河北省

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テンプレート:基礎情報 中華人民共和国の一級行政区画

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河北省(かほくしょう/ホーペイしょう、中国語:河北省、英語:Hebei)は、中華人民共和国の行政区画の一つ。省都は、石家荘市。河北の省名は、黄河の北にあることに由来する。河北省の旧称冀州から、略称は

地理

黄河の北に位置し、黄海に面する。西側には太行山脈、北には燕山山脈がそびえ、華北平原が広がる。黄河以外の主要な河川には、海河などがある。

北京市天津市を取り囲むように位置し、北部は遼寧省内蒙古自治区と接し、西部は山西省、南部は山東省河南省と接している。

人口

2003年末の省人口は6,770万人で、漢族が96%を占め、少数民族は288万人であった。 少数民族の中では満族が184万人と最も多く、大部分は承徳市各県と青竜満族自治県遵化県易県などに住む。以下は回族56万人、モンゴル族の14万人、朝鮮族9千人などとなる。冀魯官話などの方言がある。

歴史

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河北省での人類の活動は約200万年前まで遡る。また中国の神話上の人物である黄帝炎帝も河北で活動しておりの足跡も数多く残されている。

殷代には現在の邢台市南西部に遷都されている。戦国時代なると中国は「戦国七雄」により分割された群雄割拠の時代を迎え、河北省は北部に、南に、中部には中山国が立てられた。

前221年秦朝が中国を統一すると郡県制が施行され、全国を36郡に分割した。河北省には上谷郡漁陽郡右北平郡広陽郡邯鄲郡巨鹿郡代郡恒山郡の8郡が設置された。前漢が成立すると全国は13刺史部に分割され、河北省は北部は幽州刺史部、中南部は冀州刺史部に属し、張家口北部は北方民族である匈奴烏桓の活動地域とされた。漢代以降、幽州、冀州は一級行政区とされ、その後の魏晋南北朝時代を通じ沿襲されている。

隋代になると607年大業3年)の州制廃止に伴い北平郡恒山郡等14郡が設置されている。唐朝が成立すると627年貞観元年)に全国を10道に分割、河北省はその大分を河北道,一部を河東道及び関内道の管轄とされ、河北の行政区画名称が登場している。

宋代には河北路(後に河北東路及び河北西路に分割)が設置されたものの、遼に対して万里の長城より南側の燕雲十六州(北京周辺など)の割譲をせねばならず、漢民族の王朝にとって大きな屈辱となった。元代には行省が設置され、河北省は腹裏とされ中書省の直轄とされた。明代には都城は応天府(現在の南京市)に設置され、河北省は北直隷省の管轄とされたが、1421年永楽19年)に順天府(現在の北京市)に遷都された際に京師直轄地とされ、清代にも沿襲され直隷省が設置された。

中華民国成立後も直隷省とされていたが、1928年民国17年)の南京遷都にともない河北省と改称された。中華人民共和国成立後、熱河省承徳付近と察哈爾省張家口付近を統合、省都は保定市に設置されたが、1958年天津市に移転、1967年に再び保定市とされ、更に1971年に石家荘市に遷されている。

1976年7月28日唐山大地震が発生、省域に大きな被害をもたらしている。

行政区画

河北省は11の地級市により構成される。地級市が管轄する下部行政区画については下部データーボックスを参照

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経済

河北省は中国最大の穀物、綿花の生産地である。主要穀物としては小麦トウモロコシ高粱イモ類があり、その他経済作物としては綿花以外にタバコ、食用油の原料となる落花生ヒマワリの栽培が盛んである。

工業面では石炭業が盛んであり、それらは海外に輸出される他、火力発電でも使用され石家荘、保定、邯鄲、邢台、衡水、滄州を網羅する河北南電力ネットワークを構成し、また張家口、承徳、唐山、廊坊、秦皇島及び北京、天津を網羅する京津唐電力ネットワーク(河北北電力ネットワーク)を構成する電力供給拠点となっている。

文化

主要観光地

教育機関

外部リンク

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