年寄名跡

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テンプレート:出典の明記 年寄名跡(としよりめいせき、みょうせき)とは、日本相撲協会の「年寄名跡目録」に記載された年寄の名を襲名する権利であり、俗に年寄株、親方株とも呼ばれる。年寄を襲名していることは、日本相撲協会の役員になったり、相撲部屋を開くために必要である。名跡を所有していても襲名しないことができる。 テンプレート:See also

襲名条件

日本国籍を有することとともに、以下の条件のいずれかを満たすことが必要。

  • 最高位が小結以上
  • 幕内在位通算20場所以上
  • 十両以上(関取)在位を通算30場所以上
    なお2013年12月20日に「関取在位通算28場所以上なら、名跡の前保有者と師匠、保証人の親方の願書があれば、理事会でその是非を決定する」という規定を同年11月17日の理事会で追加していたことが相撲協会から発表され、関取在位期間については事実上2場所短縮された[1]。この規定が初めて適用されたのは発表の当日付で現役引退して年寄・君ヶ濱を襲名した寶千山幸勘(関取在位が通算29場所で、従来の規定では1場所不足していた)。

なお例外として、相撲部屋継承者と承認された場合には、次のいずれかの条件に緩和される。

  • 幕内在位通算12場所以上
  • 十両以上(関取)在位を通算20場所以上、番付制限なし

この条件で名跡を取得した者は、金親和行濱錦竜郎。なお、この襲名者が後に部屋の経営から退いても、引き続き相撲協会に年寄として残ることは可能である。

空き名跡がない場合の優遇措置として次のものがある。厳密に空き名跡がない場合に限られた規定ではなく、横綱が引退するときに自分の名跡を人に貸していたためこの規定を利用した例もある。#一代年寄の扱いの一つ。

  • 横綱は年寄として5年間在籍可能
  • 大関は年寄として3年間在籍可能

財団法人日本相撲協会の寄附行為施行細則附属規定には、これらの基準に満たなくても理事会に諮り承認された場合は年寄になれることが明記されているが、2013年12月現在適用例はない。

一人で複数の名跡所有はできないが、一代年寄のみ、一代年寄名跡とそれ以外の年寄名跡を一つ所有することができる(一代年寄名跡は他者に譲渡・賃借できず、一代年寄以外に認められている年寄株譲渡・貸株の権利を制限しないため。また将来的に別の年寄名跡を襲名し部屋を継承することも可能である。実現はしなかったが、二所ノ関騒動の際に大鵬が一代年寄返上・二所ノ関襲名の意向を表明したことがあった)。

年寄名跡の所有者が退職、停年、死去などの理由で相撲協会の籍を外れた場合はその後本人や夫人等の近親者が名跡を所有することが可能である。但し、年寄名跡の取得者が不祥事を起こして角界から破門された場合は本人が年寄名跡を没収され次第協会員の手に渡る運びになる。例として大相撲八百長問題責任を問われ引退勧告を受けた霜鳳典雄の場合は破門された結果として年寄株の保有が不可能になったと報道された。[2]

年寄名跡一覧

一代年寄を除く年寄名跡の定数は105家である。テンプレート:Main2

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一代年寄

功績顕著
一代年寄とは、現役時代の功績が著しかった横綱が引退した際、日本相撲協会の理事会がその横綱一代に限って認める特別な年寄名跡で、名称には引退時の四股名がそのまま用いられる。一代限りのため譲渡・継承は出来ないが、その代わり一代年寄の名跡と別に一般の年寄株を一つ保有することが認められる。
過去に功績顕著として一代年寄の襲名が認められた横綱には、大鵬幸喜北の湖敏満千代の富士貢貴乃花光司がいる。千代の富士は満場一致で承認されたが、将来的に九重部屋を継承することで師匠と話が纏まっていた千代の富士が「部屋の名前は一代限りで無く末永く続くものにしたい」と辞退し、年寄・陣幕を襲名している(後に九重)。功績顕著の目安としては優勝20回以上というものがあり、該当者は日本国籍を取得しないまま引退した朝青龍明徳を除いて全員一代年寄を認められている。現役力士では白鵬翔が2014年7月に優勝30回まで達しているが、この時点ではまだ日本国籍を取得しておらず、北の湖理事長も「年寄の資格は日本国籍を有しているもの」と明言しており帰化しないままの一代年寄承認を否定している[3]
引退後、年寄として初めて番付に載る際は、上の名前が変わらないにもかかわらず一般の年寄と同様、氏名の上に「(四股名)改メ」と書かれる。
審判委員に就任した場合、場内アナウンスは一代年寄名を一度言うのみである(例として、「正面・審判長、『貴乃花』」)[4]
通常ただ「一代年寄」というと、一般にはこの「功績顕著の一代年寄」のことを指す。
救済措置
引退時に年寄名跡を取得していない横綱や大関に、横綱5年・大関3年に限り、現役時の四股名のまま年寄を名乗れる制度がある。
これも制度上は一代年寄だが、通常は上記の一代年寄と区別するため「現役名年寄」と呼ぶ。
引退後、年寄として初めて番付に載る際は、一般の年寄や功績顕著の一代年寄とは異なり、氏名の上に「(四股名)改メ」とは書かれない。
委員待遇の正年寄であり、過去には「現役名年寄」のまま審判委員に任命された者もいる。
横綱特権(過去)
過去には、横綱になればその後の成績にかかわらず、引退後に自由に一代年寄を襲名したり返上したりすることができる時代があった。名称には引退時の四股名をそのまま用いる者もいれば、新たな名称を名乗る者もおり、その点についても横綱の自由だった。
この最後の例は吉葉山である。

現在の一代年寄

年寄名 横綱・大関 経歴
功績顕著
北の湖敏満
きたのうみ としみつ
第55代横綱 第9・12代日本相撲協会理事長        
貴乃花光司
たかのはな こうじ
第65代横綱
大関3年
琴欧洲勝紀
ことおうしゅう かつのり
大関

過去の一代年寄

年寄名 横綱・大関 経歴
功績顕著
大鵬幸喜
たいほう こうき
第48代横綱 2005年5月28日定年退職
横綱特権
鬼面山谷五郎
きめんざん たにごろう
第13代横綱 1871年9月7日死去
梅ヶ谷藤太郎
うめがたに とうたろう
第15代横綱 →雷                 
男女ノ川登三
みなのがわ とうぞう
第34代横綱 1945年6月廃業
双葉山定次
ふたばやま さだじ
第35代横綱 →時津風
羽黒山政司
はぐろやま まさじ
第36代横綱 二枚鑑札で5代立浪
千代の山雅信
ちよのやま まさのぶ
第41代横綱 →九重
鏡里喜代治
かがみさと きよじ
第42代横綱 →粂川→立田川→時津風→立田川→二十山
吉葉山潤之輔
よしばやま じゅんのすけ
第43代横綱 →宮城野
横綱5年
朝潮太郎
あさしお たろう
第46代横綱 →振分→高砂
栃ノ海晃嘉
とちのうみ てるよし
第49代横綱 →中立→春日野→竹縄
若乃花幹士
わかのはな かんじ
第56代横綱 →間垣
北勝海信芳
ほくとうみ のぶよし
第61代横綱 →八角
大乃国康
おおのくに やすし
第62代横綱 →芝田山
旭富士正也
あさひふじ せいや
第63代横綱 →安治川→伊勢ヶ濱
曙太郎
あけぼの たろう
第64代横綱 2003年11月依願退職、総合格闘家プロレスラーに転向
武蔵丸光洋
むさしまる こうよう
第67代横綱 →振分→大島→武蔵川
大関3年
栃東大裕
とちあずま だいすけ
大関 →玉ノ井

準年寄

1998年5月1日、協会はそれまで問題になっていた年寄名跡の貸借と複数所有を禁止する措置をとった。その一方で、年寄名跡取得資格がありながら取得が叶わず、しかし親方として協会には残りたいという元関取を救済するための措置がとられた。

  • 同日の時点で年寄名跡を借りている者や複数所有している者に対しては以後5年間だけ現状の維持を認めた。
  • 年寄名跡の取得資格を、従来の「幕内全勤1場所以上・十両在位連続20場所以上・十両在位通算25場所以上、のいずれか」から「三役在位1場所以上・幕内在位20場所以上・十両以上に在位を通算で30場所以上、のいずれか」と改めた。
  • それまで「横綱5年」のみが認められていた期間限定の現役名年寄に、「大関3年」と「関脇以下2年」を追加した。

ただし「関脇以下2年」の年寄については、定員10名・役員選挙での投票権は与えないなど、いくつかの制約を設けて差別化した。この「関脇以下2年」に該当する者が「準年寄」である。

しかし、2年という短い期限内に年寄名跡を取得することは至難の業で[5]、期間満了が迫った準年寄が軒並み所有者から名跡を借り受けて年寄を襲名するようになり、この新制度をもってしても年寄名跡の貸借は後を絶たなかった。やがて所有者の名義変更は届け出るが本当の所有者は違う「名義貸し」までもが復活、貸借禁止は2002年初頭あたりまでには有名無実化してしまった。これを受けて協会の理事会は2002年9月3日に年寄名跡の貸借禁止を解除することを決定し、同時に準年寄の限定期間を1年に短縮、定員も5人に縮小した。一方では、持株と借株の年寄の待遇を差別化する意味で、翌2003年から借株の年寄を全員、平年寄に降格し、番付の表記上、同じ平年寄でも持株年寄よりさらに下層に位置付けるようになった。

ところが今度は期限が1年になったことで、逆に期間満了が目前に迫った準年寄が年寄名跡を滑り込みで借りて年寄を襲名する事例が目立つようになった。このため協会は準年寄制度の意義はもはや消失したとして、2006年12月21日にその廃止を決定した。ただしこの時点で準年寄だった4名(闘牙・隆の鶴・金開山・春ノ山)にはそれぞれの在籍期間が満了するまで準年寄としての地位を引き続き認めた。最後の準年寄となった春ノ山は期間満了が5日後に迫った2007年11月25日、栃乃洋が所有する年寄名跡を借りて年寄・竹縄を襲名。準年寄の短い歴史に終止符が打たれた。

なおこの制度下の10年で準年寄になった者は21名を数えるが、このうち期間満了までに年寄名跡を取得することも借りることもできずにやむなく退職したのは時津洋と琴龍の2名のみである。

過去の準年寄

参考までに借り名跡には(借)を添えた。

準年寄名 引退時四股名 最高位 経歴
三杉里 公似
みずぎさと こうじ
三杉里公似 小結 →浜風→2006年11月26日退職
小城乃花 昭和
おぎのはな あきかず
小城乃花昭和 前頭2 →高崎→出羽海
久島海 啓太
くしまうみ けいた
久島海啓太 前頭1 →田子ノ浦→2012年2月13日病死
旭豊 耐治
あさひゆたか たいじ
旭豊勝照 小結 →立浪
大翔鳳 昌巳
だいしょうほう まさみ
大翔鳳昌巳 小結 1999年12月4日病死
時津洋 宏典
ときつなだ ひろのり
時津洋宏典 前頭4 2001年9月30日任期満了により退職
巌雄 謙治
がんゆう けんじ
巌雄謙治 前頭1 →小野川 (借)→山響
琴錦 功宗
ことにしき かつひろ
琴錦功宗 関脇 →若松 (借)→竹縄 (借)→浅香山 (借)→荒磯 (借)→秀ノ山 (借)→中村 (借)
敷島 勝盛
しきしま かつもり
敷島勝盛 前頭1 →立田川 (借)→富士ヶ根 (借)→錦島 (借)→小野川 (借) →谷川 (借)→安治川 (借)→浦風
智乃花 伸哉
とものはな しんや
智乃花伸哉 小結 →浅香山 (借)→玉垣
朝乃翔 一
あさのしょう はじめ
朝乃翔一 前頭2 →若松 (借)→佐ノ山 (借)→関ノ戸 (借)→押尾川 (借)→若藤 (借) →2008年1月24日退職
大至 伸行
だいし のぶゆき
大至伸行 前頭3 →2003年6月18日依願退職、タレントに転向
若ノ城 宗彦
わかのじょう むねひこ
若ノ城宗彦 前頭6 →西岩 (借)→2007年5月30日退職
大碇 剛
おおいかり つよし
大碇剛 前頭11 →甲山
琴龍 宏央
ことりゅう ひろお
琴龍宏央 前頭1 2006年4月30日任期満了により退職
燁司 大司
ようつかさ だいし
燁司大 前頭11 →二十山 (借) →若藤 (借)→関ノ戸 (借)→小野川 (借)→千田川 (借)→竹縄(借)→2012年1月22日退職
五城楼 昭二
ごじょうろう しょうじ
五城楼勝洋 前頭3 →浜風→濱風
金開山 龍水
きんかいやま りゅうすい
金開山龍 前頭6 →関ノ戸 (借)→稲川 (借)→千田川 (借)→田子ノ浦 (借)→岩友 (借)→三保ヶ関 (借)→高崎
闘牙 進
とうき すすむ
闘牙進 小結 →佐ノ山 (借)→浅香山 (借)→押尾川 (借)→ 千田川
隆の鶴 伸一
たかのつる しんいち
隆の鶴伸一 前頭8 →西岩 (借)→鳴戸→田子ノ浦
春ノ山 竜尚
はるのやま たつなお
春ノ山竜尚 前頭10 →竹縄(借)→2008年1月24日退職

過去に存在した年寄名跡

東京相撲

1927年(昭和2年)の東西合併前には、東京相撲の年寄定員は88家と定められていた。そのうち現存するのは85家、返上または廃止されたのは3家である。

  • 根岸治右衛門(ねぎし じえもん)- 根岸流相撲字の家元としての年寄名跡で代々根岸家が継承したが、1952年(昭和27年)に10代目(本名:根岸 眞太郎、1910年4月10日 - 2005年12月18日)が相撲協会へ名跡を返上した。その折の家元の要望で力士への譲渡は行われず、現在に至っている。
  • 木村庄之助(きむら しょうのすけ)- 行司名である木村庄之助は、かつては年寄名跡であったが1958年(昭和33年)限りで年寄名跡としては廃止された。
  • 式守伊之助(しきもり いのすけ)- 行司名である式守伊之助もかつては年寄名跡であったが上記の木村庄之助と同様、1958年限りで年寄名跡としては廃止された。一時、年寄・永浜を名乗った時もある。

大坂相撲

東西合併時において大坂相撲から22家のうち17家が繰り入れられた。その後1929年(昭和4年)に荒岩鏡山の2家が廃家となり、1943年(昭和18年)に5家が追加復活した。

  • 荒岩 - 一代限りで1929年に廃家
  • 鏡山 - 一代限りで1929年に廃家

大坂相撲の年寄名跡

大正末年まで存在した大坂相撲では、東京相撲の年寄にあたる地位を頭取(とうどり)と呼んだ。頭取は力士経験者が襲名するのが原則であったが、時には侠客が襲名することもあった。1927年(昭和2年)の東西合同時における大坂相撲の年寄名跡は、全部で22家であった。

東西合併時の年寄名跡一覧
  • 荒岩(1929年限りで廃家)
  • 朝日山
  • 猪名川(東西合併時に廃家、1943年に安治川と改名して復活)
  • 岩友
  • 枝川
  • 藤島(東西合併時に廃家、1943年に大島と改名して復活)
  • 大鳴戸
  • 押尾川
  • 小野川
  • 鏡山(1929年限りで廃家)
  • 北陣(東西合併時に廃家、1943年に復活)
  • 不知火(東西合同時に廃家、1943年に復活)
  • 陣幕
  • 千田川
  • 高崎
  • 高田川
  • 竹縄
  • 時津風
  • 中村
  • 西岩(東西合併時に廃家、1943年に復活)
  • 三保ヶ関

脚注

  1. 元幕内宝千山が引退=大相撲時事通信社、2013年12月20日)
  2. 関与認定19力士全員が引退届提出も「納得はしていない」…八百長問題 スポーツ報知 2011年4月6日
  3. 北の湖理事長、明言「白鵬一代年寄」資格取得は帰化が絶対条件 スポーツ報知 2014年7月28日
  4. 通常の年寄であれば、『伊勢ヶ濱、元・旭富士』というように、年寄名跡 - 現役時代の四股名と、二言アナウンスされる。
  5. 同様の理由で「大関3年」は栃東大裕琴欧洲勝紀のただ2例しか適用されておらず、近親者でもある年寄(栃東の場合は先代玉ノ井)が3年以内に停年をむかえる、空き名跡が10家ある(琴欧洲の引退時点)など取得に対するよほどの確証が無い限りこの権利を利用するのは困難なのが実態である。

関連項目

外部リンク

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