清國勝雄

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清國 勝雄(きよくに かつお、1941年11月20日 - )は、秋田県雄勝郡雄勝町(現・湯沢市)出身で荒磯部屋(後に伊勢ヶ濱部屋)所属の元大相撲力士。最高位は東大関。本名は佐藤忠雄(さとう ただお)。現役時代の体格は182cm、134kg。得意手は左四つ、寄り、押し。

人物

中学3年時に同郷の元横綱照國の荒磯部屋から熱心に勧誘され、夏休み中の体験入門だけのつもりで上京したが両親の同意や住民票の移転など根回しされたことで観念して入門を正式決定。1956年9月場所初土俵。横綱大鵬とは同期だった。のち親方の名跡変更(6代伊勢ヶ濱)で伊勢ヶ濱部屋所属となった。まだ幕下時代の1962年5月場所、「梅ノ里」より「清國」に改名(「清」は5代伊勢ヶ濱の元関脇清瀬川より、「國」は師匠の照國より)。素質はあるにもかかわらず当初は相撲が嫌いであったためあまり稽古熱心とはいえず師匠から「運ちゃん」[1]というありがたくないニックネームを付けられていたが、後輩の淺瀬川十両昇進で先を越されて発奮し、そこから稽古に打ち込み、1963年5月場所に十両に昇進、3場所で十両を突破して同年11月場所に新入幕を果たした。その翌場所の1964年1月場所は初日から14連勝、横綱大鵬とともに勝ち放し、同期生の優勝決定戦かと騒がれた。しかし、千秋楽関脇大豪に当てられて敗れ14勝1敗、優勝はならなかった。この活躍から北の富士若見山と「若手三羽烏」と称された。なおこの場所で前場所優勝の大関栃ノ海の横綱昇進がかかっていたが清國のよもやの大健闘で2敗ながらも次点にすらもなれないという珍事が起きたが、場所後栃ノ海は横綱に推挙されている。直近場所が優勝、相星、次点いずれにもあてはまらないというケースは年6場所制以後ではこのケースのみである。翌3月場所には前頭13枚目から一気に関脇に昇進し、その後も上位に定着、1967年11月場所からは三役を10場所連続で務め大関候補として評判になった。1969年5月場所で12勝3敗の好成績を挙げ、場所後に大関に昇進した。

新大関で迎えた1969年7月場所では千秋楽に大鵬との相星決戦を制して12勝3敗の成績を挙げ優勝決定戦に進出、前頭5枚目藤ノ川を破り初優勝を果たした。新大関の優勝は1949年10月場所の千代ノ山以来の快挙、この場所横綱柏戸が引退して大鵬の一人横綱となっていただけに一気に横綱昇進の絶好の好機となったが、翌9月場所2日目の小結麒麟児(後の大関大麒麟)戦で頸椎を故障。それが結果的には大関どまりになる原因の一つとなった。

きちんと両手をついて立合いを行う力士であり、1970年前後の、手をつかないことが常態化していた時代に、清國の立会いは賞賛された。また、それを生かした〈後の先〉の立合いで横綱玉の海に勝ったこともある。腕力が非常に強く、それを生かしたおっつけ小手投げは大鵬はじめ相手力士の腕を痛めることがたびたびあり「壊し屋」の異名をとった。時折もろ差しになられても両腕(かいな)で閂(かんぬき)に極め、豪快に極め出すこともあった。四つは左でも右でもとれる『なまくら四つ』でもあった。錦絵から抜け出したような風貌で「綺麗なお相撲さん」として巡業では大鵬以上の人気があった。なお、横綱北の富士との幕内通算対戦は52回を数え、横綱武蔵丸-大関貴ノ浪戦(58回)と大関魁皇-同千代大海戦(54回)に抜かれるまで、当時の歴代最多記録だった(現在は史上3位)。

現役末期は心臓疾患に苦しみ、これ以上現役を続けると命に関わると判断した末に1974年1月場所中に引退。その後はしばらく年寄楯山を襲名していたが、1977年の伊勢ケ濱親方の死去により年寄7代伊勢ヶ濱を襲名して部屋を継承した。親方としては前頭筆頭まで出世した若瀬川らの関取を輩出し、協会理事としても活躍した。最年少理事(当時32歳で、歴代2位)[参考文献 1]。伊勢ヶ濱継承期間は最も長い35年だった。しかし、1985年8月に発生した日本航空123便墜落事故で妻と長女、長男が犠牲となった他、再婚後も詐欺師に騙され部屋の土地・建物を手放す事態となり、ビジネスホテルを転々としながら部屋運営を強いられるなど、困難の連続であった。妻子の不幸そのもの以外に引退の直因となった心臓疾患の影響で御巣鷹の尾根まで鎮魂に行くことがままならない時期があったことも負い目になっているという。

その後、当時安治川部屋を経営していた元横綱旭富士安治川に年寄伊勢ヶ濱を継承させた。

脱臼をはめることが非常にうまく、横綱千代の富士が取り組み中に肩を脱臼したとき(1989年3月場所14日目、対横綱大乃国戦)に、肩をはめる応急処置を施したことがある[2]天理教の信徒としても有名だった。

2004年9月に週刊ポスト誌上で一門の長でありながら甥の玉乃島[3]をはじめとした現役力士の無気力相撲を批判したことで日本相撲協会から役員待遇を解かれ、同年11月場所より監察委員に就任した。

新大関で優勝を果たした1969年7月場所の時に乗っていた車の番号は「75-81」だった。「ナゴヤ1番」で語呂がいいと話題にされたが、語呂合わせの通りに本当に優勝した。

元十両玉ノ国、関脇玉乃島の兄弟は甥。二男の嘉由生は2009年3月落語家の林家木久扇に入門して林家木りん(はやしや きりん)の名前を貰う。

略歴

  • 1956年9月 - 初土俵(前相撲
  • 1963年5月 - 新十両
  • 1963年11月 - 新入幕
  • 1969年7月 - 新大関、初優勝
  • 1974年1月 - 引退、年寄楯山襲名
  • 1977年4月 - 伊勢ヶ濱部屋継承
  • 2006年11月 - 停年(定年、以下同)退職

主な成績

  • 通算成績:706勝507敗32休 勝率.582
  • 幕内成績:506勝384敗31休 勝率.569
  • 大関成績:233勝147敗31休 勝率.613
  • 現役在位:103場所
  • 幕内在位:62場所
  • 大関在位:28場所
  • 三役在位:19場所(関脇12場所、小結7場所)
  • 各段優勝
    • 幕内最高優勝:1回(1969年7月場所)
  • 三賞:7回
    • 殊勲賞:3回(1965年7月場所、1968年1月場所、1969年1月場所)
    • 技能賞:4回(1964年1月場所、1965年1月場所、1965年3月場所、1969年5月場所)
  • 金星:7個(栃ノ海3個、柏戸2個、佐田の山2個)

場所別成績

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改名歴

  • 若い國 忠雄(わかいくに ただお)1956年9月場所-1961年11月場所
  • 梅ノ里 忠雄(うめのさと -)1962年1月場所-1962年3月場所
  • 清國 忠雄(きよくに -)1962年5月場所-1964年3月場所
  • 清國 勝雄(- かつお)1964年5月場所-1965年1月場所
  • 清國 忠雄(- ただお)1965年3月場所-1967年9月場所
  • 清國 勝雄(- かつお)1967年11月場所-1974年1月場所(引退)

年寄変遷・改名

  • 楯山 忠雄(たてやま ただお)1974年1月-1977年4月
  • 伊勢ヶ濱 忠雄(いせがはま -)1977年4月-1985年1月
  • 伊勢ヶ濱 清之輔(- せいのすけ)1985年1月-1990年11月
  • 伊勢ヶ濱 忠雄(- ただお)1990年11月-1992年1月
  • 伊勢ヶ濱 清之輔(- せいのすけ)1992年1月-2006年11月
  • 若藤 清之輔(わかふじ せいのすけ)2006年11月(停年)

脚注

注釈

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参考文献

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関連項目

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  1. 現役力士の自動車運転が当時認められていたため、取的時代には実際に部屋の運転係を務めていた。
  2. 千代の富士は肩の脱臼癖対策に筋肉で関節を固めていたことで有名であるが、これが1度外れるとはめることが大変難しいという問題を起こすことになり、治せる人物は伊勢ヶ濱親方だけだった。
  3. 義弟のタートル岡部と清國は不仲であり、特に清国は岡部の妻でもある妹と折り合いが悪いという。


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