秦皇島市

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テンプレート:基礎情報 中国の都市

秦皇島市(しんこうとう/しんのうとう-し)は中華人民共和国河北省に位置する地級市。著名な高級避暑地北戴河や観光地山海関が位置する。

地理

河北省最東部に位置し、南は渤海湾に面する。東は遼寧省葫芦島市、南西は河北省唐山市、北西は承徳市となっている。

歴史

古代の弧竹国の領域であり、戦国時代には燕国の遼西郡に編入された。北戴河の蓮蓬山には秦始皇帝や歴代帝王が巡視した碣石があり、市名の由来となっている。 1381年洪武14年)、朱元璋明朝開国功臣である徐達に命じ、万里の長城の東端となる山海関城を建築させている。 1644年崇禎17年/永昌 (李自成)元年)、李自成率いる農民軍により明朝が滅亡、順朝が成立すると、山海関の守将であった呉三桂清軍に帰順、山海関を開いて清兵を迎えた。これによって清朝は中原の地に入ることになった。

1898年光緒23年)には秦皇島港が開港、鉄道では津楡線(天津-臨楡)も開通するなどの整備が進められ、市内の北戴河は清朝によって中外雑居の避暑地として公認された。北戴河は中華人民共和国成立後、中国共産党幹部の高級避暑地となり、北戴河会議などの重要会議が開催されている。1971年9月北戴河に別荘を有す林彪によるクーデター未遂事件では、計画が発覚した後に林彪は市内の山海関空港から軍所有旅客機に搭乗し逃亡を図ったが、モンゴル内で墜落死する事件を起している。

行政区画としては1948年民国37年)に設置された省轄市としての秦楡市を前身とする。翌年には秦皇島市山海関市に分割され、後者は遼西省の管轄とされた。1953年には山海関市が廃止となり秦皇島市に編入、1958年に県級市に降格したが、1983年に再び地級市に昇格し現在に至る。

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行政区域

3市区、3県、1自治県を管轄する。

年表

秦皇島市(第1次)

  • 1949年10月1日 - 中華人民共和国河北省秦皇島市が発足。一区から三区までの区と海浜区が成立。(4区)
  • 1950年1月25日 - 唐山専区臨楡県の一部が分立し、郊区が発足。(5区)
  • 1950年7月11日 - 郊区が四区に改称。(5区)
  • 1950年9月 (4区)
    • 一区および二区の一部が合併し、一区が発足。
    • 三区および二区の残部が合併し、二区が発足。
    • 四区が三区に改称。
  • 1953年1月2日 - 唐山専区山海関市を編入。(5区)
  • 1953年2月10日 - 唐山専区臨楡県・撫寧県の各一部が海浜区に編入。(5区)
  • 1953年7月28日 (4区)
    • 一区・二区が合併し、一区が発足。
    • 三区が二区に改称。
  • 1954年1月18日 - 海浜区が北戴河区に改称。(4区)
  • 1954年4月24日 - 唐山専区臨楡県の一部が山海関区・北戴河区・二区に分割編入。(4区)
  • 1954年7月19日 - 唐山専区撫寧県の一部が北戴河区に編入。(4区)
  • 1954年8月10日 - 唐山専区撫寧県の一部が山海関区・北戴河区・二区に分割編入。(4区)
  • 1955年10月28日 - 一区が港口区に、二区が湯河区にそれぞれ改称。(4区)
  • 1955年12月6日 - 港口区が海港区に改称。(4区)
  • 1956年3月1日 - 遼寧省錦州専区綏中県の一部が山海関区に編入。(4区)
  • 1958年2月9日 - 湯河区が海港区に編入。(3区)
  • 1958年4月28日 - 秦皇島市が唐山専区に編入。

山海関市

秦皇島市(第2次)

経済

秦皇島港は原油石炭などの中国最大のエネルギー輸出港である。1984年に沿岸開放都市(経済開発区)に指定されている。

日系企業としては、太平洋セメント旭硝子、ジーマックスなどが進出している。

教育

スポーツ

観光

  • 山海関 万里長城が海に入る東端で、山海関の東城門は「天下第一関」と呼ばれる。
  • 孟姜女廟 長城建設の悲話を伝える伝説の地。
  • 秦皇求仙入海処 秦始皇帝が不老長寿の仙人を求めて滞在した場所
  • 北戴河 風光明媚な海岸で、海水浴場がある。中国政府要人の避暑地としても有名。

交通

姉妹都市

友好都市

外部リンク

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