竹原直隆

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テンプレート:Infobox baseball player 竹原 直隆(たけはら なおたか、1980年4月21日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手外野手)。

経歴

プロ入り前

岡山県の関西高校を経て、首都大学野球連盟所属の城西大学時代は渡辺直人と同級生で日米大学野球第1回世界大学野球選手権日本代表として活躍するも、4年次に故障してシーズンを棒に振り、ドラフト指名はされなかった。その後三菱自動車岡崎に入社。

三菱自動車岡崎では1年目に第35回IBAFワールドカップ日本代表で5番打者として活躍し銅メダル獲得に貢献するも、翌年に本社不祥事発覚で三菱自動車岡崎も活動自粛を余儀なくされ、2年目はほとんど実績を残せずに終わる。2004年のドラフト会議でロッテから4巡目指名を受け入団するが、このアマ球界の経歴からドラフト指名時には「悲運のスラッガー」とも呼ばれていた。

ロッテ時代

ルーキーイヤーのテンプレート:Byはファームにて打率.313、23本塁打、57打点の活躍で、イースタン・リーグの本塁打王に輝く。打率は3位、打点は2位と二軍では格の違いを見せつけた。ファーム日本選手権では優秀選手賞を受賞し、チームのファーム日本一に大きく貢献した。二年目のテンプレート:Byもファームで打率.310、13本塁打、66打点で、2年連続の本塁打王と打点王も獲得した。9月後半からは一軍に呼ばれ、プロ初安打を放った。テンプレート:Byに初の開幕一軍メンバーに名を連ねた。5月19日楽天戦で谷中真二から一軍初本塁打を放つ。後半戦は主に相手が左投手の時は竹原、右の時は大松尚逸というように併用される形で一軍定着。終盤には左投手のときは福浦和也に代わって3番も任されるなど、後半戦だけで7本塁打(すべて左投手から)を打ち、パンチ力を見せた。

テンプレート:Byの春季キャンプ中に打撃フォームの改造に失敗。オープン戦から絶不調が続き一軍と二軍を行き来し、同期の大松が初めて規定打席に到達したのと裏腹に遅れをとった。シーズン中に4番を任されたこともあったが成績を残すことができず、前年を上回る67試合に出場しながらも打率.181、本塁打3本(うち1本はランニングホームラン)と不振に終わった。テンプレート:Byは衰えが顕著になったベニーの後釜として、89試合に出場したものの打率.228、本塁打5本と期待に応えられなかった。テンプレート:Byに同じ右打ちの外野手の荻野貴司清田育宏の加入や、新監督の西村徳文が前任のバレンタインと反対にスタメンを固定する方針を取ったことなどで出番が減少。指名打者でのスタメン出場はあったが目立った結果を残すことはできなかった。ファーム日本選手権では9回に一時逆転となる適時二塁打を放ち優秀選手賞を獲得した。

テンプレート:By4月3日京セラドーム大阪で行われたチャリティーマッチで、中山慎也から逆転2ラン本塁打を放って開幕を一軍で迎えた。一軍では2試合に出場したが4月17日に出場登録抹消され、同年4月29日に金銭トレードオリックス・バファローズに移籍することが発表された[1][2]

オリックス時代

移籍後は主に対左投手時に指名打者として先発出場、8月28日での古巣ロッテとの対決で小野晋吾から移籍後初の本塁打を放ち、T-岡田の二軍調整時には4番を任される試合もあったものの、本塁打は先述の1本に終わり、結局29試合の出場で打率.205、7打点と目立った結果は残せなかった。オフに背番号を26に変更。

テンプレート:Byは二軍で好成績を残しながら一軍初出場は6月26日と出遅れるが、主に7番・指名打者、または代打で定着する。7月25日の楽天戦では決勝本塁打、翌26日の対戦でも決勝犠飛を放ったほか、8月4日の対ロッテ戦でも逆転2ラン本塁打を放ち、対ロッテ戦では3本塁打7打点の活躍を見せた。しかし、8月に入ると打率が2割を切るなど打撃の粗さが目立つようになり、8月20日に登録抹消されると以降は再昇格はなく、最終的には打率.186、4本塁打10打点の成績でシーズンを終えた。一方、二軍では規定打席不足ながら7本塁打を放ち、ルーキーイヤー以来となるウエスタン・リーグ本塁打王を獲得し、河野亮山下勝充以来史上3人目のイ、ウ両リーグ本塁打王となった。

テンプレート:Byは開幕戦で5番・DHで起用され、開幕スタメンに抜擢されたものの結果を残せず、ノーヒットのまま4月に登録抹消すると長らく二軍での調整が続いた。8月に昇格すると8月30日の西武戦では延長10回にデニス・サファテからシーズン初安打となる決勝二塁打を放つ活躍を見せたが、最終的には昨年の出場数をさらに下回る20試合の出場に留まった。一方、二軍ではチーム最多の8本塁打を放っている。オフには背番号をロッテ時代に着けていた25番に変更されることになった。

プレースタイル

竹原は2013年3月時点でNPBに所属する野手で唯一の左投右打[3]。元来は右利きであるが本人は「気付いたら左投げだった」と語っている。豪快なスイングが魅力で、その姿はアレックス・カブレラを彷彿とさせる。マリーンズ時代は、待望の和製大砲として同期入団の大松尚逸と共に将来のクリーンナップを担う逸材と言われ、ファンの期待も大きかった。長打力だけでなく俊足でもあり、2006年には二軍で8盗塁しており、時折代走でも起用される。

2005年のインタビューで、「三振は少なくしたいけど、2ストライクまでは積極的にバットを振っていきたい。」と語っている。2ストライクまでは豪快なスイングで空振りし、その後はミートスイングでヒットを打つことも少なくない。また、選球眼も持ち合わせている為、出塁率は打率を1割以上上回るシーズンも少なくない。

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 ロッテ 2 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
テンプレート:By2 8 20 19 2 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .105 .150 .105 .255
テンプレート:By2 66 141 122 17 30 6 0 8 60 23 2 0 2 4 11 0 0 29 2 .246 .299 .492 .791
テンプレート:By2 67 139 116 19 21 8 0 3 38 16 1 2 2 0 20 0 1 24 4 .181 .307 .328 .634
テンプレート:By2 89 262 215 23 49 9 1 5 75 30 2 5 6 2 34 1 5 61 3 .228 .344 .349 .693
テンプレート:By2 40 79 72 6 10 3 0 1 16 7 1 0 0 0 7 0 0 17 3 .139 .215 .222 .437
テンプレート:By2 2 4 4 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .250 .250 .250 .500
オリックス 29 85 78 3 16 0 0 1 19 7 0 0 0 2 5 0 0 16 2 .205 .247 .244 .491
'11計 31 89 82 3 17 0 0 1 20 7 0 0 0 2 5 0 0 16 2 .207 .247 .244 .491
テンプレート:By2 34 107 97 7 18 3 0 4 33 10 0 0 0 3 6 0 1 28 3 .186 .234 .340 .574
テンプレート:By2 20 49 42 2 10 4 0 1 17 8 0 0 0 0 7 0 0 13 0 .238 .347 .405 .752
通算:9年 357 890 769 79 157 33 1 23 261 101 6 7 10 11 91 1 7 191 17 .204 .290 .339 .629
  • 2013年度シーズン終了時

年度別守備成績

年度 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2005 1 1 0 0 0 1.000
2006 8 13 0 0 0 1.000
2007 32 50 2 2 0 .963
2008 41 40 0 0 0 1.000
2009 69 94 2 2 0 .980
2010 10 12 0 0 0 1.000
通算 161 210 4 4 0 .982
  • 2013年度シーズン終了時

記録

背番号

  • 25 (2005年 - 2011年途中、2014年 - )
  • 69 (2011年途中 - 同年終了)
  • 26 (2012年 - 2013年)

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:オリックス・バファローズ

テンプレート:千葉ロッテマリーンズ2004年ドラフト指名選手
  1. テンプレート:Cite web
  2. テンプレート:Cite web
  3. 投手では筒井和也阪神)と笠原大芽ソフトバンク)。