百済考古遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

百済考古遺跡(くだらこうこいせき)は古代朝鮮百済王国の考古学的な遺跡を紹介する。

漢江流域

  • 都城遺跡
    • 夢村土城(ソウル特別市江東区芳夷洞)
    • 風納洞土城(ソウル特別市江東区風納洞)
  • 古墳(高句麗型の積石塚古墳が漢江南岸に集中的に分布し、楽浪郡の影響を受けた横穴式石室4世紀には出現する。)
    • 可楽洞古墳群(ソウル特別市可楽洞)
    • 石村洞古墳群(ソウル特別市石村洞)

清州

ファイル:BaekjeMuseum.jpg
百済古墳群資料館

清州市街に隣接する山の頂上に築かれた周囲長約4kmの城壁に囲まれた広さ約180万m²の山城。正確な築城時期は不明であるが、「三国史記」に記述あり。500年以上の歴史があると考えられる。城壁の内部は集落があり、食堂、土産物屋等もある。車、路線バスで行くこともできるが、環状道路沿いに有る国立清洲博物館近くの登山道入り口より約90分で城壁まで登頂することもできる。

新鳳洞地区にある百済時代の古墳群と資料館

公州

  • 王宮跡
    • 熊津王宮址(公州市公山城史跡公園)
  • 寺院跡
    • 大通寺(公州市班竹洞)
    • 水源寺(公州市玉龍洞、水原谷)

扶余

  • 古墳(横穴式石室墳が多い)
    • 陵山里古墳群(忠清南道扶余郡扶余邑陵山里、百済王室の墓域)
      • 東上塚、東下塚
      • 中上塚、中下塚
      • 西上塚、西下塚
  • 王宮跡
    • 泗沘王宮址(扶余邑官北里、双北里一帯と推定)
    • 扶蘇山城(扶余邑扶蘇山、推定王宮址の後背地)
  • 寺院跡
    • 定林寺址(扶余邑内)五層石塔(百済塔)が残る-中国南朝のは541年に仏典や画家などを百済に送ったとの記録があり、梁からの技術者が新しい都にふさわしい施設として造ったと考えられている
    • 軍守里寺址(扶余邑内)
    • 王興寺址(忠清南道窮岩面新里の蔚城山山腹)

栄山江流域

  • 古墳(全羅南道西南部の栄山江流域には日本式の前方後円墳が分布する)
    • 長鼓山前方後円墳(全羅南道海南郡北日面方山里)
    • 龍頭里前方後円墳(全羅南道海南郡三山面三山里)

外部リンク

テンプレート:Asbox