石川政信

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石川 政信(いしかわ まさのぶ、弘治2年(1556年) - 元亀3年(1572年)または天正18年(1590年)?)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将南部氏の家臣。石川高信の子で南部信直の弟。

天正9年(1581年)に病死した父・石川高信から津軽郡代を継承し浪岡城を居城にしていたが、天正18年(1590年)重臣の大浦為信(後の津軽為信)の陰謀により毒殺されたと言われている。

しかし、天正年間には既に津軽地方は大浦為信が完全に掌握しており、石川政信が津軽に入れる状況ではない事から、政信の存在そのものに疑義を挟む学者もいる。その一方で、南部氏の重鎮・石川家の嫡男である信直が宗家南部晴政の養子に迎えられた後に、石川家を無嗣のまま放置しておいたとも考えられない。津軽氏の記録には大浦為信に、元亀2年(1571年石川城を攻められて父・高信が討たれ、政信は翌元亀3年(1572年)に討たれたという記載があり、これが真相と思われる。