委員会編『朝日新聞社史 大正・昭和戦前編』(朝日新聞社、1991年)
  • 朝日新聞社百年史編修委員会編『朝日新聞社史 昭和戦後編』(朝日新聞社、1994年)
  • 坂田卓雄『スイス発緊急暗号電 笠信太郎と男たちの終戦工作』(西日本新聞社、1998年)
  • 吉田則昭『戦時統制とジャーナリズム 1940年代メディア史』(昭和堂、2010年)

外部リンク

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